4-2.ちいさいのはわたしには向かないようだ。
こんなところを抜けようなど、ふつうの指揮官は思わない。
だが、ロアにはノーザレイ以下三十人の部下をひとりも欠かさない自信があり、だからこそ黒森を抜けることを作戦に組み込んだ。その自信がなければ、いかにこの森がアダミス側にとって盲点だろうと、彼女はここを使う策は採用しなかっただろう。
ロア=ウェロックは可能な限り人を殺さない。それは戦場であっても敵であっても変わらない。「焦土の魔女」と呼ばれるきっかけとなった防衛戦の時だって、彼女はやろうと思えばダーヴィラ軍の兵士を虐殺できた。それでも、彼女は牽制のために彼らの鼻先を焼き払うにとどめたのだ。とはいえ、敵と味方、どちらかの命を選ばなくてはならないなら、瞬時に敵を切り捨てる判断を下せるのも彼女なので、牽制を無視して攻撃を仕掛けようとしたダーヴィラ軍の兵士は片っ端から消し炭となって戦場に転がることになったのだが。
そんな彼女が自分の隊――身内に被害を出すことを許容するはずがないのだ。
『総員、止まれ』
森の木々の切れる少し前でラズシーが止まる。黒森の端についたらしい。ここまで時間にして三時間程度の行軍だ。
追いついた各班が整列している間に、ロアはスールたちに次の指示を与えたらしく、白くちいさな翼はまたしても散開して飛び去る。
『点呼、各班被害報告』
「一班、離脱者、負傷者ありません」
「二班、同じく離脱者、負傷者ありません」
「三班、同じく」
「四班も離脱者、負傷者ありません」
各班長の報告にロアはうなずき、自分の班を一瞥する。
『零班も離脱者、負傷者なし。よし、全員無事だね』
声にはどこかほっとした気配がにじんでいる。自信はあっても絶対もまたないと彼女は知っている。
『では、作戦通り、各班散開』
スールが先行しているとはいえ無茶はしないように、と付け加え、各班を送り出す。
その場に残った零班の隊員たちもてきぱきと動いてその場に臨時の拠点を設置する。とはいえこの場に長居する予定はないので、雨・日よけの覆い布を木々の間に張り、折り畳み式のちいさな机を組み立て、その上に作戦地域の地図を出し、各々通信魔法具を耳につけるくらいしかやることはない。
ラズシーの頭から地図のある机の上へ移ったロアが各々に指示を出していく。
『エレナ、目視での見張りをお願い』
「っす」
鼻の頭にそばかすを散らし眼鏡をかけた小柄な女性隊員が敬礼をして荷物から双眼鏡をひっつかむと、少し離れた場所にある木にするすると登っていく。あいかわらず自分の姿を隠しつつも視界を確保できる場所を見つけるのがうまい。
『ジュリエラ、一、二班からの通信は任せるね。ミケール、三、四班は君がさばいて』
「り、了解です」
「はい」
まだ敬礼がぎこちない女性隊員ジュリエラは軍に入って二年目だが、情報のさばき方にセンスがある。一方小柄で童顔な男性隊員ミケールは見かけによらず激戦地を転々としてきた経歴があり、いざという時の胆の据わり方が尋常ではない。
『ログノス、報告をまとめるのは君が。あと、今回はスールからの情報を書き込むのもお願い』
「はいよ」
無精ひげを生やしているせいで老けて見られがちなログノスの実年齢はミケールと同じで、ロアやノーザレイとひとつしか違わない。ペンを片手に、地図の上に各班や敵兵を示す駒をのせていく手つきは慣れているが、それもそのはずで、大学で戦術について学んだ後に軍に入ったという異色の経歴持ちだ。
『大尉とノーマは黒森側の警戒を。魔獣が出ないとも限らないから』
最後に呼ばれ、敬礼を返そうとしたのだが。
ふらり、と、ちいさな身体が揺れた。
「少佐、どう――」
「えー、俺、そのあたり歩いて哨戒してくるよ。じっとしてるのきらーい」
ノーザレイが声をかけるよりも早く、頬をふくらませたノーマがずいと進み出て、あろうことかロアのしっぽをつかんでぶらーんと吊り下げた。
「ね、いいでしょ、ねずみ隊長?」
ノーマは十九の青年で、釣り目の人懐こそうな顔と黒髪から他部隊のものには「黒猫」と呼ばれている。我流の剣の腕はなかなかのものだが、性格は気まぐれでわがまま――前の部隊では扱いかねてメリア経由で「飛竜」へ送り込まれたという経緯がある。
ロアにはなついているようだが、なついているぶん遠慮がないところがある。「飛竜」は他部隊に比べロアの意向で階級をそれほど重視しないし、隊員もそういったかた苦しいものを苦手とする者が多く集まっているが、さすがにこれは上官――の依り代、という設定だが――に対する扱いとして許容できない。
「やめてください」
ぱしり、と彼の手を叩き、衝撃で落下するロアの身体をなるべくふんわりと受け止める。
「副長、何すんのさ」
「ラズシーに噛まれますよ」
忠告よりも先にうなり声とともにラズシーがノーマの足に噛みついた――が、彼は間一髪のところで逃げのびる。
「ちょっとじゃれついただけじゃん。別に隊長自身の身体ってわけでもないんだし。副長もラズシーも固いんだから」
なおも脛を狙われ、ぴょこぴょこと逃げ惑いながらノーマがむくれる。
「やっぱ俺、ちょっとそこらへん一周してくる」
そう言い残して拠点を出ていく姿をラズシーが思い切りうなりながら見送る。少し時間をおけばほとぼりも冷める――なんて期待はしないほうが良いだろう。もちろんノーザレイも許すつもりはない。
ノーマのことは後でじっくり処分することにして、それよりも、と自分の手の中に視線を落とす。
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