3-2.とりあえず優先すべきは任務だろう。

「やめなよ、もう」

 ため息まじりにぼやいたサックがミティシャの身体を背後から羽交い絞めにすると、ひょいっと持ち上げる。「くそ、サック、降ろせぇ」とミティシャはばたついているが、鍛え上げられた筋肉の前には無力だ。

「そうそう。話が進まないじゃないか」

 止めようともしなかったくせに、ソランはソランでそんなことを言ってあくびをもらす。

 ミティシャとライラアイズは何かにつけてすぐ険悪な雰囲気になるし、サックは困惑しつつそれを止める。ソランは基本的に傍観だ。

 まったくいつもと変わらない班長たちのやりとりにロアは肩の力が抜けるのを感じた。

『いつもありがとう、サック』

 人が良いせいで班長間での調整役のようになってしまっている大柄な部下をねぎらうと、ロアは表情を引き締めた。ねずみの顔でどれだけ引き締まったのかはわからないが。

『とにかく。わたしは天幕から出られないけど、作戦の決行時間は迫っている。具体的な各々の動きについて確認していこう』

 ライラアイズとノーザレイのやりとりは気になるが――なにせ自分以外の全員は意味がわかっているらしい――、自分が遅れてきたのが原因とはいえ作戦開始までの時間はほぼない。手短に会議を進めなくてはならない。

『大尉、今作戦における本隊の任務の概要および遂行にあたっての個別の動きについて説明を頼む』

 本当は自分で説明してしまってもいいのだが、隊結成当初すべての説明を自分で済ませてしまったら「それは私の仕事です」とノーザレイにたしなめられた。彼が言うには、隊長、というのは基本的にどっしり構えているのが仕事らしい。ロアはどちらかといえば先陣を切って自分で動くほうが好きなのだが、彼を差し置いて隊長職に就いている身としては「ちゃんと隊長らしくしてください」と言われて「いやだ」とは拒否しづらい。

「はい。本作戦は本日正午、一二〇〇より開始となります――」

 手元の作戦指令書を見ることもなく流れるように説明をしていくノーザレイの横顔を見ながら、彼の有能さを噛み締める。何かと自分に目をかけてくれているベルガルテ少将が旧知の彼を副官としてつけてくれたことには感謝しているが、自分の下にいなければもっと昇進しているのではないか、とどうしても思ってしまう。

「本作戦の目的はアダミス国内の山岳地帯に潜伏している本国に対する反乱分子『三本の竜の腕』の拠点の壊滅および構成員の掃討もしくは拘束です――」

 ノーザレイから直接現状について不満を告げられたことはないし、大将である彼の祖父や少将である彼の父、中佐である長兄からもロア自身について「働きを期待している」と言葉をいただいたことはあってもノーザレイについて何か言われたことはない。ただ、アーケルミア家の縁者にあたる軍部の同輩や上官からは時に嫌味を言われることもある。

『アーケルミア本家の息子をおまえのようなものの下につけるとは、ベルガルテ少将は何をお考えなのか』

 ロア自身のことを貶されるだけならば我慢もできるが、いっしょに上官のことも貶されるのは腹に据えかねることがあるのだが――学生時代の経験を思い出し、ぐっとこらえることにしている。前髪をちょちょいと整えてやることなど簡単なのだが、それをやっては私闘を禁じる軍規違反になってしまう。それに、そういった腹に据えかねることを言う輩もいつの間にか転属になって顔を合わせなくなるので、あまり深く考えずに聞き流すのが吉だな、と最近では思うようになったのだが。

『ノーザレイお兄さまのこと、どうか解放して差し上げてください……っ』

 先日――この作戦のため王都を出る前にわざわざロアを訊ねてきたノーザレイの従妹兼婚約者殿――名は確かアルミュカ嬢――の用件もつまりはそういうことだった。

 ノーザレイによく似たプラチナブロンドの髪はさらさらと触り心地がよさそうで、髪質も彼によく似ているらしくくるくると華やかに巻いている。切るのが面倒くさいという理由だけで伸ばしているロアとは違い、毛先まで心血注いで手入れされているのだろう。

 ノーザレイのものより明るい青の目に透き通った涙をたたえ、胸の前で手を組み合わせ、ちいさく震えながらもまっすぐにロアを見上げるさまは、まるで小動物だ。もちろんねずみなどではなく、うさぎや仔猫といった愛玩動物。

 かわいい。文句なく、一部の隙もなく、かわいらしい。

 ロアの持っていないものを体現した「愛されるべき存在」。

 おおきくて、強くて、甘えるのも苦手な自分とは正反対。ちいさくて、弱々しくて、問答無用で守りたくなってしまう。

『お兄さまは、跡継ぎでこそありませんけれど、アーケルミア家でも将来を嘱望された優秀な方なのです。も、もちろん、ウェロック少佐の「飛竜」のご活躍はうかがっておりますし、その副官の役目を軽んじているわけでもありませんけれど――お兄さまの代わりになる方はいらっしゃるでしょう?』

 彼女にとってロアは同性とはいえ、年上で、大きくて、戦場で血を浴びることもあるおそろしい存在だろう。それでも突撃するように軍の宿舎のロアの部屋を訪れ、震えながらも視線をそらさずに物申しているのは、それだけノーザレイのことが大切だということだ。

『わたくし、お兄さまにはもっともっとふさわしい場所で輝いていただきたいのです』

 身を乗り出して涙ながらにそう訴えるアルミュカは真摯で、可憐で、何でも言うことを聞いてあげたくなってしまう。それでも、ちらりと胸をよぎったもやもやにその時のロアは内心首をかしげつつうなずいた。

『アルミュカ嬢。貴女のお気持ちはよくわかったし、わたしも常々それについては考えていたんだ』

『では――』

 ぱっと顔を輝かせたアルミュカには悪いが、話はそう簡単ではない。

『わたしから異動の推挙をすることはできるのだけど、実際の異動には軍本部の指令か、わたしの推挙に対する軍本部の承諾と本人の希望が揃わなければならないんだ』

 異動の推挙については実のところここ二年ほどずっと出し続けているのだが、実際の異動指令書が来ないということはノーザレイにふさわしい地位が空いていないのか、それとも本人が拒否しているかのどちらかだ。真実がどちらなのかはわからないが、そこに本人の希望があった場合、ノーザレイを説得するところから始めなくてはならない。

『そんな――』

『わたしも、大尉がちゃんと異動できるよう、働きかけるから』

 肩を落として意気消沈と去っていったアルミュカに、ロアの言葉が聞こえていたかはわからない。

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