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 自慢じゃないが、おれは生まれてこの方、他人に咎められるような罪を犯したことはない――先ほどの不法侵入を除けば、ということだが。いや、あれだって大別すれば正当防衛のようなものである。

 親の財布から金を抜き取ることだってしたことのないおれが、警察署の取調室を物珍しく思わぬわけがなかった。普段は入れない場所に来ると、つい頭が取材モードに切り替わった。いつか漫画で使うかもしれない、とキョロキョロ見回して視界をキャプチャしてしまった。職業病というやつだ。

 向かいから、明らかに怒気を含んだ咳払いが聞こえた。

「あんたそれ、写真撮ってるんじゃないだろうね?」机を挟んで正面に座る、ゴツい顔の男が言った。彼は先ほど部屋に乗り込んできた刑事の一人であり、拘束時にミランダ・サバクタニ宣言をした人物でもあった。「ダメだよ勝手に撮っちゃ。ったく、こんなとこぐらい、圏外にすりゃいいんだよ」

「電波が届かないとサーバにアクセスできなくなります」おれは言った。「そうなったら記憶も参照できないので取調べにも応じられない」

 刑事は舌打ちした。

「そうだね。その通りだ。じゃあ、脳に繋がってるうちに質問に答えてもらおうか、ジェット・コースケさん」

「あの、違います」

「何が」

「名前。それ、たぶん公的氏名ペンネームだと思いますけど、おれのではありません」

「じゃあ、あんた誰?」

 おれは言葉に詰まった。黙秘したいのではない。単に言うのが憚られたのだ。そうとは知らぬ刑事が太い眉を寄せ、睨んできた。おれは観念し、呟くように言った。

夢野ゆめの……恋太郎れんたろう……悪夢の夢に野暮の野、失恋の恋に太郎です」

「それ、本名?」

「ペンネームです」

「社会保障番号は?」

 おれは十三桁の英数字を述べた。刑事は部屋の隅で記録をとっている別の若い刑事に声を掛け、照会を指示した。嘘は言っていない。照会はすぐに済み、若い刑事の端末を介しておれの向かいのゴツい男へ情報が送られてきた。彼は、手元に表示していると思しき仮想端末へ目を落としながら言った。

「夢野恋太郎、万宝二十二年十一月十六日生まれ、四十二歳。現住所はネオ東京都新宿区北新宿一丁目四十四―十三ベルサイユ新宿505号室」それから一度こちらを見て、再び仮想端末に戻っていった。「顔写真一致。間違いないね」

「はい」

「家族構成は――独身。離婚歴あり」

「はい」

「子供は?」

「娘が一人」

 刑事はおれからは見えない仮想端末に指でチェックを入れた。

「よく会ってるの?」

「離婚してからは一度も」

 嘘ではなかった。事実、刑事はその太眉を少しも動かさなかった。問いは次の項目へ移った。

「職業は――あんたも漫画家なの」

「はい」

「どんなの描いてるの。雑誌に載ってる?」

「今は連載はありません。単発で何誌かに載っています」

「どういう雑誌?」

 答えに詰まった。だが、正直に言うしかない。

「成人誌です。いわゆるエロ本……」

「ああ」刑事は蔑みの色を隠さなかった。

「もちろん、公序良俗コードは守られた正規の出版物ですよ」

「へえ」彼は興味なさそうに言った。ヒラメとカレイの違いを聞かされた時でももう少しマシな返事をするに違いなかった。

「いや、昔はメジャーな少年誌の連載もあったんですよ。でもそういう雑誌も部数が減ったりなくなったりで……わかりませんか。子供は漫画なんて読まないんですよ。それより楽しい娯楽が脳の中に直接届くんだから。全身で体感できるエンターテインメントに、紙に描いただけの白黒の絵が太刀打ちできるわけないでしょう」

「まあ、ちょっと落ち着いて」

 カップに入ったお茶が差し出され、おれは飲み干した。喉の奥にあった熱い何かが、腹の底へ流し込まれていく気がした。

「あんたの仕事ぶりはわかりました。色々大変だってこと」

「我々も毎日必死で仕事しています。あなた方に較べれば、所詮は虚業だなんて笑われるんでしょうが。それでも毎日、金とMINDのことで気持ちをすり減らして……」

「時間がないんで話、進めますね」刑事はため息混じりに言った。「あんたは何であの部屋にいたんです? ジェットさんの漫画家仲間?」

「まあ、そんなところです」

 太い眉がまた寄せられた。

「答えは明確に。それじゃ証言として認められないよ」

「厳密には知り合いではありません」おれは言った。隠し事をしたり嘘をついたところで、分析器に声紋をトレースされ見破られるだけだった。

「知り合いではない」刑事は言った。「知り合いじゃないのに、部屋に上がり込んだの?」

「間接的に貸したものを返してもらいに行ったんです」完全な嘘ではなかった。ギリギリの線を計算しながら攻めた。

「何を貸したの?」

「仕事道具です」

「具体的には?」

 ここでおれは、脳の処理速度を上げた。

 刑事たちは、ジェット・コースケ氏の罪状を公序良俗法違反と言っていた。これは警察が有害な創作物を取り締まる際に使われる、ごく一般的な罪である。ジェット氏の場合も、描いた漫画が摘発対象になったのだろう。だとすると、ここで正直に「おれのアイデアがそのまま使われていたので問い質しに行った」と答えるのはまずい。こちらが公序良俗法違反に問われかねない。かといって、嘘の証言をしてもバレてしまう。黙秘という手もあるが、それでは疚しいことがあると認めるようなものだ。少なくとも、警察の連中はそのように取るだろう。かくなる上は。

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