1-3.君に苦手なものがあるなんて知らなかった。

『その名で呼ぶのはやめてほしい……』

 通ったあとに雑草の一本も生えそうにない。そのふたつ名とともに「冷血無慈悲な戦闘狂」というイメージが独り歩きしており、困惑することもしばしばだ。別に戦闘を好んでいるわけでもなく、あくまで仕事の範囲内でしかしたことはないのだが。

「失礼しました」

 あっさりと頭を下げたノーザレイが、ちょっと何かをいぶかしむように言葉を続けた。

「……少佐は、あまり自分の変化に動揺してないみたいですね」

『いや、さすがに動揺はしてるけど。でも、事実は事実だからなぁ』

 現実逃避したところで状況は変わらない、とうなずき、改めて自分の姿を見下ろす。

 まごうことなきねずみである。

 庶民にとってはそれほど珍しい生き物でもなんでもないが、たいがいの人間は「ねずみ」にいい印象は持っていない。都市部の人間にとっても、農村部の人間にとっても、基本は害獣だ。王都下町の下水道の側などで見かける大きく獰猛そうなねずみではなく、ちいさくふわふわした毛並みのねずみに変化したのはまだよかったと思うが、自分がふつうの女性だったなら間違いなく茫然自失としていたはずだ。先日知己を得たノーザレイの婚約者だという彼の従妹殿――ノーザレイによく似た、繊細な硝子細工のような美少女だった――がロアと同じ目に遭ったなら卒倒してしまうかもしれない。

 だが、そういう繊細さは自分とは無縁のものだ。どんな事態に陥ろうとも、優先すべきは現状把握、次にその時点での最善の手を打つこと――どんなに過酷な状況だろうと、事実から目をそらした者から戦場では死んでいく。そう教えられ、育てられた。

 おそらく呪われたのだとして、その理由よりも方法よりも先に、「ねずみになった」ことは受け入れなくてはならないし、次に大切なのはこの姿で何ができ、何をすべきか、だ。

『もう少しちいさく生まれつきたかったと思ったこともあるけど、これほどちいさいとこれはこれで不便だなぁ』

 もともと物心ついて以降、常に同い年の女性の平均身長より高い状態を維持している。祖父母や両親、年長の兄姉たちにはかわいがられて育ったが、「守ってあげたい」とは無縁な容姿なので「ちいさい」に多少あこがれはあったのだが。

「人間のちいさい、とはそもそも根本的に違うじゃないですか。余裕ありますね」

 あきれたようなノーザレイの感想に笑いをもらす。

 しかし――。

「チュウ」

 あごに手を当て、ロアはうなった。

 それだけでびくり、と肩を揺らしたノーザレイを横目に、淡々と告げる。

『君がねずみ――今のわたしの姿が苦手だとすると、協力を頼むのは酷だよなぁ』

 本来であればロアがねずみの呪いをかけられたことを受け入れてくれた彼にいつもの業務に加え、もろもろの手伝いをお願いしたいところだが、それは彼に苦痛を与える。どうするか、と脳内で次善の手を検討してみたが、それほど選択肢はない。いくつかの事項を比較し、決定する。

『悪いけど、ソランかミティーを呼んできてくれない?』

 自分の下について長い古株の隊員の名を出すと、ノーザレイの眉間のしわが深まった。

「……呼んで、どうするんです」

『え? 君のかわりにしばらくわたしの補佐をお願いしようかと思うんだけど――』

「必要ありません」

 きっぱりと言い切られ、「だけど」と眉を下げ――たつもりが、視界に映る髭がしゅんと落ちた。そういう連動をするのか。

『わたしもこの姿だと不便だし、かといって部隊の全員にこの事態を伝えたら士気が下がるでしょ。いろいろと対策を練りたいから――』

「私がいるでしょう」

 眉間にしわを寄せたままのこわばった表情でノーザレイが言う。やはり目は細められたままだ。

『君、ねずみ、苦手なんだよね?』

 そんなにもあからさまに顔に出るほどに。

「にが――て、と言うほどでもありませんし、私が少佐の副官です」

 彼は大きく深呼吸すると、顔をいつもの「冷静沈着な副官」に戻す。じゃっかんぎこちなく強ばって見えるが、それを見抜けるのはよほど彼との付き合いが長い人間だけだろう。

 あくまで「少々」苦手程度、で押し通すつもりらしい。

「貴女の補佐は私の仕事です」

 つかつかとベッドへ寄ってくると、はるか上方からこちらを見下ろしてきた。

「わたしたちは互いを補い合える。だから、そうしようと。学生のときに約束しましたよね」

 なつかしい話をする。

 ふわり、と全身が王都の下町の、雑多で、でも活気に満ちた空気に包まれた気がした。もう六年は前のことだというのに、つい昨日のことのようにあの時のことは思い出せる。

『もちろん覚えてる』

 ノーザレイはひざまずくとそっと指を差し出してきた。かつて、握手を求めてきたときのように。

「貴女の姿が変わろうと、約束は変わりません」

『大尉、君は昔から真面目だよねぇ』

 ロアはちいさく笑うと、彼の指先にちょんと手を触れさせる。びく、とわずかに全身を強ばらせたけれど、ノーザレイは表情を崩さなかった。

「事態の早期解決を目指しましょう」

『ありがとう。頼りにしてる』

 その約束を交わした時には、自分が彼を支えることになると思っていたのだが。人生とはわからないものだ。

 もちろん、ねずみになる未来も予想していなかったのだが。

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