3-1.とりあえず優先すべきは任務だろう。

「遅くなりました」

 会議用の天幕に踏み込んだノーザレイにいっせいに視線が集まる。

 ロアの率いる遊撃隊「飛竜」は総勢三十一名。基本は六人で一組の班を形成するが、ロア直属の班には副官のノーザレイが七人目として追加で加わるため、五班で三十一名だ。ロアが率いる班以外にはそれぞれ軍曹もしくは曹長階級の班長がおり、今日の会議は彼ら四名とロア、ノーザレイでの作戦打ち合わせだ。

「おそーい! で、隊長はいたんで――」

 小柄でくりんとした目が愛らしいミティシャ=マーニ――班長のひとりで、愛称はミティー――が豪奢な金の巻き毛を指に巻きつけながら頬をふくらませ、ノーザレイに文句を言いかけたところで彼の背後に立つ存在に気づいて鮮やかな緑の目を丸くする。

 お人形のような見た目の華奢な美少女なのだが、口調や表情はいかにも下町っ子らしい。

「あっれ、ラズシーじゃん。副長といるの珍しいね。ていうか、隊長は?」

 彼女の呼んだ「ラズシー」はロアが契約を結ぶ召喚獣の内の一頭で、つやつやと内から光って見える漆黒の長い毛を持つ狼に似た姿の魔獣だ。長い尾に一筋混じる白銀の毛がまた美しい。

 雷光疾風のラズシー。

 中型の魔獣の中では最速の足を持ち、高度な風魔法と雷魔法を使い、狩人としても契約者の守り役としても有能で、知能も高い――のだが、どういったわけだかノーザレイと相性が悪く、彼と顔を合わせるとすぐに威嚇する。今も思い切り鼻にしわを寄せている。

「んん~? ラズシー、君、頭に何のっけてるの?」

 ミティシャの言葉に班長達の視線が集まったのを確認し、ロアはその場にいる全員に向かって念話で名乗りを上げた。

『わたしだ!』

 もはや決め台詞のようになり始めたな、と思いつつ、ラズシーの頭の上で胸を張る。

「えぇ?」

 ミティシャの目がまんまるに見開かれる。他の班長もそれぞれに驚きや疑問の表情を浮かべているが、納得しているものは誰ひとりいない。

『ええと、正確にはわたしの依り代になってもらってる魔獣のロッティだよ』

 存在しない魔獣の名前を告げるときにはやや目が泳いでしまったが、ねずみのちいさくつぶらな瞳が泳いだところで目立ちはしないはずだ。そもそも、召喚魔法を扱う魔法士でも魔界に数多いる魔獣の種類を網羅的に覚えている者はほとんどいない、から、たぶんばれない。

『ねずみ隊長、とでも呼んでほしい』

 調子に乗ってそう言いつのると、その場の全員から何とも言えない視線を向けられた。

「……依り代、って、隊長、どこか調子が悪いんですか?」

 ぼそり、とそれまで黙っていた班長のひとり、サック=オロボスが問いかけてくる。「飛竜」の中で最も縦にも横にもがっしりと大きい人物で、ロアはおろかノーザレイですら見上げなければ目が合わない。目の前に立たれると壁のようだ。

 筋肉の塊のような体躯や黒い短髪につり上がった黒い目、太い眉といった見た目に加え、寡黙なこともあり初対面の人物には身構えられてしまうが、まずロアの体調を心配してくれたことからもわかる通り心やさしく、実はおっとりとした人物である。ただ、極度の方向音痴のため、たまに陣営の外へ走り込みに出かけて行方不明になってしまうこともある。

『いや、ちょっとたちの悪い風邪を引いちゃったみたいで』

 みんなに移すのも悪いから、と目を泳がせながら説明する。どういう関連なのか、ぴくぴくと髭がせわしなく上下した。

「えー、じゃあ、誰か看病につけますよ」

 同じく班長のひとり、ソラン=タムテットの提案にロアはぶんぶんと頭を振る。

『いやいや、寝てれば治ると思うし、えええと、身の回りの世話はサーキュリーがいるし、薬や食事は大尉が届けてくれたから!』

 ね! と勢いよく振り仰げば、ノーザレイは一瞬頬のあたりを強ばらせたものの、すぐにすずしい顔に戻ってうなずいてくれる。

 サーキュリーはロアの召喚獣の内の一体だが、魔獣というよりは「魔人」の部類に入る。

 闇夜陰影のサーキュリー。

 肌も髪もドレスも黒一色、唯一宿す色は爪の白銀。目鼻立ちは見てとれず、言葉は持たず、壁や物を透過するが、物に触れることもできる実体と無実体を行き来する魔人だ。人手が必要な時には以前から従者のようにロアに付き従うこともあったので、この言い訳も苦しくはない、はず。

「ふぅん?」

 魔法士学校時代からの付き合いであるソランは細ぶちの眼鏡の奥の夕焼け色の目を細めると、何か言おうとした。

 見た目はこれといって特徴のない――髪の色もありふれた、ロアのものより濃い茶色だ――すこしばかりさわやかな顔立ちをした中肉中背の青年だが、彼の真骨頂は観察眼の鋭さにある。それに救われたことも数多あるが、突っ込まれたくないことがあるときには厄介だ。

 だが、ソランが口を開くより先に、残りひとりの班長、ライラアイズ=ミュゼリア――愛称はラズ――が菫色の目を細め「うふふ」と笑い声をこぼす。

「大尉だけが出入りを許されるなんて、まさか、少佐が寝台から出られないのは、大尉のせいですか?」

「邪推が過ぎます、ミュゼリア曹長」

 どういうことだ? とロアが首をひねるより先に、即座にノーザレイがライラアイズをにらみつけた。サックはなぜか黙って頬を赤くしている。

「そうだよ、ラズ。それとも、隊長のこと、侮辱するつもりなの?」

「あらぁ」

 いつの間にか自分の背後に回ったミティシャから喉元に暗器――薄くよくしなる漆黒の刃のついた短刀――を突きつけられ、ライラアイズは笑ったまま両手をあげる。

「冗談よ。だから、間違っても自慢の髪を一本だって切り落とさないでちょうだいね」

 隊の最年長者――とはいえ二十六だ――ライラアイズの髪は美しい薔薇色で、たっぷりと波打ちつつ腰まで伸びている。つやつやと光るそれは頭の後ろへ結い上げられているが、はらりと幾筋か落ちた後れ毛が色っぽい。

 彼女の髪は美しいだけではなく、魔法士である彼女の魔法の媒介だ。そのため、細心の注意を払って手入れされ、時間をかけて伸ばされている。

「命じゃなくて髪の心配するなんてどうかしてるよ」

「だって、ミティーは少佐がよしって言わないのにわたくしを殺したりしないでしょう?」

 ねぇ少佐のかわいいワンちゃん、と赤い唇をくいっとつり上げたライラアイズにミティシャがぴくりと眉をつり上げた。

 天幕内の空気がぴりりと張り詰める。

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