1-2.君に苦手なものがあるなんて知らなかった。
『大尉』
通じてくれ、と祈りつつ、念話の魔法を使ってノーザレイに語りかける。
「少佐? どこにいるんです?」
ノーザレイが目をすがめ、あたりを見回す。
『驚かないで、ちょっとベッドの上を見てほしいんだ』
「少佐のすることで驚かないことはあまりないんですけれど……」
彼が首をかしげつつ視線をベッドの上へ向けたのを毛布の陰から確認して、しゅたっと見通しの良いところへ姿を現す。
ロアの青緑色の目とノーザレイの青色の目がばっちりと合った。
『わたしだ!』
二本足で、ふんぞり返るように立つ。
そう思えば全裸ではないか、と思わないでもないが、ねずみというのは基本全裸なものだ。かまうまい。
「……………ねずみ」
ふらり、とノーザレイが一歩後ずさる。
『そうだね。確かにねずみだ』
うんうん、と大きくうなずき、もう一度、今度は胸に右手を当てて言い放つ。
『だが、わたしだ』
ふらふら、とノーザレイがまた後ずさった。よく見れば、顔がこれ以上ないほどに強ばっている。心なし、青くもあるようだ。目は大きく見開かれ、瞳は細かく揺れている。
彼の表情は基本ほぼ変わらないので珍しい、のだが、これは――。
『大尉、君、もしやねずみが苦手なの?』
チュ、と首をかしげれば、彼の肩がびくんと跳ねた。
「いえ、別に――」
『本当に?』
その顔色でそんなわけあるまい、という思いを込め、じーっと見つめて彼の返事を待つ。
長い沈黙ののち、額に手を当て、はーーーと深く長いため息をこぼすと、ノーザレイはうなずく。
「ええ。幼少時に潜り込んだ厨房で噛まれ、それが原因かその後三日高熱で寝込んだことがありまして」
以来少々、と気まずそうに顔をそらして告白する。
『やんちゃしたこともあったんだね。意外だけど』
大貴族の子息である彼がねずみを見かけることはそうそうあるまい、と思ったのだが、幼少時には庶民の子どもと大差ない「冒険」を経験したらしい。その上ねずみに噛まれるなど――大事に至らず幸いだったし――少しばかり親近感がわく。
『意外といえば、君に苦手なものがあるなんて知らなかったな』
学生の時分に出会ってから十年以上、上官と副官になってから五年と少し、まだまだ知らないことはあるものだ。
「……耐えられないほどではありません」
ふむふむ、とうなずいていると、ノーザレイが直視するのもいとわしいと言わんばかりの薄眼でこちらを見てつぶやいた。これほどあからさまな嘘も珍しい。「少々」と言っていたが、これは「だいぶ」の間違いだろう。
『別に苦手なものがあったっていいんじゃない?』
かわいいところもあるのだなぁ、などと思ってしまったことはとりあえず呑み込み、目を細める。
ある者は羨望や憧れの目を、ある者は嫉妬や嫌厭の目を、ノーザレイに向けられる視線は様々だが、「何事があろうと顔色ひとつ変えない」「余裕ある紳士」「完璧な貴族軍人」――彼に対してそんな印象を抱いているのはロアだけではないはずだ。
そうあるためにどれだけ努力しているのかは知っているが、彼はそれを表に出さない人でもある。
そんな彼の「苦手」――弱点など、逆に人間らしさを感じさせる魅力ではないか、とロアは思うのだが、彼自身はそうは思わないらしい。苦虫を噛み潰したような、典型的な渋面を浮かべている。
「……本当に少佐なんですね」
窺うように言われ、みたび胸を張る。
『うん、間違いなく、正真正銘わたしだよ』
「そうですよね。貴女はそんなたちの悪い冗談を言うような人じゃない」
眉間を揉みほぐしつつつぶやくノーザレイは、どうやらロアの姿がねずみに変わってしまったことを受け入れてくれるらしい。
さすが、誠実さでも名高い青年である。
「いったい、どうしたって言うんです」
少佐、変身魔法は使えませんよね、と訊ねられ、こくん、とうなずく。
『朝起きたら、すでにこのありさまで。正直、自分でも何が起こったのかわからないんだよね』
「そうなると呪い、でしょうか」
ノーザレイもロアと同じ結論に至ったらしい。
『心当たりはない、とは言いきれないところが悲しいけど』
「少佐、『焦土の魔女』として有名ですからね」
戦場にて敵味方関係なくひそかに――だが本人に届く程度には声高に――呼びならわされている自分のふたつ名に頭を抱える。
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