7-4.つまりは、どういうこと?

「ノーザレイお兄さま!」

 ノーザレイの姿を見るなりパッと顔を輝かせ、繊細な美貌にとろけんばかりの笑みを浮かべる彼女は今日も今日とて文句なしにかわいらしい。

「ご無事のお戻り、アルミュカは大変うれしゅうございます! もちろん、お兄さまに失態などないことは重々承知しておりますけれど、軍のお仕事が危険と隣り合わせであることも知っておりますもの。お兄さまが作戦へ赴かれるたび、わたくし、いつだって心配で――」

 大きな瞳をうるうると潤ませながら再会の喜びを語っていたアルミュカだったが、ノーザレイの視線が自分ではなく机の上に固定されていることに気づいて首をかしげ――。

「お兄さま?」

 ノーザレイの視線をたどって机の上、場違いに置かれたクッションの上で気まずげにもじもじしているロアの姿を見つけ、彼女は「ひっ」と息を呑んだ。滅多にねずみなど見ない貴族令嬢が、ティーセットと並んで大切そうにもてなされているねずみの姿を見たら混乱するだろうし、真っ青になりもするだろう。

 このままでは倒れてしまうかもしれない。

『落ち着いて聞いてほしいのだが、アルミュカ嬢。わたしは以前お会いした――』

「なっ、なんで、なんでここにいるのっ?」

 ロアはおそるおそる名乗ろうとしたのだが、アルミュカはそれをさえぎって叫んだ。

 目は信じられないものを見たように見開かれ、両手は美しいドレスの裾を握りしめてぶるぶると震えている。が、倒れる様子はない。

 これはもしや一発で以前会った「ロア=ウェロック」だとわかってもらえたのでは。君の従妹殿すごいね、とノーザレイに声をかけようと見上げれば、彼は冷めきった表情を浮かべてアルミュカを眺めていた。

 見たこともないほどに冷ややかなまなざしに、ロアは思わず言葉を呑み込む。

「アルミュカ、彼女が誰だか、わかるんですね」

 問いかけられ、アルミュカは一瞬しまった、と顔をゆがめ、すぐに強ばった笑みを浮かべた。

「い、いいえ。彼女、ということは、姿を変えた魔法使いでいらっしゃいますの? わたくし、そんなところにねずみがいたものですから、驚いてしまって。失礼なことを――」

「そうですか。それでは、別の話をしましょう」

 あっさりと引くと、ノーザレイは唇にうっすら笑みを浮かべた。表情が崩れることが滅多にない彼の笑顔は貴重だが、たのしさの欠片も感じとれない笑みは見るものに恐怖を与える。

 アルミュカだけでなく、ロアも凍りついたように固まった。「氷雪の君」と彼を呼ぶ人々は、もしやこの笑顔を見たことがあったのかもしれない。

 こんな彼の姿、ロアは知らなかった。

 今、何が起こっているのか、起ころうとしているのか――それもわからず、ただノーザレイとアルミュカのやりとりを見守るしかない。

「先日、君は私の上官であるロア=ウェロック少佐の部屋を訪ねたそうですね」

「え? えぇ。た、大切なお兄さまの上官でらっしゃいますもの。以前から一度ご挨拶にお伺いしたいと思っていたんです」

 冷ややかな雰囲気にそぐわないおだやかな口ぶりで問いかけられ、アルミュカは一瞬虚を突かれたように呆けた。が、すぐに笑顔を張り付け直す。

「君はただの従妹で、そんなことをする必要はない立場だと思いますが」

 それなのに、何とかひねり出した言葉はノーザレイに叩き落される。

「そのうえ、余計なことを言ったと聞きましたよ」

 さらに追及され、アルミュカの顔から張り付け直したばかりの笑顔が消えうせた。

「君は私の婚約者ではないですし、私の身の振り方は私が決める。君が口出しすることではないでしょう?」

 なぜそんな勝手なことを? とノーザレイは目を細め、アルミュカの答えを待つ。

 息詰まる沈黙ののち、アルミュカは口早に訴えた。

「せ、正式な婚約者ではありませんけれど、このままお兄さまが誰も女性を寄せ付けなければ、きっとわたくしが婚約者――ひいては結婚相手になるはずだって、お父さまが――」

「確かに私の婚約者を選ぶなら、年齢や関係性からいってアルミュカは有力な候補になるでしょう。でも、それは選ぶなら、です。我が家にはもう跡継ぎが生まれていますし、そもそも祖父も父も養子をとることに否定的な人でないことは知っているでしょう? 実際、祖父や父から結婚しろと言われたこともありませんし――」

 ノーザレイの長兄の家に息子が生まれたのは、確かノーザレイが「飛竜」の副官になった次の年だ。あまり甥っ子の成長についてノーザレイが語ることはないが、すくすくと育っていることは時おり話してくれるので聞き知っている。

「母は私に結婚してほしいようですが、君の名前が出たことはありませんよ」

 口調はおだやかなのに、ノーザレイの言葉を聞くたび、アルミュカの表情は苦しげに歪んでいく。

 彼女の一途な恋心が、その対象であるノーザレイに無残にも踏みにじられている。

『大尉』

 見かねてロアは首を突っ込んだ。

『大尉、アルミュカ嬢は君のことが好きなだけなんだ。わたしに嘘をつくくらい、かわいい間違いじゃないか。こんな、責め立てるようなことじゃない……』

 ロアの知るノーザレイは合理的な判断を下す冷静さはあるけれど、冷血漢ではなく、わかりにくいだけでいつだってやさしい人だ。こんな、一方的に年下の従妹をやりこめるような、言葉で痛めつけるような人ではない。

「少佐」

 アルミュカを見据えていた冷ややかな目がロアの方へ向き、わずかにやわらぐ。ほっと胸をなで下ろしたのもつかの間、彼は首を横に振った。

「アルミュカは、貴女の言う『かわいい間違い』以上のことをしたんですよ」

 そうですね、と声をかけられ、アルミュカの肩がびくりと震える。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る