ねずみ隊長の世界でいちばんむずかしいこと

なっぱ

プロローグ.朝起きたらねずみになっていた。

 ロア=ウェロックはいつも通り、誰に起こされることもなくぱちりと目を覚ました。

 作戦行動中なので身体に若干の疲労感は残っているが気分は上々、頭はすっきりしている。

 だが、何かがおかしい。

 自分の視界の中央をさえぎるものがあり、それの先端についたピンとした細い針金のようなものがぴくぴくと動いている。

 見える光景も変だ。

 昨晩は自分の天幕で、もうとっくの昔に寝慣れた簡易ベッドに横になったはずなのだが、ベッドは見当たらず、自分の身体の下には広く平らな灰色の床――荒い布張りだろうか――が続いている。

 ん、これはいったいなんだろう?

 床を見下ろしたついでに目に飛び込んできた自分の身体にそう声を上げたつもりだったのだが。

「チュ、チチチチッチチチュッチュッチュー?」

 自分の喉からもれたのは、そんな鳴き声で。

 見下ろした身体は全身に毛――手や足の外側はロアの髪によく似た薄茶色、腹側は白色――が生え、手足は短く、手のひらというよりちいさな突起のような尖った指がついている。

 待て。待て待て。落ち着け、ロア。

 戦場で最も重要なのは現状把握だ。そう父さまもおっしゃっていたではないか。

 よし、とうなずくと、灰色の床を歩いていく。足だけの二足歩行ではどうにも歩きにくかったため、途中から仕方なく手足を使って歩くことにする。獣のようなありさまだが、これがどうしてなかなか動きやすい。

 灰色の床の途切れるところ、断崖絶壁のように見えるそこからあたりを見回し、ため息をこぼす。

 遠近感はおかしいが、そこはあきらかに自分の天幕の中だった。置かれているものに見覚えがある。ただし、どれもやたらめったらにおおきい。自分が踏みしめている灰色の床はシーツのかかった簡易ベッド、傍らにある崩れる途中の波のような形の布の塊は自分が押しのけた毛布なのだろう。

「チューチチチュッチュチチチチチュー」

 どうしていったいこんなことに。

 そうつぶやいてみても、やはり自分のものとは思えない鳴き声が喉を震わせる。

 遠くに見える姿見――部下が「上に立つ人は身だしなみにも気をつけなきゃダメです!」と置いていった――に目を凝らせば、ちいさな生き物がベッドの端に二本足で立ち上がり、鼻とそこから生えたひげをぴくぴくさせている。

 ねずみだ。

 試しに左手を上げれば、鏡の中のねずみも左手を上げる。

 右手をあげれば、右手を。

 くね、と右に身体を倒せば右に、くねね、と左に倒せば左に。

 鏡のねずみの背後でゆらゆらしているのはしっぽか、と振り返れば、そこでも自分の尻から生えたしっぽがゆらゆらしている。

 正面に向き直り、じっとねずみの目を見つめれば、自分と同じ青緑色の目が見つめ返してきた。

「チュゥ」

 ため息をこぼし、ロアは認めた。

 あれは、わたしだ。

 ロア=ウェロック、二十三歳、女性、カーレリア王国軍少佐、西方軍第一師団第一旅団長少将ベルガルテ直下独立遊撃隊――部隊通称・飛竜飛竜――隊長、彼女は自分でもどうしてだかわからないが、朝起きたらねずみになっていた。

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