7-5.つまりは、どういうこと?
「少佐にかけられた呪い、どうして変化したのがねずみなのか、ずっと疑問だったんです」
『それは……ちいさくて、弱いから、とか?』
敵対する勢力からの攻撃であるなら、ロアを弱体化させることが狙いであるはずだ。
「それなら虫にでもすればひとひねりですし、そもそも変化の呪いをかけるくらいなら殺すなり病気にするなりの呪いだってよかったはずです」
『う、うん。確かにそうなんけど、君、こわいことを言うなぁ……』
虫にされていた可能性も、と考え、さすがのロアも全身に寒気が走った。ぷるぷる、と全身を震わせていると、「たとえが悪くてすみません」と思ってもいなさそうな謝罪をされた。
「でも、少佐が変化させられたのはねずみでした。私の……苦手な」
直前に間があったものの、苦手と認めてノーザレイが渋い顔になる。
「それに加えて少佐は魔法耐性が高いですよね」
『う、うん』
抱える魔力量が多いほど魔法耐性は高くなる傾向にある。その例にもれず、ロアの魔法耐性はとても高い。防御魔法を使うことができないので身体のすぐそばで発動する攻撃魔法類を防ぐことはできないが、ロア自身の身体に悪く作用する呪いや生命系の魔法はかかりにくい。
そういった魔法や呪いをロアに作用させるには媒介となる身体の一部――爪や髪、血液といったものが少量でも必要だ。
「貴女の部屋に入れば、髪の一本くらいは見つかるでしょう」
そこまで言われ、ロアはノーザレイの言わんとしていることをやっと察知する。
『つまりは、どういうこと?』
それでも口を突いて出たのは、悪あがきのように現実を認めようとしない言葉で――。
「少佐が今、想像している通りのこと、だと思いますよ」
ノーザレイの言葉に、ロアは大きく首を振った。
『大尉、君はアルミュカ嬢がわたしを呪ったと言いたいの? わたしの部屋に来た時に髪の毛を拾い、それを媒介にしてわたしに君の苦手なねずみになる呪いをかけた、と。そう言いたいの?』
「ええ」
あっさりと肯定され、ロアはもう一度、今度は全身を揺するように頭を振った。
『彼女は君の従妹だよ? 君のことが大好きな、君の従妹だ』
弱々しくて、かわいらしくて、一途で、けなげな――ロアの持っていない何もかもを持っている、守るべき生き物だ。
「そうですね。でも、やってはならないことに手を出し、貴女の命を危険にさらしました」
ノーザレイの冷ややかな表情は揺らがない。従妹がやったと確信している口調で話を続け、ロアを見下ろし、目を細める。
「……貴女は、それでもアルミュカを許すと言うんですか?」
『それは……』
もし、自分に呪いをかけたのがアルミュカだったとして。
自分ひとりの問題であれば、ロアは間違いなく「許す」と答えただろう。自分ひとりの力で戦場を生き抜くような孤高の強さを持った傭兵であったなら。
でも、ロアはそうではない。今のロアは隊を預かる役職にあり、隊員たちに支えてもらいながらも、いざとなったら彼らを守る立場にある。ねずみの姿になったことで魔法に制約を受けているのは事実だし、そのせいで魔力切れを起こして隊員たちに迷惑もかけた。
ロアが万全の状態でない、ということは、守るべき「家族」を危険にさらすこと。
許してはいけないこと、だ。
『……でも、どうしてアルミュカ嬢が? 理由がないじゃないか』
理由がないならやはり彼女ではないかも、とうめいたロアに、ノーザレイはちいさく笑う。冷ややかに、ではなく、しかたないな、と言いたげに。
「アルミュカはきっと勘違いをしたんです」
『勘違い……?』
「もしくは、無意味な嫉妬ですね」
ノーザレイの突き放すような言葉選びに、アルミュカがゆがめた顔をぱっと上げた。だが、唇をわずかに震わせただけで何も言わずにいる。
「アルミュカ、君は少佐が私の恋人だと思ったんですか? それとも、恋人でなくとも、常に私の側にいる彼女が邪魔だったんですか? 少佐を私の苦手なねずみの姿にすれば、私が少佐から離れると思いましたか?」
そんな彼女に、ノーザレイは呆れ果てたと言わんばかりのため息まじりに告げる。
「そんなことをしても、君が選ばれるわけではないのに」
ロアからアルミュカに移った視線はぬくもりを失い、今にも倒れそうな顔色をした少女の華奢な身体を射抜く。
「君が認めても、認めなくても、私はこの推測を確定事項として扱います。弁明があるなら聞きますが」
ロアは口をはさめない。ただ、息を呑んでふたりのやりとりを見守る。
ノーザレイは言うべきことは言ったとばかりに口をつぐみ、アルミュカは唇を噛んで黙り込む。部屋に重く沈黙がよどむ。
しばらくの後、耳が痛くなるほどの静寂はアルミュカの吐いた短い息によって破られた。
「勘違い? 無意味な嫉妬? えぇ、お兄さまからしてみれば、そうなのでしょう」
苦しげな表情のまま、彼女は今にも泣きだしそうな笑みを浮かべる。
「でも、恋するわたくしにとっては勘違いでもなければ、ちゃんと意味のある嫉妬でしたの。だって、だってお兄さまは、いつだって『ロア』のことばっかりだったではありませんか!」
ぽろり、と彼女の目じりから透明なしずくがこぼれ落ちる。
アルミュカは泣き顔すら可憐だった。今のロアが人間の姿をしていたならば、駆け寄って、抱きしめて、頬を流れる涙をぬぐって、冷ややかなノーザレイの視線からかばっただろう。実際のロアにできたことといえば、テーブルの上でうろうろすることだけだったが。
「お兄さまとウェロック少佐が色っぽい関係でないことなんて承知しておりました。でも、学生時代からお兄さまのいちばん近くにいた方は『ロア』で、たまの長期休暇に家に帰ってきてする話も『ロア』のことで、お兄さまがご家族以外で愛称呼びを許してらっしゃるのも『ロア』だけで、お兄さまが表情を変えるのも『ロア』のことだけで――こんなの、『ロア』が、ウェロック少佐が、お兄さまのとっておきの特別、唯一の人だということではありませんか!」
ふるり、と激情のままにアルミュカがかぶりを振れば、金色の髪がふわりと舞い、目じりに溜まっていた涙がきらきらと散った。
「わたくし、単純に婚約者になりたいのではありません。ずっとずっと、お兄さまの『いちばん』になりたかったのですわ。だから、たとえご友人なのだとしても、ウェロック少佐なんて――いいえ、お兄さまと仲のよろしい方なんて、いなくなってしまえばいいと思っていたのです」
だから、そうなるように呪いをかけたのです、と、彼女は告げた。
己の罪を認める言葉を口にした。
「焦土の魔女」ではなく、ノーザレイと近い距離にあるロア=ウェロックという個人だからこそ狙ったのだと、そう、認めた。
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