〔一、守護者〕

 相手の剣を受けると、弾かれた。飛び退いて避けると、手の痺れを我慢して、すぐに相手の懐にもぐりこんで自分の短剣を振る。

 相手が倒れたことを確認してから振り返ると、ここでの唯一の味方であるカノンがちょうど数人の敵に向かって剣を振り上げたところだった。ウェーブのかかった腰まである金髪が揺れる。

「カノン! きりないぜ、これじゃ」

 カノンは目だけをこちらに向けた。切れ長の青い瞳は、敵の戦士が赤いカーペットの上に転がっているような惨状が見えていないわけでもあるまいに、相も変わらず湖面のように静かだった。

「……こいつらは泉の水でも砂漠の砂でもないわ」

「要するに、限りはあると」

「そういうこと」

 そう言いながら、カノンは真空刃という自分の背丈ほどもある独特な剣をもう一度振るった。

 彼女は、隊長と彼の娘であるカノンしか使わない、扱いの難しい二十刃の大型の剣をいとも簡単に駆使する。長い髪も踵ぎりぎりまであるゆったりとした服も、少しも邪魔になっていない。

 僕も短剣を握り直し、襲い掛かってくる敵に向かっていった。カノンのように一度に数人も倒せないが、敵の間を掻い潜り、少しずつ、でも確実に切り倒していく。

「ヨセフ!」

 呼ばれた方を見ると、カノンが珍しく慌てた様子で、目で扉を示した。

 扉に、敵が押し入ろうと近づいていた。僕たちはそこの番人の役目を任されている。何があっても、この扉には立ち入りさせてはならない。

 僕は背中から弓と矢を出して番えた。先頭から順に、次々に弓を放っていく。元々僕が得意とするものは短剣ではなく弓なのだ。僕が弓を放っているうちにカノンが残りを倒し、辺りは一旦静かになった。

 敵――僕たちとは異なる種族である鬼族の戦士が累々と転がっている。仮にも白皇隊の砦の最上階でだ。緑色の肌がカーペットの赤と重なって、僕は目を逸らした。

「さてと」

 カノンがふらりと歩き出し、扉に手をかける。部屋の中を覗き込むと、彼女は薄く笑んだ。

 僕も扉の向こう、カノンの視線の先を見る。絶句した。人間というものは驚きすぎると声すら出なくなるらしい。騒ぎが聞こえてきたのだろう、仲間が駆けてきて少し騒がしくなった。

 それでも、僕たちの視線の先には、何もなかった。


「どうしてくれるんだ、まったく」

 中年の男、アルゴンさんは腕を組んで、僕たちを見下ろした。

 ここは、守備部長である彼の部屋だ。今僕たちはここで説教を受けている。とは言っても、カノンはさっきから立ったまま寝てるけど。

「白皇様を護衛中に行方不明にさせるとは。お前らの責任と捉えられても文句は言えないんだぞ。まだ二十に満たないといえ、お前たちはルーク王国の白皇隊の立派な戦士だ。どう落とし前をつけるつもりだ?」

「でも、僕たちは敵を扉の向こうには行かせてません」

「それは言い訳である。現に白皇様はあのお部屋からいなくなられてしまわれた」

 アルゴンさんは僕の弁解をはね返した。ため息をつきたいのを必死で堪える。

「カノン、お前も何か言えよ。本当に僕たちのせいにされるぞ」

「ん…? 眠」

 眠そうに目を擦るカノン。こいつ、今の状況をわかってるのだろうか。

 僕たちに構うことなく、アルゴンさんはわざとらしく手を顎に持っていく。

「大体、何で鬼族があんな大量に侵入したんだ。この砦の守備は完璧だったっていうのに。門から侵入した形跡もないし。あぁもう」

 アルゴンさんは急に部屋を徘徊し始めた。巨体を揺らしてブツブツと何かを呟く。

「何だろうなあ。ヨセフたちが倒した鬼族は囮で、本当は中に入った鬼族が白皇様を奪い去った? 何のために? あぁ~、どうしようどうしよう。今でさえ最近鬼族から負け通しだっていうのに、白皇隊の象徴である白皇様もいなくなってしまわれて。大体、王族も鬼族との戦いを歴代に渡って白皇隊のみに任すからいけないんだ。そりゃ、あっちも内乱やら食糧危機やら大変なのはわかるけど、わかるけど。いやもうほんとわたしこの仕事やめようかしら」

「……アルゴンさん?」

「あぁ失敬」

 アルゴンさんは机の前に戻ると、椅子に座ってまたもため息をついた。今回、鬼族が侵入したことで、守備部隊長であるアルゴンさんの責任は問われざるを得ない。彼はこれから厳しい立場におわれることになるのだ。……もちろん、僕たちもだけど。

「やっぱり、国の状況は今も変わらないんですか」

「あぁ。月一回王城から送られてくる通信士からの手紙ではね。ただでさえ、我々の国はただ広い荒野と荒れ狂う海に囲まれた孤立した国だ。その上、暗雲が立ち込め、太陽が顔を見せない日が十年以上も続いている。食糧不足は慢性的な問題だし、王軍と反乱軍の戦いは留まるところを知らない。民は飢え、怒りは王政に向かれ、戦いは起こり、また苦しみ……悪循環だ。国が滅びの淵にあることは、誰も否定できないだろう」

「…………」

「唯一の希望は、開拓使なんだけどなぁ。彼らも何年も帰ってきてないし。この土地を捨て、どこかの裕福な国に移り住めればいいという願いは虚しいだけなのか……」

「そんなことないと思います」

 驚いて横を見ると、さっきの言葉はカノンが発したもののようだった。さっきまで眠そうだった切れ長の目が、今は強い意志の光を放っている。

「願うだけ虚しいなんてそんなこと、あるわけない。アルゴンさんのような立場にある人がそんな思いでいちゃ、人々の不安は拭えないわ。たとえ気休めでも、人はたった一筋の希望の光があるだけで生きられる。たとえ開拓使が戻ってこなかったとしても、絶望の果てに死ぬよりは、希望を持ち続けて死ぬ方がずっとまし」

「……ま、そういう考え方もあるだろうな」

 アルゴンさんは柄にもなく寂しそうに笑った。この国の行く末が見えたような気がしたのだろう。僕も同じだ。わかっていたつもりだったけど、こうもはっきりと言われると気持ちの整理がつかなくなる。

 カノンは、強い。いつだってごまかさず、真実のみを見つめて戦っている。僕の知る限り、そんな強い精神を持っている人は、カノンの他には隊長くらいしか知らない。そういえば、一見正反対に見える隊長とカノンは、同じ眼差しをしていた。

 ノックの音がした。アルゴンさんが声をかけると、隊長の部下が二人、入ってきた。

「カノン・ジュラ、ヨセフ・ニコラス。隊長がお呼びです」

 僕たちは目を合わせると、アルゴンさんに礼をして部屋を後にした。


 隊長がいるという部屋に導かれてくると、ダグラス隊長は大きな地図を前に、副長のネオンさんと何か話しこんでいた。振り返ると、手招きをされる。その手に従って地図の近くまで来ると、ある崖の上を示された。

「ここがわたしたちのいる砦だ。このまま南に進むと、国で一番外れの村がある」

 隊長は指を西の方へ滑らせた。

「ここはどこだかわかるか?」

 何かが書いているが、飾り文字なので読みにくい。けれど、山脈が連なっているから……。

「シダヤ山脈ですね」

「あぁ。ここを鬼族たちが抜けようとしているという情報が今入った」

 僕は驚いて顔を上げた。カノンを見ると、黙って目を光らせている。ダグラス隊長は僕たちをかわるがわる見た後、地図にまた目を落とした。

「言わんでもわかるだろうが、シダヤ山脈を超えられるとまずい。なので、我々はここに明日、第一軍と第二軍を派遣することにした」

 白皇隊は第三軍まである。第一軍は戦の時先頭を切る一番戦闘能力のある人が集まっている軍隊で、僕とカノンが所属しているところだ。

「白皇様のことはもう聞いた。けれど、過ぎてしまったものは仕方ない。まず、お前たちはシダヤ山脈へ行け。この功績を見て処分を決める。それに、まだ話を詳しく聞いていないしな……おっと」

 地面が揺れた。棚にしまってあった書物が崩れ、石を積んで創られた建物のそこら中で軋む音がする。数秒経った後、隊長が僕たちを見回して呼びかけた。

「みんな、怪我はないか?」

「大丈夫です」

「……同じく」

「そうか」

 ダグラス隊長は頷いて、軽くため息をついた。

「またか。最近いやに地震が多いな。嫌な予感がする」

「隊長?」

 ネオンさんが訊くと、隊長は何でもないと言うように頭を振って、いつものように僕たちを見た。

「では二人とも、戻って明日の用意をしておいてくれ」

「はっ」

 僕とカノンは正式な礼をすると、自分の部屋に戻っていった。



 二階のベランダに出ると、カノンがいた。僕の気配に気づいたのか、カノンは僕を振り返った。風になぶられる髪を押さえて微かに笑う。寂しそうな笑みだった。僕は黙って彼女の隣に行くと、崖の下を眺めた。緑は少なく、荒れた荒野が広がっている。遥か霧の向こうでは、鬼族たちの砦がぼんやりと見えた。

「……何を考えてた?」

「あんたと同じこと」

 それを聞いて、僕も自嘲的な笑みを浮かべた。

 僕たちが生まれ育った国は、今滅びの淵にある。けれど、僕たちはそれをどうすることもできない。

 ただ、今日も僕たちは街のない国の端で戦うのだ。砦に住み、何日も、何日も。生まれ故郷に帰る日も知らず、家族と会うこともなく。……最も、カノンは唯一の家族がダグラス隊長だし、僕はそんな人いないけど。

 この崖の上で。





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