7-3.つまりは、どういうこと?

 ノーザレイに痛い思いをさせたこと、もしかしたら傷跡が残ってしまうかもしれない傷を負わせたこと、それはロアの力が足らなかった結果だ。もちろん当事者であるノーザレイに対していちばん申し訳なく思っているが、脳裏にはあのふわふわと繊細でかわいらしく、一途にノーザレイを想い慕う令嬢の姿がちらつく。

 恋い慕う完璧な「お兄さま」が怪我をして帰ってきたら、あの子はきっと深く傷つくだろう。

 結婚や婚約、というのは、互いを互いのものとする契約なのだとロアは理解している。そこには気持ちがあったりなかったりするが、アルミュカは間違いなくロアに恋している。そんな彼女の大切な存在をわずかとはいえ傷つけてしまったのだ。

 これは王都に帰ったら詫びに行かねば――いや、だが、今の姿で会いに行ったら彼女は卒倒してしまうのでは――とぐるぐる考えていたロアは、ノーザレイの眉間のしわが先ほどよりくっきりと刻まれたのに気づかなかった。

「少佐」

 呼びかけられ、とりあえず答えの出ない思考を脇に置くと、顔を上げる。

「どうしてここでアルミュカの名前が出るんです」

 きょとん、と目を丸くしたロアが答えるより先に、彼の表情がますます不可解だと言いたげに歪む。

「そもそも、なんでアルミュカと少佐に面識があるんです」

『それは、アルミュカ嬢がわたしに会いに来たから、だけど』

「なんの用で、です」

 畳みかけるように問いかけられる。まるで尋問を受けているような気分だ。

『君を「飛竜」から解放して、もともと進むべきだった道へ戻してほしい、と。婚約者としてお願いしますって』

「……………」

 ロアの言葉を理解するため脳内で咀嚼するように一拍おいて、ノーザレイは腹の底から息を吐きだした。

「はーーーーーーーーーーーーー」

 額に手をやって天を仰ぎ、ぐしゃぐしゃと前髪を乱し、次には目元を覆ってうつむき、何かに耐えるようにじっとする。

『大尉?』

 こんな「どうしたものか」と全身で表現するノーザレイを見るのは初めてだ。背後にいる隊員たちも何ごとかと目を丸くしている。

 彼の婚約者に会ったと言っただけなのだが――それとも自分は知らぬうちにとんでもないことをやらかしたのだろうか。

 あたふたとラズシーの頭の上で足踏みしていると、ノーザレイがやっと顔を上げた。

 もともと冷ややかに見えがちな美貌だが、今は明らかに強ばり、眉間にくっきりしわが寄り、憂鬱そうでありながら怒鳴りそうなのをぐっとこらえるような――そんな表情を浮かべている。

 一言で言うなら、とても機嫌が悪そうだ。

 背後に吹雪と雷の幻が見える。

『な、なんでそんなこわい顔してるの、大尉。お、怒ってる? わたしが君のかわいい婚約者と君の知らないところで勝手に会ったりしたから?』

「違います」

 ばっさりと言い切られ、ロアは首をかしげる。

『えっと、怒ってない?』

「何もかも違います」

 もう一度ばっさりと告げ、ノーザレイは口をわずかにへの字に曲げる。

「少佐には怒っていませんし、確かにアルミュカは私の従妹ですが婚約者ではありません。あと、こわい顔をしている自覚はありません」

 こわいですか、と訊ねられ、ロアは「ちょっとだけ……」とうなずいた。

 うそである。そもそもの造作が良い分、不機嫌をあらわにしたノーザレイの顔はかなりこわかった。でも素直にそう言っては彼を傷つけるかもしれない。

 ノーザレイが眉間を揉みほぐし、何回か深呼吸をしてから改めてこちらを見下ろしてきた。

「……どうですか?」

『うん、いつもどおりの大尉だ』

 やっぱり気にしてしまったか、と苦笑しつつ、ロアは表情を取り繕ったノーザレイに太鼓判を押す。やや表情は暗いものの、ぴりぴりとした空気は身をひそめている。よほど長い付き合いでもない限り、通常時の彼との違いを見極めることはできないだろう。

 ノーザレイはロアの身体へ手を伸ばそうとしてためらったように手を引き、目を伏せた。

「………今回の件、少佐に呪いをかけた相手、わかったかもしれません……」

「チュッ!」

 ぴんと尻尾を立て驚きを示したロアに憂鬱な表情で続ける。

「そうでなければよいと思うのですが、十中八九おそらくそうなのではないかと」

 嘆息まじりに告げてから、ぼそりと「だからねずみだったのか」とひとりごちる。

『わたし、元に戻れるだろうか』

「絶対に元に戻させます」

 婚約者殿の話からなぜ呪いの話になったのかは疑問だが、とりあえずいちばん大切なのはこの厄介な呪いが解けるかどうかだ。首をかしげておずおず問いかけると、ノーザレイは力強くうなずいた。

 戻させます――という言い方に引っかかりを覚えたものの、それを追求するより先にノーザレイがラズシーの上のロアと視線を合わせるように腰をかがめてきた。

「その件に関して、なのですが。閣下への報告が済んだら、私といっしょに来てもらっていいですか?」

『ん? うん、わかった』

 どこへ、という指定がなかったが、ノーザレイがいっしょならば大きな危険はなかろう。そう判断してうなずく。

 そんなロアに目を細め、ノーザレイはまたため息をこぼした。

「……少し騒々しい出迎えを受けるかもしれませんけど、気にしないでくださいね」

『うん?』

 帰還の道のりは順調で、メリアへの報告もつつがなく済み、ありがたいことにそのまま休息期間をもらった「飛竜」の面々は王都の軍本部にて解散し、ある者は家族の元へ帰り、ある者は酒場へと繰り出し、ある者は疲れを癒すべく指圧屋へ向かい――そしてロアはノーザレイに連れられ、アーケルミア家のタウンハウスへ来たのだった。

 彼とは学生の頃からかれこれ十一年の付き合いだが、家に招待されたのは初めてだ。歴史ある家柄だけあって門構えも背後にそびえる邸宅も立派なものでロアは気圧されてぽかりと口を開けてしまったのだが、軍本部から共に騎馬で帰ってきたノーザレイにとっては勝手知ったる我が家であるため門番に門を開かせるとさっさと中に入ってしまった。ちなみに彼の軍服の胸ポケットに収まっていたロアは門番のわきを通る際にはおとなしくしていたので、おそらくばれることなく邸宅内へ入ることができた。

 問題はその後だ。

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