6-2.世界でいちばん美しい獣
ロアの召喚獣が宿す白銀の色は、ロアとの契約の証だ。
彼女と魔獣が契約を交わした瞬間、身体のどこかが白銀に染まる。
『エルハム、力を貸してほしい』
ロアがそう声をかければ、ドラゴンはおもしろそうに目を細める。
『我が主の望みとあれば、否やはあるまいよ』
念話の声は深く、低い男性の声だ。ウィーウィンルルゥは思慮深そうな女性の声だったが、そもそも魔獣には性別がないので、彼らは人間の感覚に置換したときにみずからにいちばん近い性質をこちらに伝えてきているにすぎない。
『大尉』
再度呼ばれ、ノーザレイはラズシーの頭の上からちいさな毛玉の身体を持ち上げ、自分の肩の上に置いた。すこしばかり不満そうに目を細めたラズシーに、ロアはやさしく声をかける。
『地上の方は頼むね。うちの班員たちをお願い』
彼女にそう言われれば、「犬」の機嫌はすぐに治る。ぶんぶんと尻尾を振る姿を後に、ノーザレイは身体を伏せたドラゴンの尾から背中、そして頭の上へとロアを連れてよじ登る。
伏せていても小山のようなドラゴンの頭の上は見晴らしがいい。
『振り落とさぬよう魔法で保護はするが、うっかり転げ落ちてくれるなよ、我が主』
『そうならないように大尉についてきてもらったんだ』
『――――副官、頼んだぞ』
エルドルム・ハルムの冗談とは言い切れない心配を多分に含んだ念押しに、ロアは胸を張った。彼女は冗談を返したつもりなのかもしれないが、さらに続いたエルドルム・ハルムの声は真剣だ。つまり、魔法に保護されていてもロアはうっかり落ちる可能性がある――少なくとも彼女をよく知るドラゴンはそう思っている――ということで、付き添いである自分の責任をひしひしと感じる。
いつでもどこでも、目を離せばすぐに危険に陥る
うっかりドラゴンの頭から落ちるとか、おそらく朝飯前だ。
緊張感の増したノーザレイだったが、ロアはそんなことに頓着することもなく高い位置から地上の班員とラズシーを見下ろす。
『零班総員、軍靴の付与魔法を最大で出力』
彼女の指示に全員が軍靴の魔法を発動させる。
魔法使いが徒手で使う魔法とは違い、魔法具の魔法はそこに宿る魔力が切れない限り誰にでも使える。
軍靴に付与されている魔法は移動速度を上げるものだ。最大出力で使用すればそれほど長くは持たないが、そもそも今回の作戦は速攻だ。長くもたせる必要はない。
『一班から四班まで、魔法発動準備』
「一班準備完了」
「二班準備完了」
「三班準備完了」
「四班準備完了」
今回、ジュリエラとミケールも作戦の陣頭に立つため、現在各班班長の報告はロアへ直接上がってきている。その情報をロア自身がさばき、彼女も最前線で動く総力戦だ。
ノーザレイの肩の上のロアが顔を上げ、ぴっと髭を震わせた。
いよいよ始まる。
状況が始まってしまえば、ここから先息つく暇もなく、足を止めれば命の保証もない。
普段ならば緊張はあっても不安はほぼない。けれど、今回、ロアは万全の状態とは言いがたいのだ。
何かあったら――という思いはぬぐえない。
だが、念話とは言えその場に響くロアの声は、ノーザレイの不安を笑い飛ばすようにいつも通り、堂々と、朗々としていた。
彼女についていけば間違いない、と声だけでも思わせる、稀有な存在感。
『零班、出撃!』
エルドルム・ハルムの頭の上の自分とノーザレイをのぞく五人――および五人を先導するように一匹が駆け出していくのを見届けた彼女は、続いてドラゴンに声をかける。
『エルハム』
『心得た』
エルドルム・ハルムの翼の動きはウィーウィンルルゥの軽やかな――重力を感じさせない飛翔とは違う。ぐわん、と重く、大きな羽ばたき――と思った次の瞬間、弾丸のように空へ身体がはじき出される。
視界と体感の変化に脳がついていかず、混乱する。
魔法での保護がなければ間違いなく振り落とされていたし、しがみついていたとしても首か背中の骨が折れていただろう。
エルドルム・ハルムが急上昇したのだ、と脳で理解できるようになったのは、大きく重い羽ばたきの音がゆるやかに繰り返され、ぴりりと冷たい空気を全身で感じてからだった。
ほとんど予備動作なしに、打ち上げられた矢のように上空へ舞い上がったドラゴンの頭の上で無意識に止めていた呼吸を整える。速度でウィーウィンルルゥに劣るとはいえ、エルドルム・ハルムも間違いなく天空の王者――ドラゴンだ。ほかの生物にあんな、翼の一打ちでこんな上空まで上る力はない。
ロアは、と肩の上を見れば、特に動揺した様子もなくちいさくつぶらな目で眼下の展開を見つめていた。ドラゴンの主である彼女にとっては想定の範囲内の動きだったらしい。
そびえる山脈よりも高く、それらが地図のように見える高さをエルドルム・ハルムは飛んでいる。問題となる地点はどこもはっきり上空から確認できるし、遠見を得意とするロアならばさらに詳細な状況をつかめるだろう。
真剣に眼下を見つめる彼女の青緑色の目がせわしなく左右し、鼻がぴくぴく何かを嗅ぎ分けるように動く。
『一班から四班まで魔法発動まで、三、二、一――』
繊細な見極めに集中するように目が細められた。
『発動!』
彼女の言葉と同時に眼下の三地点から爆炎が上がる。まだ日の昇らぬ闇の中、火の赤い舌はちろちろとそこにあったはずの建物――およびその内部にあるハームの巣を舐める。
「飛竜」の任務には機動力が求められがちだが、隊長であるロアが魔法士であるだけあって、隊員に占める魔法士――それも「癖があって使いにくい」と他部隊から集まってきた優秀な魔法士――の割合は高い。逃走しながら一人でハームの群れを焼き払うような無茶は出来ずとも、数人集まり、事前に準備さえ整えれば、ハームの巣を焼き討ちできる程度の能力は十分にある。
『おー、景気よく燃えているな』
眼下の光景に、エルドルム・ハルムがのんきな声を上げる。
魔界には昼も夜もないが、この世界に出てきたハームは夜に休眠する。何匹かの斥候は起きているが、索敵範囲は昼に比べて若干狭くなる。今回のこれはそんなハームの性質を利用した作戦で、これだけで駆除がすめば楽なのだが――もちろんそう簡単にはいかないだろうことはわかっていた。
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