7-7.つまりは、どういうこと?
「教えなさい、アルミュカ。……教えなければ、呪い返しを依頼します」
呪いをきれいに解くのは、呪いを返す数倍むずかしい。返すだけならば呪いの仕組みがわかっていなくとも力ずくで魔法を破るか「反射」すればよいが、解くとなると呪いを構成する魔力を決まった手順で解く必要があるからだ。
力ずくで魔法を破る方法は呪われている側にも反動が来る可能性があるが、「反射」を得意とする魔法使いならば呪術師と依頼主――呪いの意思の源――にだけ呪いを返せる。
つまり、ノーザレイはアルミュカに「ねずみになるか?」と言っているのだ。
ロアはそんなつもりないのだが。
この期に及んで、と言われるかもしれないが、やはり見るからに繊細な美少女をねずみに変えるのは心が痛む。
「そんな脅しをおかけにならずともお答えしますわ」
肩をすくめたアルミュカの口元がはっきりと笑みを形作る。
「簡単なことです」
色を失った目をしたノーザレイと、身を乗り出して息を呑むロアに向かって彼女は言う。
「呪いは祝福のくちづけで解けます」
「……なんて?」
『んん?』
ノーザレイとロアの反応が期待通りだったらしく、アルミュカは笑みを深めた。まるで会心の嫌がらせが成功したかのように――たいそう意地悪く、それなのにどこまでも愛らしく。
「お兄さまがウェロック少佐――そのねずみにくちづければよいのです」
小首をかしげ、ねぇ簡単でしょう、と目を細める少女に、ロアは耳の後ろをくしくしとかいた。
『容赦ないなぁ』
風にも負けそうな花のごとき令嬢に見えて、こういうところはアーケルミア家――軍門の名家――の性質を感じる。
もっとも相手の嫌がること、苦手とすること、選びがたいことを的確に突く――勝つために必要なことだ。
残念だが正攻法の解呪法は使えないか――とロアは思ったのだが。
「それだけでいいんですか?」
その場に響いた感情のにじまぬノーザレイの声に、ロアと、アルミュカは瞬きを繰り返す。
「それだけ、とはおっしゃいますけれど、ねずみですよ? お兄さまの大嫌いな――」
『大尉。君が無理しなくてもなんとか――』
時間がかかるかもしれないがリナ姉さまなら何とかしてくれる、あの人呪いマニアだから――とロアは続けようとしたのだが、それより早く、ノーザレイがロアのいる机の前まですたすたと歩み寄ってくる。
「少佐、いいですか?」
何を思ったのか彼は自分の身にまとっていた丈の長いジャケットを脱ぎながら、そう問いかけてきた。
『うん?』
いい、とは、何が。
首をかしげて、問い返そうとしたのだが、彼の行動は早かった。
ロアの身体をそっと両手ですくい上げ、自分の顔の高さまで持ち上げると、あっさり唇をロアの鼻先に触れさせる。
ふわりとやわらかな感触を、今は感覚の鋭敏なロアの鼻先が感知する。
「え」
『え』
アルミュカとロアの呆けた声が重なる。
ノーザレイが、ロアに――ねずみにくちづけるなど、ありえないはずだった。だって、彼はねずみが苦手で、その姿を見るだけで顔を青くしていたくらいなのだ。
だが、事実は厳然たる事実として鼻先にそのぬくもりを残す。
きゅん、と胸のどこかが甘やかに痛む。
アルミュカの狙いはどこまでも外れてしまった。
次の瞬間、ロアは自分の身体の中で何かがほどけていくのを感じた。首元にレイナーナが結んでくれたリボンが抜け落ちるのといっしょに、するり、と抜けていったそれ――おそらく「呪い」――は、そのまま霧散する。
と、同時にぽんっ、と謎の煙とともにロアの身体はノーザレイの腕の中で元の姿へと戻った。
当然だが、一糸まとわぬ姿で。
「わわわ」
ねずみのときには毛皮もあったし、なんといってもねずみとは全裸であるものだ。だが、人間の姿で全裸をさらして平然としていられるほどロアも厚顔ではない。
「少佐、これを」
いきなり重量の増したロアの身体をしっかり支えつつ、そっと床へ降ろすと、ノーザレイは腕にかけていたジャケットを差し出した。その間、さりげなく視線をそらし、こちらを見ないようにしてくれる。
さすがの紳士である。
「あ、ありがとう、大尉」
いそいそと彼のジャケットを身にまとうと、きっちり前のボタンを閉じる。少々心もとないが、見えたら絶対にいけないところは隠せている。そのままいそいそとカーテンの陰へと移動して、分厚く上等な生地の向こうへ入ってくるりと包まる。
やっと人心地つくと、顔だけのぞかせて対峙するノーザレイとアルミュカの様子をうかがう。
「アルミュカ」
アルミュカは憮然とした表情を浮かべてロアをにらみつけていたが、ノーザレイに呼ばれて視線を彼へ向ける。ノーザレイと目が合った瞬間ほんのりと上気した頬が、いまだ彼女の中に宿る恋心をあらわにする。
おそろしくおぞましい、ロアが知るものとは違う――でも、純粋で一途な「愛」。
あからさまにそれを示す彼女に向かって、ノーザレイは無慈悲に告げた。
「出ていきなさい。ここを出てから後、アーケルミア本家の敷地に踏み入ること、それから、私や少佐に近づくことを禁じます。その旨、今回君がしでかしたことを含め叔父上にも手紙を送っておきます」
「そんな――!」
アルミュカが悲鳴のようなか細い声を上げた。瞳は絶望に黒く染まり、動揺に大きく揺れる。
それは、実質的な縁切りの申し渡しだ。今後二度と自分と関わることを禁じる、と。
「そんな?」
悲嘆にくれる従妹に、ノーザレイはすっと目を細めた。
「君は自分のしでかしたことが悪いことだったと理解しているのでしょう? 悪いことだけれど、やらずにはいられなかったのでしょう? そうであるなら、露見した今、潔く罰を受けるべきです」
ノーザレイへの「愛」は、ロアを呪ったことへの免罪符にはなりえない。
「アーケルミアの家名を失いたくはないでしょう」
続けられた言葉に、アルミュカは息を呑んだ。
「……そんな、ひどい。そんな脅し方をなさるなんて……」
「脅しではありません。父も、ああ見えて母も、公平で厳格な人ですから。あの人たちの耳に入ればそうなります」
ロアはノーザレイがレイナーナの同席を断った理由を理解する。
レイナーナがこの場にいたら、アルミュカはノーザレイとの縁を切られるどころかアーケルミア家と縁を切られていた。
アーケルミアの――貴族の身分を失えば、当然アーケルミア本家には立ち入れなくなるし、滅多なことではノーザレイやロアと顔を合わせることもなくなる。もちろんそれだけではなく、これまでアルミュカが得てきた様々な恩恵が失われる。
「君に選べるのは、ふたつにひとつです」
自分から約束するのか、強制されるのか。
うるうると瞳をうるませたアルミュカはじっとノーザレイを見つめたが、彼は顔色ひとつ変えずに彼女の返答を待ち続けた。
しばらくして、どれだけ瞳で訴えようと無駄なのだと悟った彼女はため息をこぼした。
「……わかりましたわ」
その一言で決着がつく。
「では、アルミュカ。息災で」
もう二度と会わないかもしれない従妹への挨拶はずいぶんとあっさりとしたものだった。長い足ですたすたと歩み寄ると、サロンの扉を開いて退室をうながす。
もう一度ため息をこぼしたアルミュカはまっすぐ歩いていき、ノーザレイの前で足を止めた。
「……お兄さまも、思い知ればいいのです」
明るい青の目が、ノーザレイの深い青の目をとらえる。
鈴を転がすような声はどこか毒をはらんで響く。
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