004
ねぇ、翼くん。時は誰よりも優しくて、何よりも平等で、そして如何なるものよりも残酷なんだよ。流れ流れて……それは、人類最高の知能を持つ翼くんでさえも、操ることはできない。
時が流れる限り明日はあるかもしれないけど……私たちに未来はあるのかなぁ? この先、私たちが〝希望〟と呼ぶようなものは見えるのかなぁ? 何でみんな、ここらへんで終わらそうって気になれないんだろう。諦めることってそんなに難しい? 見限ることってそんな愚かなこと?
あぁ……ごめんね。でも、今のは私の本心だよ。これが新石初音の本心。
私、時々怖くなる。自分の中に潜んでいる残酷さに。卑劣さに。翼くん、私ってこういう人間なんだよ。全然優しくなんかないんだよ。平気で大切な人たちを欺いて、いい人を演じてる。私の全部を知ったら、翼くんも私に好きって言ってくれないよ。
ねぇ翼くん、その時が来たら躊躇っちゃだめだよ。終わらすべき時っていうのは必ずあるんだから。
その時、私は生きてるのかなぁ。もし生きてるんだったら、最後の瞬間には二人に、翼くんと漸に傍にいてほしいなぁ……。
*
「……翼」
漸は、そちらを見ずに奥に行こうとする彼に呼びかけた。翼が多少の苛立ちを表しながらも足を止める。
漸はゆっくりと振り向き、一歩翼に近づいた。
「こっちに来い」
「何だよ。気持ちわりぃな」
漸はもう二歩、翼に近づいた。翼はその分後退する。
「……いいから、動くな」
「嫌だと言ったら?」
「仮説を確信に変える」
それを聞いて、翼は深いため息をついた。それはまるで何かを諦めたようで、しかしそれでいて彼は笑っていた。
「いつも思うんだけどさ……。お前、結構頭いいよな。〈聖都市〉にいた頃は結構な成績出してたんだろ? それで〈滅びゆく町〉への移住の許可がなかなか下りなかったとか、聞いたことあるぜ」
「……はぐらかすな」
「ははっ。オレは最後まで貫き通すつもりだったんだけど……。しょうがねぇな」
「じゃあ、やっぱり」
「あぁ」
ふっと、翼は笑みを消した。漸を直視する。二人の視線が交錯した。
「王河翼は、約一年前に死んでいる」
目の前に立っている、王河翼の姿をしたものは、そう言って、ニヤッと、笑った。王河翼、そのもののように。
漸は翼に歩み寄ると、手を伸ばした。もう、彼は逃げようとはしなかった。伸ばした手は当たり前のように空を切る。見ただけではわからないが、これではすれ違った時に少しでもぶつかればすぐにバレてしまうだろう。
「人工知能……か」
「あぁ。でも、何でわかったんだよ? あー、やっぱり遠回りしたのがいけなかったのか」
「決め手はそれ。あとは扉だな。長いこと動いてないみたいだったから。いくら翼でも、この部屋にこもり続けるのは無理なんじゃないかって思った」
「あぁ……。外への連絡はコンピュータを使ってしてるからな。ここに閉じこもろうと、ここで何をしようと、ある程度の技術を提供すれば、そううるさく言う奴もいない。もし来訪者が来ることになっても、この姿を見せればいいし――結構わからないもんだからな、これ。基本は3Dの映像なんだけど」
例えば、コンピュータのタイピングだったり、彼の動きに合わせて椅子が回ったり、足音がしたり。映像だけでなく、そういう諸々のプログラムを彼はこの部屋に組み込んでいた。人間は大抵、先入観を持ってものを見る。騙すことはそう難しくはないだろう。
「王河翼は、新石初音を亡くしてから、世界を終わらす方法を探し始めた。けれど、あいつも人間だ。ずっと起きっぱなし、考えっぱなしってのは疲れんだよ。肉体的にも、精神的にも。しかし、時間は少なかった。それは、世界を終わらす機会を逃さないよう、早く見つけなければならないという意味も勿論あるが、何よりの問題は、人工人間ОGAの機能の限界が迫っていたことだったんだ。それを世界でただ一人、あいつは知っていた。そこであいつは」
「完全なる人工知能を創り、それに自分の能力のみならずDNAから意識に記憶まで、とにかく全てをプログラムした。人工知能なら、休息は必要ないしな。そして翼は、後を自分の分身に任せてそのまま命を落とした」
「あぁ。つまりオレは、王河翼ではないかもしれないが、紛れもなく王河翼だ」
機能の限界。
要するに、ただ一つの成功作といわれたОGA49も、完全体ではなかったということなのだろう。十八年持ったというだけでもそれは長すぎたくらいだと言える。
自分はあと少しで消える、けれどやらなければならないことがある。そんな一見どうしようもない問題の打開策――自分をもう一体作る。そしてそれを成し得るだけの能力を、彼は有していた。
一つだけ願いを叶えてあげよう――魔法使いにそう言われて。
じゃあ、何でも願いを叶えてくれる魔法の箱を下さい――と答えるのと同じ原理。
「……じゃあ、お前をあいつだと思って一つ質問するけど」
「あぁ?」
漸は、さっきからずっと思っていた問いを、口にした。
「お前は、これで後悔しないのか?」
それを聞き、翼は不敵に笑う。
「しない。だってこれは、初の望みでもあるんだから」
「…………」
「なぁ、お前は第三次大戦の裏には、人口の削減という理由があるっていう噂、知ってるか?」
「……まぁ、聞いたことくらいは」
「オレは、あれが六割以上本当だと思ってる。漸、終わるべき時っていうのは、万物にあるんだぜ。この機会を逃すと、人類はずぶずぶと泥沼にはまったように沈んでいって、大きな過ちを犯す可能性がある。躊躇ってはいけない」
「それは、初音からの受け売りか?」
「あぁ」
陽の差したような笑顔。誰からも好かれ、誰にでも優しかった彼女。強く凛々しく、弱みを見せることを嫌い、あいつはいつだって陰で泣いていた――。
彼女がどうしてそうであったのか、漸は知っていた。彼が知っていたことを、初音は知らなかっただろうけど。
あの笑顔は、あの優しさは、身のうちに潜む深い虚無故だったのかもしれない。身のうちに潜む残酷さから目を逸らすための、偽りであり虚構だったのかもしれない。
けれど、全てがそうではなかった。
あいつは、それを知っていただろうか。漸はぼんやりと思う。その笑顔が、その優しさが、多くの人を救い、幸せにしてきたことを。自分も、王河翼も、その一人だと。
そう言ってやれば。今のこの状況は、少しでも変わっただろうか。
「……本当に、何度目の後悔だか」
「あ? 何か言ったか?」
「何でもない」
「ふーん……そろそろだ、覚悟しろ」
「何を?」
「……何でもねぇよ」
王河翼は、それからふっと優しい目になって、初音を見下ろした。ここにいるものは、やはり、王河翼でないと同時に、王河翼なのだった。
人類最高知能保持者、ОGA49。自由も権利も全て剥奪され、孤独という言葉さえも不相応で自分が人間なのかもわからない。彼はいつもどこか冷めていて、生きる意味を見出せなくて、最高の知能を持ちながらわかるはずものがわからなかった。けれど、彼は、ある少女との出会いによって、救われたのだ。
王河翼は――彼女から、あれほどまでの虚無を抱えながらも笑っていた彼女から、あの冷めた言葉を聞く前に言った言葉を、また呟く。さる泥棒のように確信的に、一切の打算のない、純粋な言葉を。彼女のような、寂しそうな笑みを浮かべながら。
「結局オレはお前が好きなんだよ、初」
その時。
グワン、と。
空が震えた。
地が揺らいだ。
空気という空気が静止し、
時の流れが逆流したかに思えた。
全ての生物が無視することの不可能な、大きな反動。
ポーン――……
そして、水面に雫が落ちた時のように、空に波紋が生じる。幾つもの輪は、ある高層ビルを中心に広がっていった。
それは、空気を通じてではなく、人々の心に共鳴しながら伝わるような、《響き》だった。この上なく優しく、全てを掬い取り、絡み取ってしまうような。足掻こうという意識さえ奪う、逃れることの不可能な。
世界に音は存在していなかった。
世界は《響き》で満たされた。
貉は、食べていた魚を誤って落としてしまった。屋根の上からそれを確認し、あーあ、と呟く。それから空を見上げて、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「あーあ、終わっちゃうよ、おばば」
でも、ま、いっか。
そう言って、貉はからからと笑った。こんな状況の中、彼は笑った。ごろんと寝転がり、空を眺める。既に頭痛がする。自分が消されていく感覚がする。それでも、彼は笑っていた。
貉は、自分の人生に、貉なりに、貉らしく、満足していた。
「きゃははっ」
最原澪は、あくまでも笑っていた。《響き》に脳を揺さぶられながらも、全ての感覚が消えていくことを感じながらも、変わらずに。
「澪……」
もはや小浪は、にこにことした笑みを浮かべていなかった。苦しそうに頭を振り、それから見えない敵から守ろうとするように、笑い続ける妹の頭を抱いて、目を瞑る。そんな兄に、澪は不思議そうに問うた。
「お兄ちゃん、怖いの?」
「……怖いよ」
「ふぅーん?」
理解ができないというように首を捻る妹に、小浪は無理やり笑みを浮かべてみせた。
呑まれていく。
終わりへと近づいてゆく。
そこには〈聖都市〉も〈滅びゆく町〉も存在していない。
全て例外なく、根こそぎ総じて、贖罪し投獄し狂気する。
全て等しく、天に平等に、冤罪し脱獄し静粛する。
人々は、その響きに神を見ていた。
しかし彼らを襲ったのは、武器でも火炎でも豪雨でも、音でさえない逃れることのできぬ巨大にして強大な凶器。そしてそれは、少しずつ……少しずつ、世界を終わらしていく。
その光景はあまりにも残酷で、そして何よりも、如何なるものよりも。
美しかった。
破壊せずに――呑む。
終わりは始まり。要するに、リセット。
そして世界は沈黙する。
そんな中、波紋の中心にいる二人、否三人は、全く動じていなかった。漸は初音の横に座って、やはり無表情だ。初音の様子は当たり前に変わらず、そしてこの凶器の創造主は、その隣で下界を見下ろすように〈聖都市〉と〈滅びゆく町〉、この二つを眺めていた。
「……時が、流れていく」
王河翼の思考を有し、彼の思いを継ぎ、彼の精神と心を持つ人工知能は、こう呟く。
「もし時を巻き戻せたら……」
巻き戻せたら。
一体どうなるというのだろう。
この現実が、変わっていたとでも言うのか。
それともただ単に彼女にまた会いたいだけか。
漸はふっと彼の後ろ姿に視線を移す。
それか、彼も本当の本心は世界を終わらせたくなどなかったのだろうか。
「……翼、お前はあの頃」
闇がたまる町で集まった日々。三人で笑えたあの時。
不安定で曖昧で、続かないだろうということは誰もが予感していたけれど。
漸は静かに問う。
「楽しかった、か?」
「……あぁ」
翼はおそらく本心だったのだろう、いつものように皮肉げでない、微かな笑みを浮かばせていた。
「死にたくなるくらい、楽しかったぜ」
――実際、何がいけなかったのか。
愚かな戦争か。名もなき平和か。
秩序だった無秩序か。あまりに拘束されすぎた自由か。
無理やりに世界を肯定しようとした厭世家の深い虚無か。
人為的な最高知能の持ち主の存在そのものか。
それとも、大切なものを守る、そのためだけに自らの感情を封じてしまった、とある少年のあの判断か。
「……お前は?」
翼は変わらず、たった今までいつも通りの一日を過ごしていた世界が自分の手で終わらされてゆく光景を、目を逸らさずに見下ろしている。
同じ問いが繰り返されるものとばかり思ったが、翼が口にしたのは全く別の問いだった。
「お前の方は、この世界が終わればいいと思っているのか?」
「……思ってねぇよ」
何を今更、という風にため息をつく漸。翼は驚いたように振り返った。
「……は?」
「王河翼がどう思ったとしても新石初音がどう思ったとしても、この世界が好きな奴はお前が思うより沢山いる。続いてほしいと願う奴もまた然り。生まれたからにはどのような一生だったとしても、堂々と生き抜く義務がある。生まれたからにはどのような終わりを迎えるとしても、存在し続ける権利がある。それがどんな罪に塗れた存在であろうとな。それはこの世界だって、同じだろ。それに何より」
気のせいか。彼が、来賀井漸が、少し笑ったように――思えた。
「お前だって、初音のいたこの世界が好きだったんじゃないのか?」
ENDの物語 野々村のら @madara0404
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