5-3.いつも君がそう言ってくれるから、わたしは胸を張れるのだ。

『……わたしは、君に与えられてばっかりだ』

 ちらりと今は手袋をはずしているノーザレイの手を一瞥する。手の甲にある痣は、きっと崩れた本からロアを守ったときにできたものだ。

 ねずみの姿になってからは特に、だが、そうでなくともロアはノーザレイに迷惑をかけている自覚がある。

 王都の軍本部に顔を出すたび、ロアに向けられる嘲りや嫉妬の視線からさりげなくかばってくれているし、同じ作戦に組み込まれた別の隊の隊長がロアに非協力的な場合の折衝も一手に担ってくれている。

 ノーザレイがいてくれるから、ロアと「飛竜」はのびのびと活動できている。

 本当は、ずっと気になっていたのだ。

 学生時代は、まだよかった。ロアとノーザレイは生まれた身分階級こそ違っていたが同じ学生で、同じ立ち位置で競い合えた。

「約束」を持ちかけられたときも、何かしら役に立つことはできると楽観視していた。自慢ではないがロアは強かったし、そこそこ有能な自覚はあったから。

 でも、軍に入って再会して以来、自分たちは上官と副官で、それなのにロアは彼がいなくてはきっとろくに隊を生かすこともできない。

 彼は自分を守らなくていいという。隣に居ると言ってくれる。でも、ロア自身は、彼の隣に居るにふさわしい働きは何もできていない。

 こんなの、対等ではない。

『そんなこと、気にしてたんですか?』

 自分でも気づかぬうちにうつむいていたロアの耳に、ノーザレイのあきれたような声が届く。

『そんなこと、じゃない』

 口から出た言葉は、自分で思っていた以上にすねた響きを帯びていた。

『わたしから君に与えるものがなければ、この関係はわたしにとって得なだけの、君を搾取するばかりのものだもの』

 確かにロアは今でもたまに彼に請われて手合わせをする。彼に見せてあげられる技術もまだいくらか持ち合わせている。でも、そんなことくらいでは彼に与えてもらっているものと等価になるとは思えない。

 こんな奪うばかりの関係なら、周囲が言うように彼を副官――ロアのお守り役――から解放して、もっと別の、わかりやすい花道に戻したほうがいい。

『少佐』

 握られたままだった手をやんわりと引かれ、視線を彼へと誘導される。

 こちらを見下ろすノーザレイの表情は真剣で、弱音を吐くロアを馬鹿にするでもなく、かけるべき言葉に迷っている風でもない。

『今の私たちは学生のころとは違います』

 当たり前だ。むしろ、学生の頃のままなら、こんな――自分の不出来など気づかずにいられたのに。

 何を言い出すのか、と眉をひそめ――るかわりに、髭を持ち上げたロアに、彼は言い聞かせるように語る。

『同じ隊にいて、この隊のために――ひいては守るべき民と、国のために働いています。そうですよね?』

『……うん』

 隊は「家族」で、民は力を持つロアが「守るべきもの」、国はロアが自分で選んだ「居場所」だ。この身を賭けてでも守る――と言えば、ノーザレイはまた顔を曇らせてしまうかもしれないが、ロアは覚悟を持って軍属になることを決めた。

『少佐は、この仕事に全力で取り組んでますよね?』

『当たり前でしょ!』

 念話とはいえ反射的に声を張り上げてしまったせいで、ノーザレイが顔をしかめた。

『ごめん……。でも、大尉はわたしが仕事に手を抜いてるって思ってたの?』

 そうだとしたら悲しい、と耳も髭もしっぽも力なく落としたのだが――。

『いえ、まったく思っていませんが』

 十年来の友人は、すずしい顔で言い切った。

『えええぇ』

 じゃあなんでそんなことを訊いたんだ、と困惑してしっぽをうろうろさせてしまったロアに、ノーザレイは本当に珍しく――ロアですら滅多に見たことがないのだ――ちいさく声を上げて笑った。

『少佐がいつも全力で隊を率いていることくらい、見ていればわかります』

 彼が冷たいなんて、彼をよく知らない人間のたわごとだ。深い青の目は確かに冷たく見えることもあるけれど、それよりも理知的で、何よりも慈愛深い。

 澄み渡った空気と明るい太陽によってもたらされる果ての見えない空の色――ロアはそんな彼の目の色が好きだ。じっと見ていると吸い込まれそうになる。

『だから、少佐はそのままでいいんですよ』

『え』

 彼の目に見とれていたロアは、ノーザレイの言葉を聞き逃しそうになった。

『少佐は自分にできることを全力でしている。それでいいんです』

 繰り返され、『でも』と身を乗り出す。

『自分のできないことばかり目につきがちですけど、この隊がちゃんと功績を立てられている、ということは、少佐も、私も、ちゃんと自分のやるべきことをやれているということです』

『それはっ、そうかもしれないけど、わたしが言いたいのは、わたしができることは君にもできる、わたしは君のためになるようなことは何もできてないってことで』

 自分で言っていて気分が沈んでくる。

『少佐。確かに私でも少佐の代理くらいは務められます。でも、できるのは代理までです。「できる」や「こなせる」と「望まれる」の間には深い溝があるんですよ』

『なにそれ』

 言われたことが理解できずに首をかしげたが、ノーザレイは目を細めただけで答えてくれない。

『「飛竜」は、貴女のためにベルガルテ閣下が作りました』

 代わりに、そんなことを言う。

『わたしのため、ではないよ』

 ライアス地方防衛戦のおり、昏睡状態から目を覚ましたロアの元へやって来たメリアは言ったのだ。「私直属の、機動力の高い遊撃隊が欲しいんだ。おまえ、隊長な」と。彼女が来たときにはロア以外の隊員はほぼ選定済みだったし、雲の上の少将直々に指名されたロアに拒否権はなかった。

『では、貴女がいたから、と言いなおしてもいいですけれど。ほぼ同じことです』

 ノーザレイはそう言ってから少し不満そうに眉を寄せる。

『あのライアス地方の防衛戦。貴女は自分の隊を置き去りに逃げるようにさっさと後方へ下がった小隊長の代わりに実質的な指揮官の役をこなしたと聞いています』

 自分の預かる隊を見捨てて逃げ出すなんてろくでもない、と小隊長への評価を付け加えることも忘れない。ロアも全くの同意見だが、あの上官にはもともといろいろと問題があったため、現場に残っていたら残っていたで邪魔くさかったはずだ。さっさといなくなってくれたのは(どうかとは思うが)現場にとって都合がよかった。きちんと後から処罰されたと聞いているし。

『それまで実力は認められていたものの人格的に扱いづらい者や、使いどころがむずかしい能力を持つ者を貴女はうまく活躍させたと報告書にはありました』

 続けられた言葉に、ぱちくり、と目を瞬かせる。

『君、報告書なんて読んだの』

『閣下に渡されましたから』

 初耳だった。苦いものが喉の奥からこみ上げてくる。

 本当にあのときはめちゃくちゃだったのだ。突然のダーヴィラの侵攻に現場は混乱し、指揮系統はボロボロで、その中で市民を守り、侵攻を食い止めるため、ただただ必死だった。当時の階級では認められていないような判断も下したし、平時であれば軍規違反と言われてもおかしくないことだってした。

 ロアにとってはおもしろくもない記憶だ。

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