7-8.つまりは、どういうこと?
「恋に狂って、嫉妬に身を焦がして、やってはいけないとわかっていることに手を出して、ぐちゃぐちゃになって――」
どんどんと全身に力がこもり、肩をいからせたアルミュカだったが、ふっと全身から力を抜く。
「――いいえ、わたくしのこと以外でそんな醜態を見せるお兄さまなんて見たくありませんもの。お兄さまはこのまま、誰のことも欲しがらない、誰のものにもならない、そんなお兄さまでいてくださいませ」
彼女は魔法使いではない。だから、魔法で呪いをかけることはできない。
それなのに、彼女の言葉の端々に呪いが宿っているようで、寒気を感じたロアは自分を包むカーテンをぎゅっと引き寄せた。
自分のものにならぬのなら、誰のものにもならなければいい、と。
最後まで彼女はノーザレイの幸福ではなく、自分の欲望を語る。
「それではごきげんよう、お兄さま」
完璧なお辞儀をしてみせたアルミュカだったが、身を起こすとノーザレイの肩に手を置いて伸びあがり、ちゅっと音を立てて彼の唇をかすめとった。ノーザレイは目を細めただけで何も言わず、アルミュカを見下ろす。
「アルミュカは、お兄さまをお慕い申し上げておりました」
ノーザレイに認められずともそれだけは真実なのだと胸を張り、意地であるかのように最後に完璧に美しく華やかな笑みを浮かべた。それから、くるりときびすを返して部屋を出ていく。
すっと背筋の伸びたドレスの後姿が消えるのを見送り、ノーザレイはそっとサロンの扉を閉めた。表情はいつもどおり感情の感じられない無表情だが、どこか沈んだ気配を感じてロアは眉を下げた。
彼はやさしい人だ。
たぶん、ロアよりもずっとやさしい。
アルミュカはひどいと彼をなじったけれど、あれは彼女にとっていちばん寛容な処分だった。
他人を呪う、というのは、それだけの罪だ。
だけれど――とも思う。
自分ひとりの問題であったならばロアがアルミュカを許したのと同じように、ノーザレイだってきっと自分ひとりの問題だったならばアルミュカを許しただろう。
呪われたのが自分で、周囲に影響が及ばなかったならば。
彼がそうできなかったのは、レイナーナの言うところの「天秤のもう一方」――うぬぼれでないのならば、ロアのせいだ。
婚約者や恋愛対象としては見ることができなくとも、ノーザレイはノーザレイなりにあの従妹のことを気にかけてきたはずだ。そんな彼女に自ら処分を下し、その上あんなことを言われ、感情が表に出ていなくとも重荷に感じていないわけがない。
少しだけ迷ってから、カーテンの陰から出ると、ノーザレイのそばまで行く。
「少佐?」
神妙な表情で近寄ってきたロアにノーザレイは不思議そうな顔をして身体ごと振り返ろうとしたが、それより先に服の背中をぎゅっとつかむ。
「そのままでいて」
さすがに今の格好のまま向かい合うのは恥ずかしいのだ。戸惑った雰囲気を感じたものの、ノーザレイはロアの言うとおり振り返るのはあきらめてじっとしていてくれる。
「たい――レイ」
大尉、と呼びかけようとして、言いなおす。これは、上官としてではなく、十年来の友人としての言葉だ。
いつの間にか自分のものよりずっと広くなってしまった背中――大柄で筋骨隆々としたロアの父と比べればずっとずっと細身だが、それでもロアとはぜんぜん違う――に額を押し付け、誓うように強い思いを込めて口にする。
「わたしは、君といるから」
何のことだ、と思われるかもしれないが、言っておきたかった。
「君がわたしのことをどう思おうが、わたしは、いるから」
いつか、もしかしたらお互いに恋人ができたとしても、ロアは彼が呼んだらどこにだって駆けつける。
ノーザレイがロアを欲しがらなくても、ノーザレイがロアのものでなくても、自分たちはちゃんとつながっていられるから。
だから、アルミュカが残した言葉なんて気にしないで。彼女の宿した炎のような想いだけが、君と誰かを結びつけるわけじゃない。
そんな思いを込めて額をぐりぐり押し付ける。
もしかしたらこれは見当違いな言葉なのかもしれない、と思ったものの、ほっとノーザレイが息を吐いた気配に大きく間違えてはいなかったかもしれない、と安堵する。
ロアがしがみつくノーザレイの背中から力が抜けて、わずかにこちらへ寄りかかるように重心が移動した。
なんとなく、ノーザレイが表情をゆるめているような気がする。
「……それは、心強いです」
そう言った声もやわらかい。
「ふふふ、君が頼ってくれるとわたしもうれしい」
よかった、とロアも目を細めていると、どうしてだかノーザレイの背中が再びわずかに強ばった。ん、と首をかしげつつくっつけていた額を離したところで、ロアがつかんでいた手を強引に振りほどくように彼が振り返った。
おだやかなのに緊張しているような、矛盾をはらんだ色を浮かべた青い目がこちらを見下ろしてくる。
どこかぎこちなく持ち上がった腕が、ロアの肩をつかもうとして――。
「どういうことになったのか、説明してちょうだい!」
勢いよくサロンへ戻ってきたレイナーナの登場に、ノーザレイは自分でも戸惑ったように腕を引いて――すぐにいつもの落ち着いた表情で母親を振り返った。
「母上。ちょうどいいところにいらっしゃいました。少佐にドレスをご用意いただきたいのですが」
声をかけられたレイナーナはロアの姿を認め、ぱっと顔を輝かせる。
「まぁっ! 元の姿に戻ったのね! よかったわぁ。さ、こっちにいらっしゃい。うちの息子とはいえ、そんな恰好で殿方の前にいるものではありませんからね」
さあこっち、と手を引かれたロアは、ちらりとノーザレイを振り返ったが、彼はいつもと変わらぬ静かな表情でこちらを見ているだけだ。
レイナーナが来る直前の彼はいつもと違っていたような気がしたのだが――気のせいかもしれないな、と気分の切り替えの早いロアはうなずいて、それきりすっかり忘れ去ってしまったのだった。
ちなみに、その後のレイナーナのドレス選びが過酷を極め、正直魔獣討伐の方がいくぶんまし、というありさまだったことも忘却に一躍買ったことを付け加えておく。
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