第12話 普通の会話

その日の昼休憩は、本社のラウンジで過ごしていた。1月末のある日、午前中の定期講習を本社のフリースペースで受けた後の事だった。今朝スペースに到着して着席している面々を見渡してみると、本社のあいつがルームの隅の方に座っているのが見えた。その時点で、昼の時間潰しは予定が埋まったのだ。


退屈な講習の内容は、一般教養と生活設計に分かれていた。そんな時間は僕を更なる沼に落とし込んだ。今そんな講義の話が入ってくる訳がないのだ。すでに昨日から、あの科長の眼差しがフラッシュバックしていた。


講習は正午に終了した。皆が一斉に立ち上がる中、僕は座ったまま大きく背伸びをしていた。そして気づけば、あいつがこっちに歩いてきていた。


「今日は屋上で食べようや。」


僕がそう提案すると彼は猛反発した。こんな真冬にビルの屋上に出るなんて考えられないのだと言う。僕は人工的な空間に長時間居る事が苦手だから、屋上の緑化された広い中庭でリフレッシュしたかったのだが。。


彼が提案した休憩ラウンジは、本社の中層階にあるカフェスペースだった。細長い注文カウンターを超えた先にはカラフルな丸テーブルが沢山並んでいた。マーブルチョコの様にテーブルが散りばめられた空間は全面ガラス張りの壁に覆われて、今日も今日とて「ガラスの街」が一望できる。


僕達は透明な壁際で空いている数少ないテーブルを探し、カウンターと壁に挟まれ少し奥まった空間に空き席がある事に気がついた。それはライトグリーンのテーブルで、四方を壁に囲まれて景色も間近で眺められる場所だった。


「特等席じゃんか。」


的を射た表現をしたつもりだった。


「おれはどこでもいいけど。」


彼は業務にも場所選びにも無頓着だった。


「貴重な昼休みはいい場所で食いたいだろ?僕は人混みが嫌いなんだ。」


「そうだったのか。初耳だな。」


「最近嫌いになったよ。」


「へへ。レイは色々ありそうだな。」


と言って肩をコンッと突かれた。

僕はガラス張りの景色を背後にして彼と向き合う形で座った。座ってすぐスコーンに齧り付く彼の背後にはカウンターの壁が、木製でしかもラックになっていた。そこに数冊の古そうなタイトルのハードカバーが並んでいる。この店のインテリアだろうか。


「どこ見てんだよ?」


彼はどやしてきた。


「後ろにある本を見てた。これ読んでいいのかな?って、あれ?」


彼が食事のために一瞬頭を下げた時、その背後に聞き覚えのあるタイトルが見えた。「神のいない世界」。。あの時ラジオで聞いていた、あの本に違いない。


「ちょっとさ、後ろの本取ってくれないか?」


「え?ああ、これ?」


彼は造作もなくラックに手を伸ばして、それを手渡してきた。ベージュのハードカバーに印字された黒い文字は、はっきりと読み取れた。


「お前こんなのに興味あんの?」


「いや、よく分からない。ただ知ってるんだ。この本を。」


彼はスピリチュアル系は臭いとでも言いたげな反応をした。見当違いな偏見だ。ここでこの本について感じた事は語るまい。いざ手に取ってみると分厚いと言うこともあり、いつか一人でじっくり読もうと思った。


「ふう。」


僕は一息ついて本をテーブルに寝かせた。


「退屈な講義が終わったな。」


僕は話題を本から遠ざけた。


「ああ、でも俺は苦じゃないよ。楽だからね。」


「お前はそれに尽きるよな。」


あの無意味な3時間で心も体も疲れないと言うのがすごい。彼を見ていると、心のスイッチという存在に実感が湧いてくる。その点では、僕は情緒の管理が苦手なのかもしれない。


「ああそうだ。てかさ、アルコインビルの件見たぜ!」


「それはみんなから言われるよ。みんな言いたい放題だよ。最近はもうほっといてくれって思ってたんだ。」


「うお、言うねえ。」


「それも言われる。」


「別にいいじゃないか。少なくとも俺は賞賛してんだぜ。本当のサイコが社内で生まれたってな。」


やっぱりこいつは斜め上だ。


「それはありがとう。流石ですわ。」


「プロの殺し屋じゃないか。」


すぐ隣のテーブルにいた長髪の女性社員が、チラッとこちらに目線をやってきた。


「ちょっと言葉選べよ。ここではさ。。」


「へへ、失敬。」


やはりこいつには何を言われても心が動揺しない。無頓着で神経質で、時折皮肉とも違う妬みのような言い回しもしてくるのに、どうしてかメンタルは彼の言葉をスルーする。お互いチョコスコーンを頬張りながら話すうちに、僕は昨日の面接で科長に話した事をまた繰り返そうとしていた。


「みんなアルコイン、アルコインって言うけど、僕はあそこで始末した相手に触れてもいないんだよ。」


「へえ、討ち取るだけ取って下がれたならよかったな。後片付けは大抵面倒だって言うぜ。」


「それは知ってるさ。ただ、、何も知らないってのがスッキリしないんだ。相手の素性というか。」


「窃盗じゃなかったのか?」


「そういう事じゃないよ。まあ、感覚的な問題さ。俺の前にまた現れて、俺は言われるがままにそれを消した。それだけだよ。」


僕はすぐ諦めモードに入った。


「なんだよく分からないな。まあ、レイの行動原理は俺からすれば『不思議ちゃん』だからな。敢えて危険地帯に出たり、一人で色々語り出したり。テロリスト並に謎だよ。」


「ほう、お前もテロリストを謎だと思うんだな!」


「謎でしかないでしょう。マネージャー級以上じゃないとアクセスできない情報なんだから。」


「僕は奴らと今まで接触して来たからかもしれないが、色々気になってしまうんだ。まさに奴らの行動原理とか、要はあっちの世界の事を。」


「いいじゃないか。」


「それだけ?お前も謎って言ったじゃんか?」


「謎だし興味はあるけど俺には関係ないね。テロリストの友達がいる訳じゃないし。」


「なんでそう簡単に割り切れる。」


「そういうもんだろ。あくまでも1つのコンテンツさ。」


「奴らもコンテンツかよ(笑)」


「そんな感じじゃないか?さっきの講習でも言ってたじゃないか。コンテンツとしてまとめてシェアする時代なんだって。」


講習中、ポカンと目が泳いで暇そうにしてるこいつから講習の内容が出てくるとは思わなかった。一方の僕はというと、頭の中がスピンして話を聞いていなかった。


「なんかレイを見てるとさ、」


彼の口調が少し変わった。


「何かこだわりが強いように見えるんだよね。もっと丸くなってもいいんじゃないか?」


「こだわりか、、あんまり心当たりがないけど、誰だってあるんじゃないか?」


「そうだけどレイの場合は、なんていうかこだわりが強いよ。それを人にも求めちゃうんじゃないのか?さっき講習で言ってたぜ。『依存』が危ない。何事もバランスってな。」


「それはそうだが、、」


「こんなに保証されたいい暮らしが出来てるんだから、それを真っ直ぐに享受してもいいのになって、おれは時々思うぜ。」


「お前はそれが上手そうだよな。」


「なんにも執着がないからな。こんなに恵まれた暮らしはないよ。でも、お前はなんだか一人でこだわって悩んでるように見えるんだ。」


彼の自己開示がどんどん深まっていく毎に、僕は少し圧迫される思いがした。


「そこが『不思議ちゃん』だって言ったのさ。いっそ、ここの環境に素直になれば楽になるんじゃないか?逆に、どうしてこだわるんだ?」


こだわると言うのは違う気がするが、僕はそれをどう説明していいのか分からない。


「それが、『良い依存』だからか?」


「、、、コンテンツだ。」


僕は苦し紛れにひとこと吐いた。


「なに?」


「みんながコンテンツに見える。まるで遊園地みたいなコンテンツに触れて楽しんでるだけじゃなくて、心そのものがコンテンツみたいに分けられた関心で満たされてるように見える。僕はその根底に、すごく大きな割り切りを感じる。」


「。。。」


「だからかな、僕が自己開示してみると相手にサラッとミュートされる感じがして、僕はそれがとても寂しいんだ。僕はただ、『普通に』話したいだけなんだよ。」


「『普通に』ってのは?」


「まあいいよ。お前の言う通り、僕は不器用だから、心の温め方を人に合わせられないんだよ。」


結局また、自分に全ての原因を差し向けて落ち着かせた。気づけばスコーンはとっくに食べ終わり、振り向くとあの女性の姿はなかった。ラウンジ内は寂しくなりつつあった。


「時間だね。またな。」


僕はこの場を締め括った。


「ふい。」


彼はトレー片手に返却口へ向かうと片手を無気力に挙げて会釈をし、そのままオフィスへ消えて行った。。


自分はと言うと、今日はまた飛行船の夜間巡回だから一度帰宅して休む事にした。気持ちは不完全燃焼だったが、あいつのリアクションを確認できた事自体は成果だった。そしてやはり僕が知りたい世界は、『あそこ』に行かないと見つからないのかもしれない。


ラウンジを去って静かなフロアを歩いていると、僕はまたスピンに陥った。

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