7-4.つまりは、どういうこと?
末の息子の帰宅を聞きつけ出迎えにやって来たレイナーナと使用人たちを前に、彼は胸ポケットから肩の上へとロアを移し、「上官であり、学生時代からの友人のロア=ウェロック少佐です」と堂々と紹介した。
事情を端折りすぎである。
突然息子に友人だと紹介されたねずみの登場に、アルミュカ同様非の打ちどころのない貴族女性――美しくはかなげ――に見えるレイナーナが倒れてしまわないかロアは内心あわてふためいていたのだが、しかし、彼女の反応はどうにも予想と違っていた。ちなみに使用人たちの反応も想定外だった。
「ロア=ウェロック? ロア=ウェロックと言ったのかしら」
「確かにそうおっしゃいました、奥さま」
興奮のにじんだ彼女のはずむ声に、控えていた執事らしき壮年の男性が力強くうなずく。ついでに周囲の使用人一同もうんうんとうなずいている。
なんだ。なにごとだ。
今すぐにでも快哉を叫んで踊りはじめでもしそうな、浮足立った空気を感じる。もちろん、そんな品のないことをする人々ではなかったが、全員が興奮を隠すことなく顔を輝かせている。
「やっと連れてきてくれたのね! あの人に早く帰ってくるように連絡してちょうだい! 客室を準備して! いいえ、まずはお茶を、ああ、ふつうのティーカップではだめね、すぐにお人形用のティーセットを手配して――」
「母上。多忙な父上を呼び戻そうとしないでください。そもそも少佐は事情があって立ち寄っただけですから、そんなおおげさにもてなそうとしないで――」
ぱんぱんと高らかに手を打って使用人たちに生き生きと指示を出し始めた母を止めようとノーザレイが口を挟んだのだが――。
「わたくし、ずっとこの日を待っていたのよ、レイ。ちっとも女性を寄せ付けない貴方と学生時代からずっと仲良くしているというロアさんを我が家に連れてくる、この日を!」
これが張り切らずにいられるかしらっ、と妙にぎらぎらとした目で告げられ、ノーザレイが口をつぐむ。
「……失礼のないようにお願いします、母上」
その一言で母子の力関係を理解する。
確かにレイナーナはちょっとやそっとのことで引いてくれそうにない。
そう思いはしたのだが、まさかねずみ姿のロアに動揺しないばかりか、お茶の席に同席したうえ、首に巻くリボン選びに熱中されるとは想像もしなかった。
「リボン選びもたのしいけれど、わたくし、本当はロアさんにはドレスを選んであげたかったわ」
自身もお茶を口に運び、ほぅっと息をつきながらレイナーナはちらりと花びらの砂糖漬けをかじるロアを流し見る。さすがにノーザレイの母親だけあって、同性でもどきりとするような色気だ。
「貴女のこと、何度か見かけたことはあったのよ。でも、いつも任務中だったから声もかけられなくて。それに、任務中だったからいつも軍服姿で!」
何が不満なのか、語りつつレイナーナの眉間にぎゅっとしわが寄る。顔のしかめ方はノーザレイそっくりだ。
「軍服姿も禁欲的でとっても素敵だけれど、貴女はドレスを着たら絶対に化けると思うの! そのためのドレスを! 選びたかったのに!」
それなのに、やっとこうして会えたのに、なんでねずみちゃんなの、とぼやいて、ほっそりとした指先でロアの頬をつん、とつつく。
いちおうレイナーナにも呪いのことは話したのだが――ロアは口の中にあった砂糖漬けを呑み込むと、首をかしげた。
『ドレスですか? ベルガルテ閣下にも用意しておけ、とは言われているのですが、あまり着る機会もないので、親元を離れるときに持たせてもらった古いものが一着あるきりですね』
「だめよ、そんな適当なことじゃ。ドレスには流行があるの。貴族ならシーズンに最低一着は仕立てるものよ。確かにロアさんは貴族階級ではないけれど、もう佐官なのよ? 貴族の集まりに招待される可能性だってないわけではないのだし――そうだ! 呪いが解けたらロアさんを囲むためのお茶会を開くわ! 貴女、自分では知らないかもしれないけれど、りりしくて素敵って貴族のご令嬢や奥方の間で人気があるんだから! そこにわたくしの見立てたドレスで来てちょうだいな!」
ねぇいいでしょう、とノーザレイによく似た美貌でねだってくる。
『いえ、そんな――』
「母上、少佐を困らせないで――」
「わたくし、貴女みたいな娘が欲しかったの」
たじたじと視線を泳がせるロア、見かねて口をはさむノーザレイの言葉をさえぎり、レイナーナはにっこりと笑った。
「我が家は男の子ばかりなんだもの。ドレスを選んだりする楽しみがないのよ」
確かにノーザレイを含め、レイナーナの実子は男子ばかりの三兄弟だが――。
「娘なら義姉上たちがいるでしょう」
ノーザレイ以外の兄弟は結婚済みだ。義理とはいえレイナーナにはすでに娘がふたりいる。
「もちろんあの子たちもかわいいかわいいわたくしの娘だけれど、ロアさんはちょっとタイプが違うじゃない?」
あのふたりはお世話が必要な感じじゃないもの、と言い切られ、ノーザレイはぐっと言葉に詰まる。
「ロアって、呼んでもいいかしら」
『え、と。はい』
ぐぐっと顔を寄せて訊ねられ、ロアはほぼ反射でうなずく。美貌の圧に負けた。
「うれしい! じゃあ、ロアもわたくしのこと、お義母さまって呼んで――」
「母上、いい加減にしてください!」
ノーザレイが声を荒らげるのと、サロンのドアがノックされたのはほぼ同時だった。
「なぁに?」
レイナーナの返事にドアが開き、執事が入室してきて頭を垂れた。
「アルミュカさまがおいでです」
告げられた名にレイナーナが苦笑を浮かべる。
「あの子もあいかわらず耳が早いわね。それにへこたれないこと」
意味深な母からの視線に軽くため息をこぼし、ノーザレイは執事に向かってうなずく。
「ここへ通してくれ」
再び恭しく頭を垂れて退出した執事を見送り、「母上」とノーザレイは呼びかける。
「席を外していただけますか」
ちらっと彼がロアへ向けて走らせた視線に、レイナーナは軽く眉をひそめた。
「あら、いやだ。そういうことなの?」
ロアはどういうことなのかよくわからないのだが、親子は瞬時に理解し合ったらしい。
最近こういう流れが多い気がする。もう少し周囲に気を配ればわかるのだろうか、とロアが悶々としている間にも親子の会話は進んでいく。
「別にわたくしが同席してもよいのではないかしら」
「それはさすがに酷でしょう」
憂うようにわずかに表情を曇らせた息子に、レイナーナはくすりと笑った。
「レイ、貴方、アルミュカの気持ちに応えるつもりは毛頭ないくせに、そういう気遣いはするのね。やさしい、というより、それこそ酷だわ」
「………」
「まぁ、かまわないわ、好きなようになさい。――許すも、許さないも、好きに、ね」
席を立ちながらレイナーナはノーザレイを見下ろす。
ノーザレイの青い目は「冷たい」と言われがちだが、レイナーナの菫色の目は底光りすると酷薄な色を帯びる。
見た目は似ているけれど、やはり親子であってもふたりは違う。レイナーナの目は彼女の美しい見た目のすぐ下にある苛烈さを感じさせる。
「わたくしはこの部屋でこれから起こることを『何も知らない』から、その後のことは貴方の判断に従うけれど――」
「ありがとうございます」
「憐れみだけで許すのなら、やめなさい。それは貴方が本来大事にしたいと望む天秤のもう一方を軽んじる行為です」
頭を下げようとしたノーザレイにぴしゃりと言い渡すと、最後にレイナーナはにっこりとロアに笑いかけた。
「ロア、また後でね」
美しく手入れされた指先でロアのあごの下をくすぐるといたずらっぽく片目をつむる。
「うちのやさしい息子が腰抜けだったとしても、わたくしとはこれからも仲良くしてちょうだい」
「そんなことにはなりません」
きっぱり言い切ったノーザレイに軽く目をみはると、レイナーナは「それはよかったわ」とだけ言って部屋を出ていった。
『大尉?』
これから何が起こるんだ、と問いかけたかったのだが、すぐにノックの音がして執事に連れられたアルミュカが現れる。
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