2-8.まさかこんな再会になるとは思ってなかった。
ロア=ウェロックは、魔法士学校に歴史的な勝利をもたらした。
その最後の演習の数日後。
「教官がたにお前は出世できない、って言われちゃった」
噴水のふちに並んで腰かけ、その日は細長い棒状のパンを食べていたロアが笑いをこらえるような表情で告げた。
「どうしてです」
同じものを食べていたノーザレイは口に入っていた分を呑み込むと問い返す。
彼女は入学してからの四年と半年で魔法士学校の学生の能力を底上げし、彼らを率いて士官学校との演習に勝利した。その際には自身の力も十分に発揮し、見せつけた。
魔法士学校にありながら、彼女は指導者としての能力と、個人としての戦闘力の高さを証明してみせたのだ。やや自由奔放なところはあるものの、第一学年次以来軍規を乱すような勝手な行動はしていない。
むしろそれなりに出世する要素の方が多いはずだが。
「いや、現場に出ればわたしたち魔法士は重宝されるとはいえ、上に立つのは君たち士官でしょ?」
「場合にもよりますけど、基本はそうですね」
魔法士にもそれなりに高い階級が与えられるし、その中で士官学校出身者以上に出世する者もいるが、もともと指揮官となるべく教育を受けている士官学校生とは立場が違う。
「だから、未来の士官の顔を思い切り潰すような真似は控えた方がいい、って」
「演習で手を抜いたほうがよかったということですか? 馬鹿馬鹿しい」
吐き捨てたノーザレイに、ロアが気まずそうに目をそらす。
「ええとー、うーん、演習自体じゃなくって、その後に、ちょっと」
「なんです」
にらみつけるようにして先をうながすと、彼女は苦笑を浮かべる。
「演習の勝敗が不満だった士官学校の学生三名に囲まれて――」
続く展開があまりに明らかで、ノーザレイはため息をこぼした。
「返り討ちにしたんですね? 怪我をさせたんですか?」
ロアの剣を見慣れている自分ならともかく、三人程度が同時にかかったところで彼女に勝てるとは思えない。
「まさか。傷つけたりしないよ。ちょっと――前髪を整えただけ」
つまり剣先で勢いよく前髪だけをなぎ払ったと。
勢いあまって尻もちをついてしまった者はいたが、あれはわたしがしたわけじゃない、と唇を尖らせる。
「良かれと思って手加減したんだけど、それもお気に召さなかったらしくて」
学校へ抗議が入ったらしいんだ、とロアが肩をすくめる。
「もちろん、戦時以外の市中での魔法の無断使用にも当たらないし、学校側も学生同士のけんかには関与しない、と突っぱねてくれたんだけどね」
未来の士官の顔を潰すような真似は控えよ、と忠告された、というわけか。
「馬鹿馬鹿しい」
繰り返しつぶやくと、ノーザレイは彼女を見つめた。
「間違っていたのは明らかに相手の方で、貴女ではありません」
「わたしもそう思うよ。でも、もう少しうまくやれたかもな、とも思うんだ」
そういうの苦手で困るよ、とロアがため息をこぼす。
確かに彼女は有能だ。だが、有能さだけでは守られないことも確かにある。傭兵一族と名高いウェロック家の出身だろうと、彼女の身分は後ろ盾のない平民なのだ。
身分や立場が上のものと波風を立てないため、軋轢をつくって潰されないため、彼女の言う「そういうの」は確かに必要だが――。
「確かに貴女には向きませんね、そういうの」
追従や忖度、交渉や取引――貴族の世界や、軍部上層部でもはびこるそういったものは、裏表のない、腹の内を隠すことのないロアにはむずかしかろう。自分の気持ちを偽らず、相手から自分の望みを引き出すにはさらに技術がいるが、一朝一夕に身につくものでもない。
「でしょう?」
家族にもお前は出世できない、と言われていたからそれはいいんだけど、と彼女はぼやく。
「仕事がしにくいのは困るよね」
「でしたら――」
ほぼ反射的にノーザレイは口を開いていた。
「私と組みませんか」
「どういうことかな?」
青緑色の目をぱちぱちと瞬かせたロアにノーザレイは告げる。
「私は貴女の苦手なことを補える。貴女は、私に足りない部分を補える」
「レイの足りない部分? そんなもの、あるの?」
過大評価は大変ありがたいが、自分はそれほど完璧な存在ではない。
「今回の演習、勝敗を分けたのは何だったと思いますか」
唐突に問われ、ロアがきょとんとする。
あのぎりぎりの総力戦において、転機になったのはロアの魔法だが、勝敗を決したのはおそらく別の要因――ロアとノーザレイの統率力の差だ。
もちろん士官学校側の学生たちは総指揮官と認められたノーザレイの指示にきちんと従ってくれていた。だが、魔法士学校側の学生たちは総指揮官だからではなくロア=ウェアロックだからこそ、あれだけ彼女の言葉に耳を傾け、彼女の望むとおりかそれ以上を察して動いた。
魔法士学校に入学当初には物珍しさでしか語られなかった「ウェロック家の娘」は、今では魔法士学校の改革者としてカーレリア軍関係者で知らぬ者はいない存在となった。彼女が一石を投じたから、彼女が魔法士生たちを率いたから、彼らの意識は変わり、今の近接戦闘にも魔法にも秀でた魔法士学校が実現した。
良くも悪くも常に人の中心にあり、先陣切って走る姿で人々を惹きつける。それはきっと彼女自身も意識していない天賦の才だ。
信頼や実績を積み上げてもたどり着けない、特別な資質。
そして、ノーザレイが持ちえなかったものだ。
身分や実績といったものでも人は納得して付いてきてくれる。だが、ロアの周りに人が集まるようにノーザレイの周りに人が集まることはない。
「貴女の人を惹きつける力を私に貸してください。かわりに、私は貴女が働きやすいよう、折衝や取引といったことを一手に担います」
悪い取引ではないでしょう、と問えば、ロアは首をかしげて少しだけ考えたようだが、すぐににっこりと笑った。
「よくわからないけど、君がわたしの力を必要とするならもちろん貸すし、君がわたしの後ろ盾になってくれるなら心強い」
「交渉成立ですね」
ノーザレイが差し出した手をロアがためらいもなく握り返してくる。ノーザレイと比べれば骨の細いちいさく華奢な手だが、剣だこがあるのはいっしょだ。
「わたしは先に卒業だから、迎えに来てくれる?」
「えぇ、もちろん」
笑うロアに、ノーザレイもわずかに表情を緩める。
こうしてふたりの間に約束は成ったわけなのだが――。
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