第9話 空白

検問所に張り付いたままの一夜が明けた。トラックのドライバーを引き止めては行き先を確認するという作業は、日が昇るまで続いた。眠気と釣り合わない陽気な太陽に晒されながら、ゼンマイ人形のように動き回った。気づけばターミナルも騒がしくなり、貨物の運搬でガシャガシャとコンテナを運ぶ音がそこかしこで反響している。


「撤収!」


僕が道路上で交通誘導のために突っ立っていたとき、検問所の中から例のスモーカーの奴が顔を出して叫んできた。その言葉を聞いて脱力した。


臨時検問で展開していた赤いコーンをさっさと回収して、器材倉庫に投げ込んだ。愛しの兵員室に舞い戻ると、メンバーたちの表情は疲れていた。顔が浮腫んで、眼の下には薄っすらと隈が浮かんでいる。検問は案外手の掛かる仕事だったのだ。


「吸うか?」


「ええ。」


スモーカーから素気なく手渡された14タールに火を点けた。その時、タバコの美味さを久々に思い出した。狭い防弾ガラスの小窓から陽が差しこんで、湧き上がる煙に影を与えた。


家に着くと、閉じたままのカーテンが日差しを遮っていた。床には脱ぎ捨てた下着が散乱し、出発前の状況そのままになっている。その頃の記憶は、もう数日前の事に思えた。


防爆スーツのジッパーを下ろして襟から股まで一気に開くと、両肩の緊張が完全に抜けた。シャワーで汚れを落としたい。色んな意味で。


シャワーを浴びながら目を閉じていると、あらゆるフラストレーションが走馬灯になって湧き出てきた。タスクを片付けたのにパッとしない。親友に拒まれた事、地下ドッグで起こった事、同僚の噂話。。。


友人とも同僚達とも、味わった事の無いような空白を感じる羽目になった。ふっと、片手を大理石の壁についた。俯瞰できない闇に沈んでしまいそうだ。その時、温度のノブをゼロになるまで回した。そのまま10分は浴びていただろうか。僕は冷水の滝で意識を紛らわそうとした。それも結局、冷水に身体が慣れれば辞めてしまった。


シャワーから出てスマホを手に取ると、新たな通知が来ていた。本部からの個人宛メールだが、タグの色は低い優先度を示すグリーンだった。開いたらおしまいだ。僕はそのまま眠りに就いた。


。。。


熱で学校を休んだ日にうなされながら見るような、鮮明で尚且つ憂鬱な夢を見ていた気がする。

それでも一旦目覚めると、身体はすぐにメールチェックに走った。それは本部総合情報科長からのメッセージだった。驚いたのは内容で、業務報告的なコピペ文ではなく、伝えたい意図が人為で打ち込まれているものだった。これは情報科長が直々に打ち込んだものなのだろうか?


要すると、話があるから顔を出せとの事だった。日時は3日後。その時点で重複するシフトは調整するとまで言ってきている。その日は休みだから調整の必要はない。上級幹部の唐突な呼びかけと配慮に対して、不慣れな言い回しで返信するわけにはいかない。何度も打ち直して修正した返答文を送った。


それから2日間、僕が外に出る事はなかった。風邪を引いたのだった。帰ってきたあの朝、眠りにつく前から少し喉に掠れるような感覚があったのだ。科長と面談する日までの間に、ひとつだけ終日シフトが入っていたのだが、その日は休暇願いを提出した。部屋で引きこもるのも悪い気分ではなかった。心も体も弱っていたのかもしれない。


そんなモラトリアムも今日の午前中で終わり。午後3時の面談に向けて支度をする。今日の場合はいつもの防爆スーツではなく、社員服になるだろう。入社日以来、ほぼ着ることがなくクローゼットの端に追いやっていたスーツだった。柄は防爆スーツと同じ白地に青のストライプだが、根本的に戦闘を考慮していない普通の衣服だ。カビが付いてなくて安心した。


部屋を出た途端に感じるのは久々の冷気。出勤日に引き戻されたようだ。本部は目と鼻の先だから徒歩で向かう。その途中、スクランブル交差点で信号を待っていると、対岸のビルに浮かぶスクリーン上で何やら記者会見のような光景が映し出されていた。スーツを着た中高年の男達が3、4人、記者団のフラッシュに晒されている。


「市街中心部でのテロ発生を許した事について、警備担当としてどうお考えですか?」


「はい、、そこに関しましても、現在原因究明中であります。現時点においては、確保した被疑者より状況を洗い出していきたいと考えている次第であります。」


担当官と札の下がった役員が、記者に対して応答していた。


「我々市民は急に生活を制限され、またその明確な理由も聞かされていません。」


「はい、、ですから現時点においては、、」


この担当官の役員は言葉に困っている状況を隠しきれていないようだ。記者に返答しようにもまだ具体的に答えられる段階ではないのだろう。その時、


「えー、あちこちの業者や。。」


端の席に座っていたCEOが唐突に口を開いた。それは役員の声より数段は明瞭な声で、圧さえ感じさせた。


「あちこちの業界や機関の顔色を伺いながら、犯人を野放しにしろと仰るのですか?」


「。。。」


記者達は沈黙し、番組のカメラがCEOの方にフォーカスする。


「もし貴方がその様に進言なさるのであれば、我々は喜んで対応しますよ。」


記者達がざわつく様子が写っている。その中で、今度は別の記者が言葉を投げかけた。


「今回、K SECの動き出しが随分と早かった様じゃないですか!」


「それが?早い事に何か問題がありますか?」


CEOはマシンのように淡々と答える男だった。記者の質問責めなど造作もない。カメラのアングルのせいかもしれないが、少し首を傾げているようにも見えた。どんな人生を経れば、こんな空気を纏う様になるのだろうか?


スクリーンの端をよく見ると日付が打ってある。その時、この会見がアーカイブだという事に気がついた。もう2日前の出来事だったのだ。部屋からたったの3日出ないだけでも情報網から取り残されてしまう。


信号が青になると、本部はもう目の前だった。

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