【 その一 空からの贈り物 】
その時、私は春休みを満喫していた。朝起きて、ご飯を食べて、特に何をする予定もないまま自分の部屋の窓辺にある椅子に座って、ぼんやりとしていたのだ。机には一応問題集を広げてはいるけれど、する気もおきず、鉛筆は手に持ったまま。平和だ。優しい春の陽射しが、開け放れた窓から降り注いでいる。気持ちいい……。
その時、ふっと陽射しが陰った。目を開けると、窓の縁に高校生くらいの男の子が一人、座っている。そんで無表情でこちらをじっと見ていた。……え~っと。
「猫」
男の子、勇希くんはそう言って、ぷっと吹き出した。
「……猫?」
「いや、今の真緒の顔、猫そっくりだったんだって! 何ての、春に縁側に座って目を細めて日向ぼっこしてる、三毛猫!」
……大笑い。勇希くんは笑い上戸だ。ってか、さっきの例、いやに具体的じゃなかったか。三毛猫って……。
「えっと、勇希くん。私の記憶が確かならばここは二階だったはずなのですが」
「あぁ、それ」
勇希くんは目尻を拭った。
「オレが井伏家に入ろうとした途端、五十メートル前に猛獣一匹! オレはその猛獣に見つからないように塀をよじのぼり、樹に登って、ここまで来たんだ。樹に登る時に手に傷ができたりと苦難もあったけど、オレはどうにかして真緒に会う使命をまっとうするために……」
「アカリですか」
勇希くんの言葉を遮るように、愛犬の名を言う。猛獣って……アカリはまだ一歳半の子犬な上に、ミニチュアダックスフンドっていう小型犬なんだけどな。
「でな、今日真緒のところに来た理由は他でもなく」
「話を逸らした!」
「今夜、化け桜を見に行こうと思って。真緒も来るだろ?」
勇希くんは、いつものように子供みたいに目をキラキラさせて、いたずらっ子のように笑った。
「……化け桜?」
何でまた。
こちらの安藤勇希くんは、従兄のお兄ちゃんだ。優しくて頭もよくて運動神経も抜群っていう、こう聞けば否の打ち所のない人。けれど、勇希くんはちょっと変な人だ。まず大がつくほどの犬嫌いで、変な趣味を持っている。忍者や海賊に未だに憧れてるし、特撮ものやゴジラは大好きだ。怪談を耳にすると人を巻き込んで調べに行くし、こないだはツチノコの捜索に付き合わされた。
で、私は幼い頃からずっと一緒にいた、ほとんど家族のような存在の勇希くんに、憧れのようなものを抱いている。自分の背丈と比べて十分の一以下のアカリを怖がろうと、変な趣味を持っていようと、勇希くんは最高にかっこいい。
けれど、それはあくまで『憧れ』であって、もし勇希くんに彼女ができたとしても、私はにこやかに見送ることができるだろ……で…でき……。
バキッと、手の中で何かが折れる音がした。
私以外の彼女なんて、絶対許さないんだから!
どうせ今はかわいい妹くらいにしか思われてないんだろうけどっ。法律的にも従兄妹の結婚は許されてるし、今の総理大臣の夫婦だって従兄妹だし。別に変じゃないもんねっ。
「真緒、鉛筆割れてる」
「えっ」
見ると、手の中には真っ二つに割れた鉛筆。私、何故かしょっちゅう鉛筆割るんだよね。握力が強いのかな? 運動神経は平均的なんだけど。
「な、化け桜。面白そうだろ? 桜が化けるんだぜ」
「うー。……ん。でも、化けるって何に?」
「えっ」
勇希くんは、沈黙した。長い黙考の末、真顔で私の目をじっと見る。
「わからん」
そう来ると思ってました。
「でも、オレの予想では着物を着た美女だな。で、道行く人をたぶらかす」
たぶらかすって……。今度は私が黙考する番だった。
いけない! 勇希くんが化け桜にたぶらかされちゃう!
「勇希くんを桜なんかに渡してなるものですか!」
「はい?」
「勇希くん、私も行く! 連れてって!」
急に意気込み乗り出した私を見て、勇希くんはニヤッと笑った。
「そうこなくっちゃ」
その笑みを見て、私はさっきの一言を後悔した。同時に、今までの嫌な記憶が蘇る。
学校の怪談が流行った時に侵入した、真夜中の恐怖の学校。二週間も続いたツチノコの捜索。河童を見るんだと言って連れまわされた夜の川辺で足を滑らせたこと。(私が滑り、勇希くんを道連れにした。ちなみに二人ともびしょぬれになったが私だけ捻挫した)
「ゆ、勇希く」
「あ~あ、何か面白いことないかなぁ」
私の言葉を遮るように、暇人の勇希くんがぼんやりと空を仰いだ。顔は外にあって、今その体を支えているのは手と引っかかっている足だけだ。私は、落ちやしないかとハラハラする。実際、落ちそうになったことあるし。
その時だった。
「わああぁぁ~~~~~~~!!!」
勇希くんの絶叫。上に何か信じられないものが落ちてくるかのように、目を見開いている。そして、手を離した!
ここは二階だ。足の力で体重を支えることは難しい。大変、勇希くんが死んじゃう!
そう思ったら、勝手に体が動いていた。パッと立ち上がり、今まさに私の視界から消えようとする勇希くんに抱きつく。すると、当たり前だけど二人分の体重で重力は更に大きくなった。
「きゃあ!」
「わあっ!」
ズダーン。メリメリメリ。
……メリメリメリ? 恐る恐る目を開けると、木の上に落ちて助かったんだということがわかった。次の瞬間、ぺしっと頭を叩かれる。この叩き方は、勇希くん独特の漫才のつっこみだ。見ると、すぐ側に勇希くんの顔があった。
「バカ! 何でお前まで落ちる必要があるんだよ!」
「だって……」
勇希くんが危ないと思ったら、つい。私が下を向くと、くしゃっと頭を撫でられた。大きくてあったかい、勇希くんの手だ。
「そうしょげた顔すんな。わかったから。こういう危ないこと、もうすんなよ」
私は顔を上げて、笑った。やっぱり、勇希くんは最高にかっこいい。
今まで私を散々危ない目に合わせてきたのはどこのどいつだなんて思ったりもしたけど、そんなこと、本当にどうでもよくなる。
「よし、まぁとりあえず降りよう」
そういえば、こんな体勢だった。勇希くんは私を持ち上げて下ろすと、自分も木から降りる。ん? ちょっと待って。今赤いものが見えたような気が……。
「きゃあ! 勇希くんの顔が! ていうか、腕も! ってか、体中! きゃー!」
「声が大きい!」
「うー」
っていうか、木に落ちたんだから、傷だらけになるのは当たり前。私がほぼ無傷なのは、勇希くんに抱きついてたからだ。
「オレのことよりも、これのことだ」
今まで気がつかなかったけど、勇希くんは白い物体を抱えていた。それを二人で覗き込んで……私たちは声を失った。愛嬌のある目と目が合う。
「ギャー」
そいつはそんな感じにかわいく鳴いた。
「…………」
「…………」
私たちは、お互いと、その白い物体を見比べる。やがて、勇希くんが口を開いた。
「せーのっ」
息を吸い込む。
「ギャ―――!!!」
町中に響いたであろう、大きな悲鳴。しかし、私たちはその心配をする余裕など当然のようになかった。
真珠のように輝く、白い鱗。真っ黒で円らな目。この日、とんでもない奴が私の日常に現れた。
それは、純白のドラゴンだったのだ。
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