1-1.君に苦手なものがあるなんて知らなかった。
夢だと思うには、もろもろ生々しすぎる。
確かに動物に姿を変える魔法も、相手を動物に変える魔法も存在しているが、ロアには使えないし、誰かにかけてもらった覚えもない。と、なると呪いをかけられた線が濃厚だが、これでも魔法耐性は高いほうなので、身体の一部を媒介として使われでもしない限り呪いをかけられたりはしないはずなのだが……。まあ、髪の毛の一本くらいならば知らないうちに誰かの手に渡ることもあるかもしれない。
ちなみに、呪われる心当たりはそれなりにあるので――軍人となって戦場に出るようになって六年、出陣した数はもう簡単には思い出せない――そちらの線からは術者をたどれそうにない。
「チュ―――……」
もう一度深くため息をつくと、ロアは腕を組んだ。手足が短いのでちょっとやりにくい。
現在自分の率いる部隊は作戦行動中である。西の隣国アダミスと自国カーレリアの国境線近くの山岳地帯――アダミス側にかくまわれている反カーレリア王家を掲げる反乱分子の拠点壊滅がその内容で、作戦に参加しているのはロアの隊だけではない。
他の隊が正面から攻めることで、国境防衛を名目にカーレリア軍による反乱分子捜索への協力を拒み、彼らをかくまうアダミス軍の目を引く。ロアの部隊――「飛竜」はその間に高い機動力を生かしてアダミス国内に潜入、目的の反乱分子の拠点を潰す、というのが全体の作戦なのだが。
「少佐」
天幕の外から声をかけられ、ロアは顔を上げた。あの声は副官についてくれているノーザレイだ。
彼は信頼に足る人物だが、この姿をどう説明すればいいのか――と首をひねっていると、返事がないことを不審に思ったのか再度声がかけられた。
「会議の時間です、少佐」
そうだった。朝一で会議を予定していたのだ。もちろん指示したのは自分だ。
「皆すでに揃っていますよ」
枕元に置いてあるはずの懐中時計を確認することはできないが、天幕の外に感じられる人の気配や差し込む光の強さからいってもうすっかり日が昇った時間だろう。遅刻したり行方不明になったりしがちな個性豊かな班長たちがきちんと揃っているのは喜ばしいが、どうしたものか、と頭を抱える。
「……失礼します」
決断できずにいるうちに、外からひと声かけられ、ノーザレイが天幕の入り口の垂れ幕をめくって入ってくる。ロアは反射的に毛布の陰へ隠れた。
いつもは決してロアをはじめとする女性の天幕に足を踏み入れたりしない、部隊きっての紳士と名高い彼だ。緊急事態を考慮したのだろう。
ロアはふだん起こされることなく起き、朝から屋外で素振りをしたり、調理場で勝手に食事の手伝いをしたりしている。会議に遅刻したことも――じゃがいもの皮むきに熱中して遅刻しかけたことはあったが――ない。ノーザレイがここに来たのもいちばん最後、他の場所を確認してからのはずだ。
そんな彼女が天幕から出てこない、もしくは天幕にいないとなると、体調不良や暗殺、時にロア自身の意思での逃走も可能性としては危惧される。
部隊の副官として、確認しないわけにはいかない。
「少佐?」
それほど広くない天幕の中を見回し、彼は眉間にしわを寄せる。そんな表情をしても彼の美貌は少しも損なわれないのだなぁ、と感心してしまう。
ロアの副官は伯爵位を持ちながらも軍門の名家でもある古い家柄の出身で、士官学校も卒業している正真正銘の出世頭だ。現在の階級は大尉。士官学校を座学・実技ともに優秀な成績を修めて主席卒業したのみならず、氷と火の魔法に秀でている。加えて貴族の子息らしく容姿も見目麗しく、細身ながらもきっちりと筋肉のついた体躯で士官の式典服着こなせば誰もかれもが――いや、ふだんの軍服でもかなりの数が――彼を振り返る。白金のまばゆい髪には強めのくせがあり、くりんと跳ねて「雪花の君」と呼ばれる彼の冷ややかな美貌を縁取り、長いまつ毛の奥では深い青の目が宝石のように輝く。
そんなノーザレイが平民出身で同年の――魔法士学校を出ているとはいえ――ロアの副官についているのは、いろいろあった結果ロアがうっかり常識外れの昇進をしてしまった結果に過ぎない。
本来であればロアの下につくような人ではないのだが、部下になって以来五年、不満を漏らすこともなく働いてくれている。
本当に得がたく、信頼している副官なのだ。
彼ならば、こんなよくわからない事態も冷静に受け止め、知恵を貸してくれるかもしれない。
「チュ!」
決意を決めると手早く魔力を編む。いつもよりやや扱いづらい気はするものの、幸いなことに魔法は問題なく使えるようだ。
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