4-4.ちいさいのはわたしには向かないようだ。
『エレナ、異常の感じられる地点の方向およびおおよその位置を報告』
「了解っす」
木の上の見張り役は、かけていた眼鏡を外すと再び双眼鏡を覗き込みぐるりとあたりを見回す。
「報告。当地点より北北西――一の二地点付近、北西――二の三地点付近、西北西――四の三付近、以上三地点より魔力の上昇気流を観測」
エレナは魔法使いではないが、彼女の目は魔力の流れをとらえる。見えすぎて疲弊するため、普段は眼鏡型の魔法具で力を制限しているのだ。
一の二地点は例の倉庫らしきものがあった場所、二の三地点はサックが見つけた拠点、そして四の三地点は斜面崩落で行き止まりになったすぐ先だ。偶然とは思えない。
『各班、撤退時に一の二、二の三、四の三から距離をとることを優先。スールでの先導ができなくて悪いけど、なんとか逃げのびて。あれは魔蟲――それもハームだよ。絶対につかまらないで』
ロアが口にした名に、その場の全員の顔に嫌悪と恐怖が浮かぶ。
悪食群体のハーム。
魔界の虫で、大きさは蜂と同じぐらい。女王を中心とした群れであることもいっしょだが、蜂とは違って女王のいる巣を中心に兵隊だけの巣をいくつか作る。一日に一回の狩りの時間以外は巣にこもっているが、巣の一定距離内で獲物となるものを感知した場合すべての巣が臨戦態勢に入り、強力な顎で縄張り内の動物を喰らいつくす。肉食なので木石は食わないが、「悪食」の名にふさわしく虫・魚・鳥・獣・人間・魔獣――肉がついているものはすべからく彼らの獲物だ。一匹一匹の脅威度はそれほど高くないが、群れで襲われれば大型魔獣であっても骨も残らない。
ハームから身を守るには「蟲除け」と呼ばれる魔法具を持つか、高火力で焼き払うしかないが、そもそも逃げながらハームの大群を焼き払えるような業火を放てる魔法士は国内に一、二人だ。
とにかく今は逃げてもらうしかないのだ。幸いなことに縄張りの範囲外に出ればハームはそれ以上追ってこない。
『誰が召喚したのか捕獲したのか知らないが、あんなものを持ち込ませるなんて、アダミスは何を考えてるんだ』
言ってもしかたない、とはわかっているのだろうが、ロアがいらだたしげに吐き捨てる。
だが、ノーザレイも彼女におおむね同意だ。
一班が見つけた倉庫のようなものも、二班が見つけた飼育舎のようなものも、ハームの巣を格納していた。そこから導かれるのは、あのハームは人為的に飼育されていた、という事実と、「三本の竜の腕」はハームを利用するつもりだろう、という推論だが、あれは危険すぎる。ロアの召喚獣とは違い、魔蟲は本能が強すぎてコントロールがきかない。下手をすれば「三本の竜の腕」の構成員やアダミスの民にも被害が出る。
「隊長!」
そこに息せき切って戻ってきたノーマにロアはわずかに目元を和ませる。
『戻ってくれてよかった。通信は聞いてた? 黒森内に先行して、周囲の安全確認と、退避場所の確保をお願いしたいんだけど。ラズシーをつけるから』
「わかった」
はからずも先ほどのやりとりを水に流すことになってしまったが、ラズシーはロアの意向を優先する。ふんっ、と鼻をならずと、付いて来いと言わんばかりにあごをしゃくって黒森に向かって駆け出した黒い獣の後をノーマが追う。
ああ見えて剣の腕だけならばロアやノーザレイ、サックに次ぐ実力者だ。ラズシーもついていれば魔界との境界に踏み込むこともないだろうし、万一魔獣と行き会っても何とかするだろう。
問題は、撤退中の班の方だ。
「飛竜」の装備である軍靴には移動速度を上げる魔法が付与されているが、それでも空を飛ぶハームから逃げ切るのは厳しいだろう。
何か手を打たねば、彼らは骨も残さず全滅する。
「少佐」
『わかってる』
声をかければ、肩の上の存在は静かな声で応えた。先ほどの動揺は影をひそめ、鋭い目で前を向いている。
ふわり、と彼女の(今は)ちいさな身体の周りに魔力が渦巻くのを感じる。
『ウィーウィンルルゥ』
彼女の凛とした声が呼んだ直後、空間がたわみ、目の前に巨大な魔力の塊が現出する。
蒼天神速のウィーウィンルルゥ。
目の覚めるような深い青の鱗に覆われた銀眼のドラゴンだ。零班の中でも見るのが初めての者は呆けたように見上げている。
神話に描かれるドラゴンよりもウィーウィンルルゥは細身で首が長く尾も長い。背に折りたたまれた翼も薄く、優美で、繊細な雰囲気すらある。が、小山のように大きいのは神話といっしょだ。
ロアの召喚獣の中でも最強の一角であり、かつてのライアス地方防衛戦――ロアが「焦土の魔女」と呼ばれるようになったきっかけ――で、彼女と戦場を駆けた五頭のドラゴンの内の一頭。
『ルルゥ、うちの隊員たちを連れてきて。お願い』
召喚主であるロアの願いにウィーウィンルルゥは目を細めると、ふわり、と飛び上がり、あっという間に見えなくなった。何せ、かの竜は魔界最速だ。大気を切り裂く、というより、空間を切り裂き、風さえ起こさずに飛ぶ。
他の竜たちよりも攻撃力では劣るとかつてロアは言っていたが、それでも息を吐けば青い炎がたやすく追手のハームを追い払う。
竜は魔獣の頂点――それでも大きく育ったハームの群れに単体飛び込めば無事ではすまないだろうが、撤退中の隊員たちを拾ってくるくらいならば朝飯前だ。
撤退もこれで何とか、と押し殺した息をもらしたノーザレイの耳を、ちいさな苦笑がかすめる。
『あぁ、これは――』
視線を向ければ、ロアと目が合う。
『ちいさいのは、わたしには向かないようだ』
そのまま、ころり、と彼女の身体が転げ落ちる。
宙を落ちる身体は受け身をとろうともせず、ぴくりとも動かず、それは閉じられたまぶたも同じく。全身に一切の生気が感じられない。
「ロア!」
地面に叩きつけられる寸前で何とか受け止めたものの、ぐったりとしたまま何の反応も返ってこない。かろうじて感じられる鼓動とぬくもりが、彼女の命はまだここにあると示す。
だが、それもいつ消えてもおかしくない弱々しいものだ。
さっと血の気が引き、視界が暗くなる。
わけが、わからなかった。
出会って以来、ノーザレイの世界で誰よりもまばゆく輝いていた命が、消えかけている。
彼女の姿がねずみになったことよりも、なお信じがたい――否、認めがたい。ロアが、死ぬなど、ノーザレイの隣からいなくなってしまうなど、あってはならないのに。
それなのに、ノーザレイには原因もわからなければ、対処のしようもない。
自分の無力さを突きつけられる。
それでも、浅くなりかけた呼吸を整え、ぐっと奥歯を噛み締め、動揺を押し殺す。
ロアが動けない今、現場の指揮をとるのは副官であるノーザレイの仕事だ。ここまでお膳立てされた状態で隊に被害を出しては、目を覚ました彼女に失望される。
それは無力で立ち尽くす以上に耐えがたい。
何ごとかとこちらを見守っていた班員たちに指示を出す。
「零班撤退準備。ノーマからの通信が入り、退避地点の準備が整い次第黒森内へ撤退。周囲を警戒しつつも救護態勢で待機」
ロアに何が起こったのかはわからないが、落ち着いた場所でなければ休ませることもできない。ウィーウィンルルゥが連れ帰ってくる隊員たちも怪我をしていないとは限らない。
冷静に「やるべきこと」をこなしつつも、胸の内で後悔が渦巻く。
本に押しつぶされそうになったときも、先ほどノーマに尻尾をつかまれる直前も、ロアはふらついていた。
急にねずみの姿になったことが、彼女の身体に何か悪影響を与えていたのかもしれない。少なくともいつもどおりの状態ではなかったはずだ。そんなことにも気づけなかったなんて。
いや、「気をつける」なんてロアの言葉を真に受けるなんて。
ロア=ウェロックは身内が傷つくことを許容しない。たとえ、自分にしわ寄せが来ようとも。
彼女がそういう性格だと、知っていたはずなのに。
ちいさな身体を潰さないように、それでも消えてしまいそうな鼓動を感じていられるようにぎゅっと、ノーザレイはてのひらに力をこめた。
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