第3話 陽の当たらない場所
ピピピピピ、ピピピピピ
バァン!
仕込んでおいた目覚ましに夢を飛ばされて、目をぱっちりと開けた時には枕の上にある時計をすでに叩き落としていた。
いい寝起きではない。しかしカーテンの隙間からは明るい陽光が差し、今日1日の勤務に晴れ模様が思い浮かぶ。
いや、、今日の現場は地下ドックだから陽は差さないのか。そんなことが頭を巡りながら、体は洗面台とクローゼットの間を行き来していた。洗面を済ませてシャツを着る。そして最後に、白地に青いストライプの入った防爆スーツのジッパーを喉元まで上げ切って、出勤の準備が終わる。ヘッドマイクも充電済みだ。
玄関脇のルームカードキーを引き抜いて部屋を後にする。出張者向けに充てられたDクラス職員用の住居だったが決して悪くはなかった。静かで臭いもなく、欠点と言われがちな部屋の狭さもむしろ落ち着けて良かった。ここは都心の中でも中心部だから気が張ってしまうのだ。
現場はモノレールで僅か3駅のところにある。地下ドックと聞いていたそれは、公式にはセントラルターミナルと呼ばれる巨大な地下交通ハブだった。地下といってもまるでクレーターのような形をした巨大な吹抜けになっており、午前中の陽光がそのまま地下ドックを照らしているようだ。列車内からそのクレーターを見下した時は、奈落のようなスケールに圧倒された。
モノレール駅の通路から直接、勤務員用のドックに向かう事ができる。ドックに向かう途中の通路脇でひとつの事務所を見つけた。朝から甲高い声が飛び交っていて落ち着きがない。だが入り口の前には提携先の企業名が札の中に記されている。残念ながら今日はここだ。入りたくない。
歩調を落として入り口に近づいていると、廊下の正面からグレーの作業着を着た男が歩いてくる。色黒で眉間とほうれい線にシワがくっきりと出ている。雰囲気的に外国人だろうか。彼は明らかにこちらを見ている。もしかしたら今日の担当か。
「K SECか?」
といきなり一言お尋ねを受けた。現場という感じがそのまま外様の人間である僕にも降りかかったようだ。
「はい!8時からB-4担当の者です。よろしくお願いします。」
彼は無言で頷くと、こっちだと言って廊下の向こうに導いてくれた。
「ここは何回目だい?」
歩きながらの会話が始まる。
「今回が初めてです。」
「マジかよ。重要なブツなのに素人を呼んだのか。」
「え?」
「まあいいや。とりあえず今日一日、ここの事でわからない事があればおれに聞いてくれ。ここのチーフだ。よろしく!」
「はい。今日一日よろしくお願いします。」
「初めてだし遠慮なく聞いてくれ。」
「ありがとうございます。」
そうこう話しているうちに、開けた空間に出た。クレーターの中の通路だ。朝陽が眩しい。今歩いている足場は橋のように浮いていて、クレーターのど真ん中へと進んでいるような気分だった。そして前方に金網のフェンスが見えてきた。フェンスはよくみるとエレベータの壁だった。現場でよく見かける貨物移送用の大型エレベータだ。カフェのワンフロア分くらいの面積をフェンスが覆っている。
そこに入るとフェンスの際にボタンボックスがあった。いくつかのボタンが見えるが、彼はその中の下向きの三角形をしたボタンを押した。すると地震が起きたような衝撃ののち、このワンフロアがゆっくりと下降し始める。彼が押したボタンは今、緑色に光っている。
エレベータのフェンス越しにこのクレーターを一望する事ができた。フェンスだけが壁なのだ。天井もない。ゆっくりとこの大穴の中に入り込んでいくのが風を感じながら分かる。
そうやって情景の変化に惑いながらしばらく沈黙が続いていたが、ふとした時に彼が話し始めた。
「この街が面白いのはよ、地下が全てってことなんだわな。」
急な語りか。とっさに、今朝感じたことを言葉にして返答した。
「このドッグには初めて来ましたが、規模といい物資といい圧倒的ですね。」
「おれはこの街にあんたらK SECが来る前からドッグで働いてきた。地下はいろんな人間や情報が溢れてて面白いぜ。唯一地獄なのは女がいないことだ。」
「女性の職員の方はおられないのですか?
さっき事務所を通りがかった時に見かけましたが、、」
「アホか!地下に来る女なんてみんなタコみてえなのしか居ねえよ!みんな火星人だ。火星人。」
その瞬間、くすぶっていた笑いのタネが爆発した。
「このクソでかいクレーターを作ったのも異星人のアイツらに違いないんだ。こんな地獄みたいな場所に居座りやがってよ。」
地下がこの街の全てだとさっき言ったばかりじゃないか。彼の飛ばすネタは明らかにネタだが、本気で訴えるように言うのでさらに笑いを誘った。
エレベーターは着実に降りていく。はるか下方でクロスする線路を見下ろしていたのも束の間、今ではそれらを通り越して奈落の底に着こうとしている。上を見上げると、巨大な穴の中を針金のように交差する通路が陽光を遮っている。そしてエレベータは遂に基底部に到達して静かに停止した。
「こっちだ。」
エレベータが開くと同時に、彼はドックの奥を指して引率を始めた。
こんなところで何を取引するんだろうか。
「今回はホントに大荷物だよ。まったく。。」
チーフが吐き捨てるように言った。
「K SEC宛の荷物ですよね?一体どんなものなんだか。」
「おっ、何も聞かされてないのかい?」
チーフはこちらを振り返る。
「ええ、自分は何も。」
「なるほど。まあアレだわ、ちょっと物騒になるから見えるところでは取引したくないってことさ。」
チーフは知っているのか。一体なんなんだろうか。この聞きづらい雰囲気といい、ますます気になるじゃないか。
その時ふと、本部で耳にした話を思い出した。このドックの構造についてだ。下に行けば行くほど遠隔地からの物資になる。下に行けば行くほど近場をつなぐ無駄な路線が省かれて、遠方とを直接つなぐ路線が伸びているからだ。
そう思うととてつもなくレアで高価な商品が、遠くからもたらされたのかもしれない。あるいは膨大な量の資源とか資材かな。ともあれ妄想が絶えない。
ドック内の長距離輸送路を5分ほど歩いて、今回警備を担当するエリアに到着した。そこには10本近い線路がはるか彼方の大型トンネルの闇の中まで真っ直ぐ伸びている。ここからだと、線路を越えた反対側にいる人たちは豆のように小さく見える。
そしてチーフの担当となる「荷物」は最も手前の線路際にあった。今ちょうど列車から全ての荷物が降ろされた所だと言う。運んできたという貨物列車はコンテナが無限に続くくらい長く、そして錆びれていた。そして、そのコンテナを引いて来たであろう先頭車両が印象的で目に止まった。それはどこか懐かしいような、不思議な丸みを帯びた形で銀色をしていた。くすんだ銀色の胴体に横一本の赤いラインが入っている。別に鉄道に詳しいわけではないが、なんとなく異質な、異国という感じがした。まるで子供の頃に買ってもらったブリキの機関車みたいだ。
その巨大なブリキ細工に近づくにつれて、後ろに並ぶ「荷物」の正体も分かってきた。それはゴージャスな見た目の商品でも、天然資源を詰めたタンクでもなかった。
これは、、、
黒塗りのトラックのような車が貨物線路に沿うように果てしなく並んでいる。少し認識を切り替えてみると、それらが全て軍用車両だということに気がついた。黒い表面は恐らく全てが分厚い装甲板なのだろう。
「これは、、戦車ですか?」
「厳密には装甲戦闘車及びMRAPだな。」
「装甲車。。
こんな数がいったいどこから、、」
「どこか知りたいかい?」
チーフは得意気だ。
「ええ、とても気になります。私は何も聞かされていないので。」
「線路でつながっている国だよ。要は大陸の上の方。」
「大陸の上っていっぱいありますが、、どこだろう。」
冗談じみたクイズを受け止める余裕もないくらい、その時は動揺していた。
「ふふ。おれも昨日この情報を知らされてびっくりしたよ。ロシアだってさ。」
「ロシアか。確かに大陸だ。」
「ロシアは今、戦争の影響で資源と兵器の価格が下落しまくってる。そこにつけ込んで、ロシアからオイルに次いで武器も大量に買い叩いたらしいぜ。」
「そんなのニュースでも聞いたことがない。」
「報じる必要がないからだろう。騒がれたくもないだろうしな。」
「そんなあっさり、、」
もう言葉を失いそうだ。
「そんなもんさ。
まあこの街は国家に依存しないから、その特性を惜しげもなく使ったってことだな。」
そうかそうかと聞いていると、これら目の前にあるものが自分の会社に持ち込まれることになるのかという実感が湧き始めた。
「しかし、こんな大量に安価な兵器がK SECに流れてくる事になるのか。。」
と、苦し紛れに返答した。
「兵器自体の質が低いわけじゃない。役員さん達はそう考えてるようだ。オイルも同じだな。今が底値だと思って買い揃えたんだとよ。」
「ふうん。」
「おたくらの会社の話だぜ?」
「ええ。ですが何も聞かされていないので。」
「ふむ。なるほどな。まあ拡散されて嬉しい情報でもないだろうからな。」
概ねの事実を受け止めて少し落ち着きを取り戻し、眼前に並ぶ黒塗りの果てしない車列を眺めながらふと思った。
「コイツらはこれからどこへいくんでしょう?」
「アフリカか中東じゃないか?」
「え?どうしてです?」
「戦争だよ。」
「戦争って、、この街がどこかに仕掛けるんですか?」
「まあ仕掛けるというか、クライアントの国や組織に付いて戦うんだろう。普通のPMCさ。」
チーフは淡々と答えてくれる。さっきまでの馬鹿なノリのチーフとは少し様子が変わっていた。チーフ自身もこの件に興味を持っていそうだった。
「いつからそんな事業が、、」
と、僕は思わず口にした。多少のショックはあったがそれ以上に興味が勝っていた。
「それはおたくの上司に聞いておくんなし。
でもきっと事業としては儲かるぜ? あんたも出稼ぎなら一回行ってみるといいんじゃないか?あんまり無責任なことは言えんが。」
「うーん
ギャラ次第ですかね〜。」
「ははっ、やっぱりおたくも地上の人だな。
期間、配置場所、ポストで全部変わってくるからなんとも言えんが、まあ最低でも一般枠の5倍くらいはいくって聞いた事がある。」
「ふうん。」
ギャラがいいとなれば、この一瞬でも参加を考えてしまう自分にハッと気がついて戦慄した。この街が急に戦争を始めるという事が、あたかも次に用意されたタスクのように始まろうとしている。
「ですが、、」
「ん?」
僕は理性面をして、話の方向を変えてみることにした。
「そんな事業に継続性があるのでしょうか?戦争なら死人が出ます。この街も所詮は街程度の人口だから、死人が出れば目立って騒ぎになってしまう。」
「多分、外から人を募って送り出すんだろう。この街はきっと手数料で儲けるのさ。」
「、、、なるほど。」
「それに、たとえこの街の人間が送られるとしても、いちいち巷が気にするとは思えないな。『お隣さんの部署の勤務員が減ったんだって。ヒャー怖いわねえ』って噂で消化されちまってそれでおしまいだろう。」
「。。。」
妙にピンとくるから何も言えない。
「地上の人間なんてそんなもんさ。」
「、、、流石にみんなヒトの死は意識するかもしれない。ただ、忘れていくのも早い。そんな気がします。」
「妥当だな。
まあ重く考えなさんな。ここは稼ぐための街だと思えばいいんだ。仕事も娯楽もカネなのさ。」
「そうですね。」
「ああ。じゃあそろそろオレは行くわ。あの車列の移送作業に関わってるんでね。ちょっとあそこに見えてるイカした一台をカスタマイズしてくるぜ。」
「あの装甲車を愛車にでもするんですか?」
「そうさ。実は最近キャンプにハマっててな。あの鉄の塊なら冬のキャンプも快適そうだと思ったんだ。上司にはひとこと言っといてよ!一両ロストしたって!」
「ロストじゃあ済まない(笑)
でもキャンプならご一緒したいですよ!」
その辺りで会話は締めくくられ、お互いが持ち場へ移っていった。今後、ここに再び配置される事がなければ、もう2度とチーフと会うこともないだろう。それから午後にシフトが終わるまでは輸送警戒員として、貨物列車がやってきたトンネルの暗闇に銃を向けながら立ち尽くしていた。
トンネルは遠くから時々聞こえる作業員達の音を除けば、とても静かだった。反響音などもなく、空気の流れすら感じない静寂だった。まるで雪が積もった時のようだ。あまりにも静かすぎると、耳に残っていた雑音が次第に大きく感じられるようになり、キーンという一定の耳鳴りにしばらくの間晒されていた。街で暮らしていれば、いかに雑音に晒されているかを実感した。
警戒中は沈黙を貫いたが、頭の中では午前中の会話が爪痕を残していて何度も脳内再生されていた。
『おたくらのことだぜ?』
自分は何も犯していないし仕事は全て果たしている。
ただそれでも、何か自分が心の奥底で避けてきたような空白に釘を刺されたような気持ちになった。何も知らないんだなと無知を言い渡されたかのようだ。
その日から僕は、文字通りの地下情報であるこの街の地下世界に探りを入れることに興味をそそられたのだった。
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