6-1.世界でいちばん美しい獣

「ねずみ隊長―、だいじょーぶなの?」

 出撃直前の下準備を終え、ノーザレイがロアの元へ戻ると、ノーマがラズシーの頭の上にちょこんとのった彼女に声をかけているところだった。

 そのままつんつんとちいさな身体をつつこうとしてラズシーに吠えられる。――が、ラズシーも頭の上にロアがいるため、彼に噛みつくことまではできなかったようだ。

 学習しない、と言うべきか、頓着しない、と言うべきか。ノーマの胆が据わっていることは確かだ。

 自分の足元での攻防には気づいているのか気づいていないのか、ロアは朗らかにノーマへ声をかける。

『うん、心配かけちゃったね』

 それから昨日は拠点確保助かった、ありがとう、とほめられ、ノーマはむずがゆそうな表情で「べっつにぃ」と言いつつ、くるりと背を向けて後方に下がる。そんな彼を、後ろで様子を見守っていた他の班員たちが生温かい目で迎えていた。

 傲岸不遜に見えて、まっすぐにほめられるのには慣れていないのだ。

 大丈夫か、というのはノーザレイも行動開始前に彼女を迎えに行った際に開口一番確認した。今も注意して見ているが、問題はなさそうだ。

 ふ、と息をもらし、夜明け前のまだ暗い空を見上げる。天気は良好、よく星が見える。

 現在地は黒森から「三本の竜の腕」の拠点へ進んだ先、前回二班と三班が分岐した地点であり、零班は先行して出発した各班からの連絡待ちだ。

 ロアの隣に立つと、ラズシーがふん、と鼻を鳴らした。

 この召喚獣は、昔から――初めて顔を合わせたときから――本能的にノーザレイを敵視している。自分をロアの「番犬」ではなく「右腕」だと思っているのだ。

 一方的に敵視するのはかまわないが、かまってやる必要も感じないので無視してすませているが。

『ちゃんと休んだ?』

 ロアから声をかけられ視線を向ければ、彼女は前を向いたまま、ちらりと視線だけを一瞬こちらへ向けた。

「ええ」

 短く答え、無意識に髪をなでつけそうになった手を戻す。

 昨晩は情けない――というほどではないかもしれないが、あまりロアには見られたくない姿を見られてしまった。別に彼女があの程度のことでノーザレイに失望したりしないこともわかっているが、彼女の前ではなるべく隙のない自分でいたい。

 ロアは自分の価値をわかっていなさすぎる。それについてはいつだって口惜しい気持ちになる。

 ロアはノーザレイを過大評価しすぎている。だが、それについては、そのまま勘違いしていて欲しいと思う。その評価にふさわしい自分にいずれ至れるように努力するから。

 ロアは時おりノーザレイを「欠けることのない」と表現するが、ノーザレイにとってロア自身はそれとは対極にある存在だ。

 いくら欠けていても、それを補って余りある光を放つ人。

 前を向いた彼女の横顔――今はねずみのものだが――を見つめて、内心で深い深い安堵の息をもらす。

 昨日は失ってしまうかもしれないと思った彼女が、隣にいる。

 どんな姿であれ、それは何にも代えがたい。

 もう失わない。奪わせない。損なうことだって許さない。たとえ、彼女自身にだって。

 ノーザレイが強くそう心に言い聞かせたときだった。

「四班より報告。所定の位置に到着」

 もっとも到着に時間がかかると予想されていた四班から連絡が入り、それをミケールが報告する。これで一班から四班までが作戦通りの配置についた。

 一班がいるのは一の二地点の手前、二班・三班は二の三地点手前、四班は四の三地点手前――どこもハームの感覚に引っかからないぎりぎりの場所に待機してもらっている。

 零班班員全員が息を呑んでロアの指示を待つ。

『大尉』

 呼ばれ、ノーザレイは先ほど取りに行き、手に持っていたものに目を落とす。

 包んでいた手巾をほどくと、中から出てくるのは片手のひらで包み込める球体状の結晶だ。地面に向かって叩きつければ、砕け散ると同時にぶわりと膨大な魔力を吐き出す。わずかに青い草の香りを含むさわやかな風に似たそれは一目散にロアの元へ向かっていった。

 結晶の名は魔力球。

 魔力を溜め込む魔法具だ。

 日常的に自分に宿る魔力を使い切らない魔法士は魔力を魔力球に保管していることがある。保管方法はほぼ自動で、服の隠しなど自分の身近な場所に魔法球を置いておけば勝手に過剰な魔力が吸い込まれていく仕組みだ。ノーザレイがしたように球を割れば保管してあった魔力が解放される。

 一般的な使い道は一度に大量の魔力が必要になった際の「魔力切れ」から自分を守るための「非常食」。

「魔力切れなんて、忘れてた」と豪語するロアはもちろん常時には魔力を有り余らせているクチだが、ライアス地方での無茶で昏倒して以降、メリアの命令で魔力球を身につけることが義務付けられている。が、魔力を保管しておいても本人がほとんど使わないため、ある程度の数がたまったところで誰の魔力でも動くものの膨大な魔力を食う戦略魔法具用「燃料」として軍に供出しているのだが――。

今回の件のねずみになる前に溜まってた分があってよかった』

 自分を中心に渦巻く魔力に目を細め、彼女はつぶやく。

『まさか、自分で使うことになるとは思ってなかったけど……』

 今使ったのはいちばん大きなサイズの魔力球だが、普段のロアにとっては半日も身につけておけば満ちる程度の魔力だ。使っても使ってもすぐに補充される(常人からしてみれば)底なしの魔力を持つ彼女にとって、確かに魔力球など(普段であれば)ほぼ無用の長物だろう。

「非常時ですから」

『うん、あってよかったよ――エルドルム・ハルム』

 ふふ、とちいさく笑ってから、ロアは虚空へ向かって名前を呼ぶ。

 ぐぐぐ、と眼前の空間がたわんでいき、そこから巨大な魔力の気配がもれだしてくる。

 それを一言で言い表すのならば、「灼熱」。

 地上に顕現した太陽。

 ロアの契約したドラゴンの内の一頭。

 紅蓮炎花のエルドルム・ハルム。

 ウィーウィンルルゥよりもがっしりとした、優美さよりも頑強さを感じさせる身体つき。巨体を持ち上げるにふさわしい大きな翼。鋭い爪に、鋭い牙。ゆらゆらと揺れる炎のように赤の濃淡が移ろう鱗が美しい。

 人間が「ドラゴン」と言われて想像する、そのものの姿にもっとも近いのではないだろうか。

 ウィーウィンルルゥ同様銀色の目でこちらを見下ろしてくる。

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