001

「ねぇ、漸。人は死んだらどうなるのかなぁ?」

「何だよ、急に」

「別に。私もたまにはこういうこと考えてみたりなんかしちゃったんだ」

「……どうにもならないだろ。天国だとか幽霊だとかは、夢みがちな現実逃避者が生んだ幻想だ。死んだら、そこでジ・エンド。続編はない」

「……だよね」

「初音?」

「漸は、そういう人だよね」


          *


 その時彼は、延々と続く長い廊下を歩いていた。足早にならず、ゆっくりと一定のテンポで。目はまるで光を避けているかのように、地面に向けられたまま。まるで自分の家であるかのように、一つの迷いも惑いもなく進んでいた。

 やがて廊下は終わりを迎える。行き止まりのように見えたが、彼はこれが予想していたとでも言うように、静かに足を止めた。

 沈黙。億劫そうに顔が上げられる。彼のあまりにも暗い闇の目が露になる。数秒後、まるで長い間使われていないかのようにぎこちない音をたてながら、機械が起動し始めた。四方のパネルがぼんやりと青く光り、何語なのかもわからない文字が次々に映し出されていく。

 やがて、どこからか機械的な声がした。

『来賀井漸サンデスネ?』

「……あぁ」

 彼は億劫そうに首肯する。するとパネルの文字が端からゆっくりと消えていった。

『声紋一致。中ニオ入リ下サイ』

 青の光も消え、空間に漸が来たときと同じ沈黙が訪れる。数秒後、音なく前の壁がスライドした。漸はその先に足を踏み入れる。

 広い空間だった。一面がガラス張りになっていて、そこから二つの都市が一望できる。闇が溜まる、さっきまで彼が歩いてきた俗に言う〈滅びゆく町(ダイイング ファイア)〉。そしてここ、光の眩しい〈聖都市(シティ)〉。この部屋が最上階だという事もあり、その境界まではっきりと見えた。

「よぉ。遅かったじゃねーか」

 漸が声の方向に目を向けると、少年が客人の方には目もくれず、コンピュータに向かって何かを打ち込んでいた。髪は軽く脱色されていて、小柄な背丈には合わない白衣をだらしない感じに羽織っている。

 王河翼。この空間をたった一人で使っている主であり、漸をここに呼んだ張本人である。少年と言っても、年齢は漸と同じだ。

「…………」

 実際二人は二年ぶりの邂逅である。しかし、翼の態度はまるで昨日も会った友人に対してのもののように、あまりにも気軽で適当だった。現に自分が呼んだ客人に対し未だ一瞥もくれていない。もっとも、それこそが彼王河翼であり、感動的な再会となるほど二人の仲が良かった訳ではないのだが。

 翼は作業が一段落したのか、キーボードを叩く手を止めると、椅子を回して漸の方に向けた。ニヤッと笑いかけられ、漸は頷くことでそれを受ける。

「お前、まだそれ使ってんだな」

 翼は漸の足元に視線を走らせた。義足のことを言っているらしい。

「旧式だろ、それ。今時そんなん超珍しいんじゃねぇの?」

「『こちら側』だとそうかもしれないな。しかし『あちら側』ではそうでもない」

「ふーん?」

 翼は理解していなさそうな顔で首を捻ったが、すぐに興味を失ったらしく、椅子の上で体を伸ばした。

 王河翼――ОGA(オーガ)49。十九年前、政府が国家計画として作ったサンプル、ОGAの唯一の生き残り。ОGAは、選りすぐられた学者たちの手によって現代科学の最先端を使って人為的に作られた、人類において最高知能を持つと言えるであろう、人工人間だ。だが、やはり元々完全ではなかったのだろう、多くのサンプルの多くがまともな精神状態ではなく処分されたり、機能に無理が生じて死に到った。一体何処で間違ってしまったのか、何を間違ってしまったのか。たった一人生き残ったサンプル、ОGA49。それ以降、ОGAが成功した例は未だない。

 けれど、やはり学者たちは失敗したようだと、漸は翼を見る度思う。もっともその知能は期待通り人類として最高レベルを有しているが、彼は口が悪いし、不真面目だ。それに、彼を道具としか思っていない政府の人たちには邪魔な、感情というものを持っている。

 感情。精神。……心。

 漸は観察するように翼を見つめた。

 やはりこいつは、あいつのことが好きだったのだろう、と思いながら。

 そして、泣きたいときも笑っていた、いつもどこか悲しそうな目をした彼女は、今はもう笑うことさえできないのだった。

「……で。何なんだ?」

「は、何が?」

「俺をここに呼び出した理由」

 漸はとてもうざったそうに目を逸らす。

「よっぽどな理由なんだろうな? 二年間も会ってなかった、友人と呼ぶかも怪しい〈滅びゆく町〉の住人を自分の研究室に招いたんだから」

「あぁ、もちろんだ。オレは今、初めてお前という人間を必要としているぜ」

 翼は、窓の向こうの都市を眺めて、笑った。

「やっと見つけたんだ。オレがずっと探してた――」

 それは長い間自分を縛っていた鎖が切れたような、清々しい笑みで。

 見ようによっては美しく。

 それなのにどこか自虐的で。

 恐ろしかった。

「全てを美しく終わらす方法を」


 王河翼は、その言葉を聞いても眉一つ動かさない漸を見て、ニヤッと笑った。この反応――つまり、漸の無反応という反応は、彼の予想通りだったのだろう。

 翼は勢いをつけて立ち上がると、白衣を翻して部屋の奥に進んだ。漸が少し遅れながらもついていく。そこにあったものは、今まで何にも動じなかった彼が思わず足を止めるような光景だった。

 張り巡らされた青いチューブに、ピコン、ピコンと何かの波動を映しているコンピュータ。その中央に、少女がいた。

 白い肌、肩までの茶髪。ベッドに横たわり、眠っている姿まで、それは二年前の彼の記憶から何も変わっていない。コンピュータの音がなければ、眠っているというよりも死んでいるようだ。

「……初音」

「こないだオレが引き取った。どんな治療を施したところで回復する見込みのない昏睡状態の少女なんて、いくらドクターでも面倒を見ることに苦痛を感じていた頃だっただろうから」

 翼はコンピュータをチェックして、調整のようなものを始めた。

 その姿を見ているうちに、ベッドの上の初音を見つめながら彼女の容態を淡々と伝える、二年前の翼を思い出した。あの時、〈滅びゆく町〉の家に帰ったところで連絡を受け、漸は遅れて駆けつけたのだ。医者たちはもう去ったのだろう、誰もいなく、いやに静かだった。ピコン、ピコンとかろうじて彼女の生を証明する音が鳴っていた。

 そこまで思い出し、漸はゆっくりと頭を振った。

「なぁ漸、お前、神って信じるか?」

 唐突に翼が口を開いた。

「何だよ、いきなり」

「いいから」

「……信じるも何も。俺はそういうのは受け入れない主義だから」

「ん、そうだっけな」

 元々特に返事を期待していたわけではないのだろう、興味なさげに呟いて、翼はまたコンピュータの画面に視線を移した。

「だが、この世界に神という存在がいることは確かなんだぜ。最も、この事実はそれこそオレ以外誰も知らねぇだろうけどな」

 何故こんなことを言い始めたのかわからず、漸は黙って翼を見つめた。

「神は三人。それぞれ司るものは違うが、世界の調和のためだけにある存在だ。何だか俺に似てるよな。世界をどうにかするためだけに生まれてきた存在であるオレと……いや、そんなことはどうでもいいか。至極極めてどうでもいい。えっと、何の話だったっけ?」

「……神が、どうとか」

「そうそう。調べてみるとな、明らかにこの世界には穴がある。なんつうか……縫合が粗くてなってないっての? 無理やり力ずくでピースを埋めこまれたパズルっていうか。誰かが、いや何かが、手を加えた跡がある。それこそ絶対神たる三大神の存在の証明だ」

「……ばからしい」

 漸は変わらず無表情で呟いた。

「仮にもОGAが何を言っているんだか。三大神? お前、宗教でも確立するつもりかよ」

「そうだな」

 翼は目を細める。

「なぁ、漸……お前さ、出来すぎてるって思ったことはないか?」

「は?」

「オレには、この世界が世界の終焉に向けてひたすら進んでいるように見えてならない。あらゆる一切の寄り道をせず、最短距離で世界が終わろうとしているとしか思えない。漸、考えてもみろ。オレもお前も初も、誰一人として欠ければ今のこの状況はなかったろう。両親が死に、お前が〈滅びゆく町〉に移り住むことになった三年前のあの事件も、初がこんな状態になった一件も、その時々の世界の在り様も、全ては悪すぎた。最悪だ。世界にとって都合の悪いように悪いように動いているとしか思えない。オレが生まれたことからして既にな。全てが偶然だというよりも、誰かがこの世界を終わらせようとしていて……全ては世界の終焉のための布石に過ぎなかったと考えた方が納得できる。違うか?」

「…………」

「現に今、オレは世界を終わらせるための確固とした理由と力を持って、世界に対しチェックメイトをかけている」

 これだから世界は面白い、と独り言のように翼は呟く。たった今、その世界を終わらそうとしている者らしからぬ発言だった。

「……お前、今までそんなこと調べてたのか。俺は人工知能の研究を進めていると聞いていたんだけど」

「あぁ、もうそれはいいんだ」

「…………?」

 訝しむような漸の視線を無視するように翼は続ける。

「それで、確かにそれによって面白いことはわかったんだが、残念ながらオレは最後まで彼らともう一度会う方法を見つけることができなかった。いや……彼らがもうオレと話すことを望まなかったって、それだけの話か。世界の終わりってやつに一番近い存在だと思ったんだけどな……」

「…………」

 まるで三大神と会ったことがあると言うような言い草だった。

「なんだ。結局、その研究だか調査だかに意味はなかった訳か」

「うん? いや、それは違うぜ。確かにオレの嫌いな言葉の一つに『意味がないものなどこの世にはない』というものがあるが、三大神について調べた時間には意味があった。三大神の一つに循環を司る奴がいてな……つまり生と死。ま、そんなことお前に言っても無駄か。それこそ意味がない。ま、とにかく。膨大な研究に緻密な計算、自問自答の愚問愚答も幾度となく繰り返して、オレは一つの答えを得た。破壊せずに呑む、終わりは始まり、要するにリセット……つまりはそういうことだ」

 満足げに笑う翼。漸は最初から理解する気もないのだろう、視線をその辺の機械に向ける。

「……あいつらは気づいてるだろうな」

「あ? あぁ、あいつらか。狂気のサイキックに、世界最後の純血の占い師。確かに、十分に考えられるな。となると、どこぞの遊び人やこそ泥のアナグマも知っている可能性があるか……アナグマたちは元気か?」

「相変わらず。俺は相当あいつに嫌われてるみたいだから、たまにしか会わないけど。最原兄妹の方は?」

「あれから一回も会ってねぇよ。ま、でもあいつらも変わってねぇだろ。特に兄の方。あいつは殺しても死なねぇだろうよ。それこそ世界が終わりでもしない限りな。ははっ、いやーこれからも二度と会いたくねぇし、関わりたくないな、あの兄妹だけは」

「……初音は」

「あぁ、あいつは誰にでも優しかったから」

 過去形だった。いや、当たり前なのだが。

「……で。結局俺を呼んだ理由は何なんだ?」

「まだわかんねぇのか」

 翼は、いつもとは違う、何処か寂しそうで自虐的な笑みを浮かべた。

「こいつの傍にいることを頼みたかったんだよ。最後の瞬間にな」

 翼は漸の視線から逃れるように背を向けた。避けるように大きく迂回して、元の部屋に歩いていく。

「…………」

 漸は、ここまで来ても――彼が本気だということも、そして彼ならそれをするだけの能力を持っていて、今からそれを実行するのだろうとわかっても尚、表情を動かさない。あぁ、結構遅かったな、とでも言うかのように、昔の友達の後ろ姿を眺めるだけである。

 絵空事のように。他人事のように。

 そして、ただ思い出したように歩み寄り、目を閉じたままの新石初音を見下ろした。

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