3-5.とりあえず優先すべきは任務だろう。
「少佐、さっきから上の空が過ぎますよ」
『ごめん』
ぷるぷる、と頭を――首がないため、どちらかといえば上半身を――震わせると、ロアは目の前に腰かけた副官の顔を見上げる。
自分の班の隊員たちにも、今回はたちの悪い風邪を皆にうつさぬようロアは現在の天幕にサーキュリーとともに残り、指示は召喚獣ロッティを依り代に行うという――設定を――説明し、現在は自分の天幕に戻ってきている。
天幕内にはロアとノーザレイ、それにラズシーだけだ。
「これからの動きですが――」
『とりあえず、手早く、敵味方被害を押さえて片をつけたいところだよね』
切り出したノーザレイにそう返すと、彼は一瞬動きを止めた。
「呪いの特定と解呪についてはどうするつもりなんですか?」
『そっちついては、リナ姉さまに連絡を飛ばしておくよ』
ウェロック家の次女リナは呪いの魔法に精通している。現在連絡の取れないような僻地にいない限り力になってくれるだろう。
『だけど、そろそろ作戦開始時間でしょ?』
ねずみの身には重すぎて愛用の懐中時計は持ち歩けないが、この時期の太陽の傾きや光の強さからいって正午までもう時間がないのは間違いない。
動き始めた作戦をこんなことで止めるわけにはいかない。
『と、いうわけで、まずは出発準備、と言っても、わたしはこんなだから、身ひとつで出るしかないわけだけど』
ははは、と笑ってから自分の載る机のわきに微動だにせず座っていたラズシーを手招きすれば、彼はおとなしく顔を寄せてくる。
『しばらくは君がわたしの足だね。よろしく』
背伸びをしたうえで思い切り腕を伸ばして、ラズシーの鼻の頭をこちょこちょとなでてやる。人の姿のときにはそうしてやると喜んだのだが、ねずみの手では感触が違うかもしれない――と思ったのだが、ラズシーはうれしそうに尻尾をぱたぱたと揺らした。お気に召したようだ。
『もちろん、大尉もよろしくね』
「それはもちろん言われずとも――」
ノーザレイは何か言いたげだが、軍人である以上任務が最優先事項であることは彼だってわかっているはずだ。それに、ロアも彼も呪いについては門外漢で、試せることもそれほどない。
今回の作戦がそれほど複雑なものでなくてよかった、と内心ため息をこぼす。「三本の竜の腕」の拠点はそれほど大きなものではないと推測されるし、制圧にも手間取らないだろう。むしろ注意すべきはアダミスに「飛竜」潜入を悟らせないことだ。
「三本の竜の腕」の拠点は、どこの誰だかわからないやつらに潰されなくてはならない。
カーレリアが関与していると疑われようが、確証をつかませてはならない。
「チュー(ふぅ)」
思わずよろめいて傍らに積んであった本の山に腕をつく。ねずみの身体はやはり常時二本足で立つようにできていないようだ。ずっと立っていたせいか身体が重だるい。
「チュチュッ(おわっ)!」
勢いあまってぐらりと本が崩れてきた。ずぼらな自分がきちんと整えて積んでおかなかったせいだ。
身体の大きさが変わると本一冊もまるで巨岩のようだな、と見上げていると、ぐいっと身体がさらわれた。
「チュッ(ん)?」
「気をつけてください!」
珍しいノーザレイの怒鳴り声に目を白黒させつつ、現状を把握する。
じんわりと全身を包み込むように感じるぬくもりと、自分を見下ろすノーザレイの顔の見える角度。
どうやら、本の雪崩からとっさにロアの(ねずみの)身体を両手で包んで守ってくれたらしい。
「貴女は今、分厚い本の下敷きになっただけで潰れるんですから」
『……ごめん』
顔を青くして、腕に鳥肌をたて、それでも迷わず守ってくれた副官に頭を下げる。
『いや、ううん、ありがとう、大尉』
「貴女は昔から戦場以外では不注意なところがあります」
ため息まじりに言うノーザレイを見上げ、首をかしげる。
『そうだった?』
あまり心当たりがないのだが。
「そうですよ。下町で子どもが落とした硬貨を拾ってあげようとして階段を踏み外したり、宿舎裏の木に登って降りられなくなった仔猫を助けようとして枝が折れて落ちかけたり、近衛隊の隊員を一方的に追いかけまわしていた女性が城内に入り込んで暴れたときにも通りがかりに首を突っ込んで刺されそうになっていましたし、だいたい私服で歩いているときには毎回と言っていいほど道に迷った観光客を装ったならず者に暗がりに連れ込まれそうになってますし――」
ひと息にロアの過去の「不注意」を数え上げ、ノーザレイが眉を寄せる。
「これでもまだ一部ですが」
「チュウウ(おおぅ)……」
すべてはっきりと思い出せるし、「忘れた」などと言おうものなら、ノーザレイはきっちりいつのことだか教えてくれるだろう。
付き合いが長いというのは時に不便なものだ。都合の悪いこともしっかり把握されている。
階段を踏み外した時にはノーザレイに腕をつかんでもらって事なきを得、枝から落ちた際には彼が下で受け止めてくれた。刺されかけたときも(珍しく)血相を変えて駆けつけた彼がすんでのところで氷の盾をつくって防いでくれた。
唯一、下町のごろつきの件だけはわかっていて誘い込まれているので「不注意」というわけではない。脇道の暗がりで手を出してきたところできちんと返り討ちにして巡回の警備隊に突き出している。ノーザレイがいっしょのときは、彼がひと睨みで追い払ってしまうのだが。――ということを馬鹿正直に話しても余計怒られるだけの気がするので黙っておく。
『いつも迷惑かけてるねぇ』
「そう思うのなら、注意してください」
お願いします、と言いつつ、ノーザレイがロアの身体をそっと自分の膝の上に下ろした。そうしておいて本の雪崩で散らばった机の上を片付けていく。
足の強ばりから、彼の緊張が伝わってくる。余計に刺激しないように、とロアも全身を凍りつかせた――のだが。
「ウウウウーワウッ」
それまで黙って控えていたラズシーが唐突に吠えたせいで、膝の上から転げ落ちそうになった。素早く伸びて来たノーザレイの手に身体を支えてもらい、転落を免れる。
「ワウワウッ」
なおも吠え続けるラズシーにロアは眉を――否、ひげを下げる。
『ラズシー、どうして大尉に吠えるんだ。助けてもらっただけだから』
別に害を与えられたわけではないぞ、となだめるように声をかけても、ラズシーはウーと低くうなるばかりだ。
「ラズシーは、私が貴女の右腕のようにふるまうのが許せないんですよ」
どうしてなんだ、と首をひねっていると、ノーザレイが手早く片付けた机の上にそっとロアを下ろしながら説明してくれる。
「貴女の右腕であるべきは自分だと思ってるんです」
と、そこで唇に意地の悪い笑みをちいさく刷く。
「魔獣と人では、できることに違いがあるのも当然なんですけど」
言外に「張り合うだけ無駄」と言っているようにも聞こえる彼の言葉に、ラズシーが全身の毛を逆立てて「ぐるるる」とうなった。
『ラズシーをいじめないでよ』
ため息まじりにこぼして、ノーザレイを見上げる。
完璧な、有能極まりない副官だが、たまにこうやって少し子どもじみた、好戦的な一面をのぞかせる。まあ、もともと学生時代から軍規は守りつつも挑発的なところのある少年ではあったのだが。
「すみません」
ちっとも反省していなさそうな謝罪に、ロアは目を細める。優等生然としているくせに、それだけじゃないところもあいかわらず。
部下としての現在の彼はあまりに有能だから、互いに取り繕うこともなく過ごしていた学生時代から変わらないところを見つけると、すこしホッとする。
『とにかく、今のわたしは君たちが頼りなんだから、よろしく頼むよ』
無理に仲良くしろとは言わないから、と付け加えると、ノーザレイとラズシーは顔を見合わせ、ノーザレイはすっと、ラズシーは思い切り顔をそむけた。
だいぶ先が思いやられるのでやめてほしい。
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