第10話 科長室

その日は寒い曇り空だった。薄い雲が不透明な膜となって空を満遍なく覆い、街全体がモノトーン気味だ。スクランブル交差点ですれ違う人が着ていたベージュのコートや女の人が巻いていた薄灰色のマフラー。ありふれた淡い系の色調はこういう天気の中で、本当によく溶け込んでいる気がする。僕の青白ユニフォームはおおよそ溶け込めない色合いだが、それで周りの視線を感じる事はなかった。K SECはこの街でナチュラルな存在なのだ。


本部に到着。珍しく社用口ではなく正面エントランスから入場した。しかもいつもの防爆スーツではない、慣れない社員服なのだ。まるでクライアントにでもなった様で落ち着かない。大理石の床で覆われたエントランスフロアの中央には円卓があり、受付嬢が何人か座っている。僕は初めに目があった彼女に要件を伝えた。


科長のオフィスは68階。エレベーターの扉が開くと、巨大なビルの反対側まで突き抜ける様に、青いタイルカーペットの床が続いている。その果てしない通路の途中に、僕と同じ社員服を着た人間が1人立っているのが見える。次第にはっきりしてくるシルエットで女性だと分かった。横から分かるポニーテールと黒縁のメガネ。普段、ムサい男達とすれ違う日常の僕からすると、彼女には「K SECらしさ」が無かった。戦闘員だけがK SEC社員ではないのは勿論だが。


「お疲れ様です。」


呼びかけると、ブロンドのポニーをゆらしてこちらを見てきた。メガネ奥の細い瞳がこちらを睨む。ほうれい線が意外と深い事に、横アングルでは気付かなかった。


「あ!マツナガさんですか?」


彼女の返答は率直だった。


「ええ。マツナガです。科長に要件あり参りました。」


「はい、ではこちらの控室で少しお持ち頂いてよろしいでしょうか?情報科長はただいま会議中でして。」


「分かりました。」


会議中という言葉から、科長の仕事の片鱗を感じ取る。時間を割いて面談を設ける事に重みが無いはずがない。


控室に並んだ黒いソファに腰を沈めて待っていた。あのスレンダーな女性社員は秘書か何かだろうか。言葉に慣れた感じも新鮮だ。彼女こそ薄手の社員スーツがとても似合っている気がする。


5分ほど緊張の待機時間を過ごしていると、彼女が再び現れた。


「お待たせしました。科長室へどうぞ。」


「はい。」


僕は控室を出て、彼女の後に続いた。


「緊張されてますか?」


僕の少し緊張した様子に気づいたのか、


「ええ、少し。」


「大丈夫ですよ。」


そう言って彼女の表情は少しくだけた。


「すみません。不慣れなもので。」


「いえいえ!部屋の方へは私も同行しますので、一緒に来てもらえれば大丈夫ですから。」


「それは助かります。ありがとうございます。」


「もしかして、ご自身で入室されると思いましたか?」


「はい、、そうですね。」


「アハハ、そんな事はないですから大丈夫ですよ。科長の方の都合もありますから、私がご案内いたします。」


甲高いおばさんの笑い声が廊下に響いた。そこから何やら彼女のトークスイッチが入ったらしい。


「ええ、ありがとうございます。」


「なんだか、現場の方は結構1人で勝手にノックして入ろうとする方が多いんですよ。ノックして『入ります!!』って、大きな声を上げて入ろうとする方が居るんですよ。」


「はあ、そうなんですね。」


『入ります!!』のセリフだけ抑揚をつけて、彼女はピンと背筋を伸ばして見せた。それは軍人の“気をつけ”の姿勢を真似たものだった。彼女はそのまま口を手で押さえて笑っている。


「時々居られるんですよ!軍隊式なのかしら。元軍人のエンフォーサーも沢山おられるみたいですから、昔の風習が焼き付いているんでしょうかね?でもここは軍隊じゃありませんから(笑)。」


話しながら彼女と目が合う度に、まるで自分に対して笑っているように感じ取れて気が障りかけた。


「そうなんですね。確かにそうですよね。」


ここが軍隊ではないという言葉。。

業態上は確かにその通りだが、当たり前の様に言われると認識のギャップを感じてしまう。


そうこうしている内に、科長室の前に着いた。

部屋の扉は木造でシックな雰囲気を出している。明らかに他の部屋とは入口から差別化されている。


コンコン、ガチャッ


「科長、マツナガを連れて参りました。」


「うん。」


初めて聞こえた科長の声は、抑揚の少ないローなトーン。


「あちらにどうぞ。」


彼女は、科長のデスクの手前にある長テーブルを示してきた。そこにはパイプ椅子が引っ込んでいる。デスクの向こうには、こちらを向いている人間が1人。あれが科長か。まだ顔がわからない。PCのディスプレイが机上に2つ並んでいて科長の顔を隠している。今でもカタカタとキータッチ音だけ聞こえてくる。


僕はパイプ椅子に至る前に、キョロっと目を動かして部屋を物色した。そこは木の香りが漂うシックなムードに包まれた静寂な書斎、、、という感じは微塵もなく、フロアと同じブルーのカーペットが敷かれた普通のミーティングルームだった。特色があるとすれば、壁に徽章や勲章と思しきバッチが飾られていたり、先代の役員と思しき人間の肖像が並べられている。


「失礼致します。」


「ああ、急に呼んですまない。そこに座ってくれ。」


「はい。」


低トーンで周りの空気を震えさせるような声だった。荒い感じではなく、どちらかといえば落ち着いた声だ。大人しく椅子を引いてそっと座った時、科長の顔が見えた。白い肌に彫りの深い顔、高い鼻にグレーの目。まだ何かを打ち込んでいる彼はこちらを見ない。


「うん。ではね、、」


と言ってキーボードから手を離し、デスクにあったクリアファイルを手に取って眺めだした。僕の個人資料だろうか。科長の鋭い目が紙面からこちらに移った時、僕は思わず唾を呑んだ。

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