第5話 神様のいない街 (下)

飛行船はさっきまでとは打って変わってビル街に入りつつあった。段々と近づいてくる高層ビルの姿はどんどん大きくなり、まだ明かりが消えていないフロアに目をやると、白いデスクの前で座り込む人影も見える。あそこにいる人たちは、僕みたいな夜間シフトという感じには見えない。


高層ビルという立体物に囲まれると、自分が500mという高所にいるという実感が増してくる。さっきまでの包まれる様な波の中にいた頃とは居心地がまるで違う。


「私の本をみて、科学を否定していると捉える方は大勢います。しかしそれは事実ではありません。私が言いたいのは、排他性を帯びた科学至上主義なのです。かつての民衆も現代の文明市民も、神や科学的根拠といった抽象的な何かを前提として生活している点では変わりません。」


「ブーッ、ブーッ、コードB、コードB」


その時、作戦通信用のヘッドマイクにブザーが鳴り響いた。一瞬で身体に電撃が走る。上空からの支援を求める信号だった。ラジオを聞いていたイヤホンを外そうと一瞬手が伸びたが、まだ踏みとどまった。


「L-2地区巡回中の20〜40に伝達。窃盗事案発生。場所はアルコインビル15階。被疑者は1名。20〜40で最寄りのものは直ちに降下。」


本部要員の若干くぐもった声が両耳から響いてくる。僕はその時、あろうことか目標の直上にいた。目標を示すスポットが足元の方に見える。そこまで高いビルではない様で、ここからでははるか下方に埋もれた存在だ。


「こちら20。現在当該地区の直上にいる為、降下する。」


「了。被疑者の詳細は追って伝達する。アルコインビルの屋上付近で待機せよ。」


「了。」


もう一度エネルギーユニットを触って確かめる。

問題ないことを確信して、船長に離脱の旨を伝える。


「了解。ぶら下げた足引っ掛けんなよ!グッ、ラック!」


船長のやる気のない声は、いつもより少し力がこもっていた。


「スピルマンさん。どうもこの度はありがとうございました。」


ああラジオ。。聞いてなかった。もはやノイズと化していた。しょうがない。でもありがとう、本買います。


背中のケーブルが切り離されたことを確信すると2秒ほどゴンドラと同じ高度を維持してからバーニアの噴射を切る。すると目標目掛けて頭からダイブが始まる。


目標の居る建物は高層ビルだが目立つほどではない。そのためワレの高度からはずっと下方に見えている。すぐ隣の超高層ビルには屋上庭園のような緑の空間が見えるが、それを全力で素通りして、さらに下へ下へ目的地へ真っ逆さまに向かう。


目標位置を指すスポットは未だにビルの中腹、それも白い外壁の真ん中を指している。敵は恐らくまだ建物の奥にいる。内部にいるならそれは駐留員が対処する。窓際や屋上まで姿を現せばこちらの仕事になる。


屋上はすでに非常用のスポットライトで照らされており、索敵は難しくなさそうだ。屋上の白いコンクリの床肌が照り返している。


目標のビーコンが次第に近づいてくる。唾を飲んだ。心臓が高鳴り出したその時、屋上のドアが開くのが見えた。人がいる!目立たない同系色の服に縦一線が入っているのが分かる。恐らくジャージだ。目標と見て間違いなさそうだ。


「20、20、HQ。R使用許可。」


その時、本部からの通信を受けた。

Rは実弾だ。周りに人がいないから撃っていいと言うことだろう。しかし今右腕にマウントされたマシンガンユニットには、暴徒鎮圧用の電気ショック弾が込めてある。それが標準装備だからだ。一瞬の焦りと、ショック弾でもまだ相手を足止めできるという希望に囚われて身体がフリーズした。


「Rだ!R!」


「了。」


右腕に巻き付けてある操作端末に触れて弾種を変更した。ジョイパッドの方向キーのようなボタン操作で一瞬にして銃身の奥には実体弾が装填された。


その時、彼はすでに走り出していた。屋上の貯水タンクやキャットウォークを抜けて一目散にビルの際に迫ろうとしている。反対側のビルに飛び移るつもりなのだろうか。


BRRRRR!!!


彼の進路少し前を偏差で射撃した。黒っぽいジャージ男は何かに躓いたような挙動で床に突っ伏した。彼の周りには白い砂煙が上がっている。弾丸でコンクリートの床が砕かれたのだ。


僕は空中を舞いながらも、火薬と銃身が放つ熱気に晒されていた。少しづつ目標へ舵を切っていく。


後、十数メートルでビルに足が付くかというあたりで、屋上の非常扉が再び開いて警備服を着た人間達がぞろぞろと出てきた。いずれも警棒を片手に、恐らく屍となったであろう目標へと向かっていく。


彼らに少し遅れて。僕も同じ地を踏んだ。


「お疲れ様です。」


とりあえずは挨拶を交わそうとした。

相手方の内一人が無言ですっと右手を上げて敬礼してきた。すでに別の隊員がヘッドマイクに人差し指を押し当てて報告を始めている。


僕も同じプロセスを追った。動かなくなった男はうつ伏せで寝ているように四肢をまっすぐ伸ばして倒れていた。そして僕の通信が終わる頃には、数人がかりで男を担いで下のフロアへと運ぼうとしていた。


ただそれだけだった。

目立った物損がないため、彼らはこちらに言いたいことがないのだろう。貯水タンクにも命中しなくてよかった。僕は安堵してその場に留まり、本部からの指示を待つことにした。


ようやく僕の身体の緊張がほぐれだして、そのとき初めて体温を悟った。防爆スーツと肌の間には汗が滲みていて、冷たい外気が中まで伝わってくる。ここは寒い。。


ふと見上げると、ちょうど真上には白い月があった。冬の澄んだ空のせいか、少し月が大きく見えた。

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