第9話 女神の役割
王都を離れ、どのくらいの時間が過ぎただろうか。
私は怪魚・リヴァイアサンによって、
このマーレデアム王国から遠く離れた、どこかおどろおどろしい海底世界へと連れて来られた。
ゴツゴツとした巨大な岩山が多く、海上からの陽光が遮られてしまうのか、辺り一帯が薄暗い。
ここはマーレデアム王国の領土ではないのか、浄化も進んでいないように感じる。
(まるで心霊スポットみたい……)
王国に住まう
代わりに、あまり色味のない魚たちが目をギョロギョロさせながら遊泳している。
(怪魚の牙が身体に刺さらなくて良かった。
いや、全然良くない状況だけど)
とても冷静でいられる状態ではないが、意識はある。すでに食べられていてもおかしくなかっただろうに、幸いなことに私はまだ生きている。
しばらくの間、怪魚はこの薄暗い海底を右へ左へと浮遊した後、とある岩壁にある大きな穴の中へと私を放り込んだ。
(降ろされた……?)
降り立った穴はまるで洞窟のようだった。
そこは奥へ奥へと続いているようで、よくよく目を凝らすと、中には直径50センチ強くらいの、半透明の丸い球体がいくつも転がっている。
その球体の中では稚魚のようなものが
……考えたくはないが、この場所の答えはどう見ても一つしかない。
「……巣穴?」
まさか、私はこの卵たちが返った際のエサ要員として連れて来られたというのか。
「それはすっごく嫌!」
真っ青になりつつ、私は岩穴の入り口からそっと顔を出した。
先程の怪魚はこの近辺をまだ旋回中だ。
カイリには強がって見せたが、裂かれた右腕も実はかなり痛む。
ドレスだって、もうボロボロだ。
それでも、私はここを出る。
小さな身体で、命をかけて私を守ろうとしてくれたカイリに、もう一度ちゃんとお礼が言いたい。
シェリに、約束を破ってしまったことを謝りたい。
私は唇をきつく結び直し、意を決して巣穴の外へと飛び出した。
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「リリアナ様が王宮のどこにもおられないとはどういうことだ!」
王宮の中央ホールにシェリの怒号が響き渡る。
騎兵団と交戦していた怪魚が突如王都から消え去ったため、シェリとナプティムウトは一時王宮へと帰還していた。
なお、第一・第二部隊は引き続き王都にて民たちの警護に当たっている。
「リリアナ様が王宮を後にするのを、誰か見た者は?」
ナプティムウトが、中庭で警護に当たっていた騎兵団員たちと、リリィと同じく宮内で待機していた使用人らを見渡し、そう問うた。
「門番二人の他、待機していた騎兵団員は十もいたというのに、何故異変に気付かなかったのだ」
シェリが皆に向かい、強い口調で言い放つ。
騎兵団員たちは拳を握りしめ、使用人たちは互いに顔を見合わせている。
すると、使用人の一人が恐る恐るシェリの前に出て跪き、顔を俯かせながらポツリポツリと言葉を述べた。
「殿下、女神様は客間すら出ておられません」
「……何だと?」
未だ苛立ちと焦りが抑えられず、眉間に皺を深く刻んだままのシェリが、その使用人を見据える。
「代わりに、海人騎兵団の方がお一人、女神様が避難されていた客間へと入って行かれるのを、私は確かに目撃いたしました」
使用人の言葉に、シェリはさらに強く眉を寄せた。
突然の怪魚出現により、騎兵団も混乱していたのは事実だ。
シェリがその使用人に、客間に入ったという海人騎兵について詳しく尋ねようとした時。
「だれか!だれか助けて!」
突然に王宮の玄関扉が開き、少年の泣き叫ぶ声がホール内に響き渡った。
「お前は確か、催しの時の……」
「!ラドシェリムでんか!」
シェリの姿を捉えた少年が、一直線に彼のもとへと走って来る。
少年の目は真っ赤に腫れていた。
彼は大粒の涙を流しながら、なおも必死に言葉を続けようとする。
「リっ、リリアナさまが……!
リリアナさまが、王都でオレのことかばって、か、怪魚が!」
「落ち着け、一体何があった」
シェリはカイリの前に
視線を合わせる。
「リリアナさまが逃げ遅れたオレのことを見つけてくれて、それで、一緒に安全な場所に行こうって言ってくれたんだ。
でも、リリアナさまと一緒にいた男の人が」
「男……?」
シェリの眉がピクリと動く。
「その人、リリアナさまのこといじめてた!
"つま"になれって。
怪魚を連れてきたのも自分だって……!」
シェリの額に青筋が浮かび上がってくる。
握りしめる両手拳(こぶし)が、激しい怒りに震えている。
催し時から不審な動きをしていた者が二人、つい先程報告に上がってきた。
一人は部隊長であるにも関わらず、副隊長に全指揮を丸投げしていた者。
もう一人は怪魚と交戦中に突如姿を
シェリの手甲にも太い筋が刻まれ始めた時、
ナプティムウトが扉付近に
どこか生気を失っているその男が、騎兵団員たちに両腕を拘束されながら中央ホールまで移動して来る。
「……シリスハム、何故だい」
男の正体は宰相アブサハム・バクナワの嫡男、シリスハムだった。
「君が今日、第一部隊と行動を共にしていなかったのはどうしてだ?
催し中も持ち場に現れず、ずっと部隊を離れていたと聞いたよ」
ナプティムウトの言葉を背越しに聞いていたシェリがカイリの前をゆっくりと離れ、シリスハムに向かい立つ。
そして、彼の胸ぐらを掴みながら、もう片方の手でその首にかかる紐を乱暴に引き抜いた。
「シリスハム。何故、貴様がこの"魔笛"を持っている」
シェリの静かなる怒声がシリスハムを攻めるが、彼は何も話さず、目もどこか焦点が合わない。すると。
「兄上!」
すでに開け放たれている玄関扉から慌ててこの王宮へと飛び込んできたのは、職務放棄の疑惑がかかっているもう一人の男、バリスハムだ。
彼は騎兵団員たちに拘束されているシリスハムを見やり、呆然と立ちすくむ。
「あっ、兄上、まさか、リリアナ女神様は……!」
「……怪魚に、攫われてしまった……」
全てを察したシェリが、額に、顳顬に、拳に、さらなる青筋を浮かび上がらせる。
「この、愚か者共が!!」
ホールに力なく転がるシリスハムは自力で立ち上がることがもはや出来ず、その様子を見たバリスハムもその場にへなへなと崩れ落ちてしまった。
「団長、申し上げます!王都に残す2部隊を除き、全海人騎兵部隊の出立準備が整いました」
「分かった、ありがとう。
私もすぐに合流すると伝えて欲しい」
扉の向こうより発せられた騎兵団員の声に、ナプティムウトがそう応える。
ここは国王の執務室。
シリスハムとバリスハムが拘束されてからはすでに一時間ほどが経過していた。
ナプティムウトは現在、国王たちに向けてリリィの現状を伝えている最中だ。
「目を光らせなさいと言ったはずよ」
「……申し訳ございません、姉上」
ナプティムウトを見据え、唇を震わせているのはトリンティア。
「ラドシェリム殿下のご様子はいかがですか?」
セシルドは、そんなトリンティアを
「シェリには今、私の代わりに出陣準備の全指揮を取らせています。
シリスハムたちへの尋問は別の者を当てました。今の彼ではあの兄弟を殺しかねないので」
ナプティムウトが答えると、国王は
国王も、彼に寄り添う王妃も、その表情は憔悴しきっている。
「リリアナ様の生死も分からぬのか……」
国王が眉を寄せそのように言葉した時、
ナプティムウトは彼の前に膝を付き、穏やかな口調でこう述べた。
「国王陛下、リリアナ様はきっとご無事のはずです。
あのお方は2000年の時を経て、ようやく我が王国へと降臨された女神の愛し子。
お披露目でもそれが証明されたように、彼女ははかり知れない御力をお持ちですから」
ナプティムウトはその場を立ち上がると、自身の胸元から魔笛に似たある物を取り出した。
彼がそれに唇を添えると、すぐさま執務室の窓越しに、巨大な"鮫"が姿を現す。
「行って参ります。
シェリと共に、必ずやリリアナ様をお救いいたします」
王宮を後にしたナプティムウトが海人騎兵団の本拠地へと急ぐと、門前にはすでに、騎兵団の3部隊が集結していた。
皆は騎兵団所有の、"
「団長」
シェリは愛鮫、"カルカロドン・カルカリアス"に
「号令を」
淡々と言葉を発するシェリは、表情こそ押し殺してはいるが、額に浮かぶ青筋は未だ健在だ。
「副団長。リリアナ様の救出が先決なのは当然だけど、たった一人で突撃するような真似はしないように。
君が死んでしまっては元も子もない。
シェリは、リリアナ様がここで生きていく理由になりたいんだろう?」
ナプティムウトがそう言うと、シェリが大きく眼を見開いた。
「君にはそれを望むことが出来るのだから」
「兄上……?」
「今回はリリアナ様の守人であるシェリが出陣の号令を。指揮取りはいつも通り、君と私で二分しよう」
「……御意」
兄の表情に少し影が落ちたことをシェリは不可解に思ったが、今は緊急事態中故、問いている時間はない。
シェリはすぐさま気を引き締め、全騎兵団員たちに向け言葉を放った。
「我々は直ちに、リリアナ様の救出へと向かう。
何としてでもあのお方をお救いし、マーレデアム王国へとご帰還いただくのだ。
団長と俺を先頭に、各部隊は後に続け。決して遅れを取るな!」
「はっ!!」
シェリとナプティムウトは部隊を従え、王都郊外を目指した。
------
(いたたたた……
腕の傷が膿んできちゃったのかな。
水の中にいる感覚なんてないのに、海水が
怪魚の巣穴をこっそりと抜け出し、何とか稚魚のエサになることだけは避けれたと思っている。
私は一度立ち止まり、ボロボロになったドレスの裾を引き裂いて、傷のある右腕へと巻き付けた。
まだ長さの残るドレスは、歩きやすいよう膝上でしっかりと結んでおく。
「これでよし。王国に、帰らなきゃ」
私は再び当てもなく歩き出す。
辺りが暗過ぎるため視界も悪く、もと来た道が全然分からない。
この周辺は王都のように都市が広がっているわけでもない。"深海" という言葉がピッタリの場所だ。
取り敢えず巣穴付近からは離れなければ。
でないと、また怪魚に
次に捕まればもう、私の命はない。
本当は、怖くて、不安で、泣き叫びたい。
でも、そんな行動を取ることは許されない。
きっと今も、シェリたちは私を探しているだろう。
もし、彼らと無事に合流することが出来たならば、私がすべきことはもう決まっている。
それは、決して不安気な顔を皆に見せないということだ。
隙を見せてはいけない。
愛し子を手に入れるためなら、国を混乱させることも
弱い姿を晒してはいけない。
私を守るために、子供ですら命を投げ出そうとするから。
今日私は、女神の愛し子の存在がマーレデアム王国の人たちにとってどれほど重要なのか、どれほど重い立場にあるのかということを、嫌と言うほど痛感させられた。
「……早く帰って、愛し子のことをもっと勉強しなくちゃね。
お祈りの言葉も覚えて、浄化と祝福のこともよく知らないと。
もっと、もっとちゃんとしなきゃ」
まるで呪文のようにそう唱えながら、足を前へ前へと進めていた時。
王都広場で見た時と同じ、足もとに再び不審な影が落ちた。
私はゆっくりと視線を上げていった。
上方を浮遊していたのはやはり、巨大な怪魚"たち"。海底には、二つの大きな影が
まるで陰陽を形成するように旋回する様は、
おそらくは番で行動する彼ららしい、息の合った狩りの合図。
もちろん、狙うエサは私だろう。
怪魚たちが動きが止め、そのギョロリとした瞳を私へと向ける。
二頭は逃げ場を無くそうとするかのように、左右から大口を開けて
(シェリ、ごめんなさい)
手のひらを握りしめ、ギュッと眼を閉じる。
しかし、その時。
キィィィィーーーーン
どこからか私の耳奥を優しく揺らす、美しい笛の音が聞こえてきたのだ。
それは耳鳴りのような音ではなく、優しい唄声のように、私の耳をふわりと包み込むような心地良い音色だった。
そしてその笛の音が聞こえ始めてすぐに、私のことを狩ろうとしていた怪魚たちも、何故だか急に大人しくなった。
彼らはその音に誘われるかのように、ゆっくりと目前を通り過ぎて行く。
何が起こっているのか状況が掴めず、彼らの後ろ姿をただ呆然と見送っていると、
「……っ?!」
今度は突然身体が宙に浮いた。
思いがけない出来事の連続に、私の思考も一瞬停止しそうになる。
しかし。
「リリィ、遅くなった」
その声の主が誰なのか。それだけは分かる。
私はその人を仰ぎ見た。
抱き上げてくれていたのはやはり、一人の美しい海人騎兵。
私のことを唯一、"リリィ"のままで良いと言ってくれた、シェリその人だった。
「其方をこんな目に合わせて、本当にすまない」
シェリが私の身体を自身の方へと引き寄せた。後悔に歪んだ彼の顔が、すぐ近くにある。
彼の首には、あの時シリスハムが手にしていた魔笛が掛けられていた。
シェリは近くの岩陰へと移動し、そこに私を降ろす。
「すぐに戻る」
私の腕傷をしばし痛まし気に見据えた後、シェリは踵を返し怪魚の後を追って行った。
突然の
手中に長槍を構え、鮫と思しき大魚に
------
シェリはリリィを岩陰へと隠した後、臨戦態勢に入っている騎兵団のもとへと戻る。
「リリアナ様は?」
「ご無事です。ただ、カイリの言っていたように、右腕に重度の
「……シェリ」
「大丈夫です。先程の言いつけは心得ております」
シェリはそう言うと、すぐさまナプティムウトと対極になる位置へと移動する。
騎兵団は円形になるよう整列し、すでに二頭の怪魚を取り囲んでいた。
「皆の者、リリアナ様はご無事だ。
女神の加護がある限り、勝利は必ず我らが手にする。決して
「私と副団長の合図で一気に
案ずるな、我らには女神の愛し子が付いているのだから」
シェリとナプティムウトがそう言葉を放つと、騎兵団員たちからは歯切れの良い返事が返って来る。
二人は互いに目配せ合い、片腕を高らかに上げながら、全部隊に向けて号令をかけた。
「突撃せよ!」
------
遠くの方で、騎兵団の人たちと怪魚が交戦している様が見える。
私は両手を胸の前で交差させ、静かに目を瞑った。
祈りの言葉はまだ分からない。
今の私が出来ることは、騎兵団の人たちの無事を願うことだけだ。
(どうか怪魚を敗ることが出来ますように。みなさんが大怪我をしませんように。
私が、女神の愛し子が、少しでも海人族の人たちの役に立ちますように)
心の中でそう唱えた時、あのお披露目の時と同じように、女神の紋章と女神の秘宝が同時に光を放った。
上方で光束となったそれはやがて光の粒となって弾け、この薄暗い海底空間にしばし明かりを灯したのだった。
------
リリィが放った光は、騎兵団の者たちへと降り注がれた。
交戦中の皆のもとに届けられた祝福は、やがて彼らの身体へと浸透していく。
「これは、浄化と祝福の光……?」
「リリアナ様の御力だ」
「女神の御加護だ!このまま怪魚を一気に叩くぞ!」
騎兵団の者たちは皆口々にそう言い合いながら、さらに強大な力を発揮し始める。
「……先程までとは身体がまるで違う。
リリアナ様の祝福は本当にすごいね、シェリ」
祝福に驚いているナプティムウトの隣で、シェリはリリィがいる岩陰へと視線を向けた。
誰よりも恐ろしい思いをしたはずなのに、彼女は今も騎兵団のために祈りを捧げている。
シェリは拳を握りしめるよう長槍を持ち直すと、戦闘鮫獣を加速させ、怪魚の頭上に舞い上がる。
「怪魚よ。お前たちも此度は災難だっただろうが、リリィを傷付け、民を混乱させたことは見過ごせん。
今一度己の失態を改めるが良い」
シェリは長槍を一直に立てると、そのまま怪魚の顳顬に向かって一気に投げ下ろした。
ギイァァァァァ
怪魚の
もう一頭の怪魚はナプティムウトが長剣を振りかざし、無事に仕留めていた。
怪魚たちの動きがピタリと止まると、澱んだ海水が徐々に澄んだものへと変わっていく。
それに合わさるように、今度はあの巨大な二頭がどんどんと小さくなっていった。
そして、まるで女神のもとへと導かれるように、怪魚だった魚たちはリリィの方へと泳いでいった。
------
「浄化が進んでる……?戦闘が終わったのかな」
ポツリとそう呟いた私の前に、細くて長い、二匹の魚が姿を現した。
彼らは番なのか、私の周りを仲睦まじげに並びながらくねくねと遊泳している。
「……チンアナゴ?
地面に埋まってないけど、これってチンアナゴだよね」
彼らをじっと観察していると、
「其方……また珍妙な名を」
少し呆れを含ませたよく知る声が、私の頭上から降ってきた。
「シェリ!」
彼はマントを背から外し、私へとかけてくれる。
「お疲れさま。戦闘は終わったの?
騎兵団の人たちはみんな無事?
カイリや王国の人たちは?怪魚はどうなったの?」
「リリィ、落ち着け。騎兵団の者も民らも、皆無事だ。怪魚は今、其方が手名付けているソレだ」
「えっ?!」
ビクリと肩を上げつつ、私は恐る恐る、自身の手のひらをつついているチンアナゴを見つめる。
「……そうなの?
もしかして、あの時のヒマントロフュス、なんだっけ。
あの怪魚も、本当は普通の魚だったのかな」
「ヒマントロフュス・グロエンランディクスだ。
あれもそうだ。皆、海魔の邪気で巨大化したものだ」
海魔という単語がシェリから出たことに、私も少し身構える。
やはり、私はもっとこの王国についても勉強すべきだ。
海魔の暴走を止める手掛かりが、何か見つかるかもしれない。
顎に手を当て少し考え事をしていると、
「!シェリ?どうかしたの?」
「……リリィ、」
突然に、彼が何かを伝えようとするかのように私の手首を強く掴んできた。
少し驚いて彼を見やっていると、ナプティムウトを始め、他の騎兵団員たちもこちらに向かい、移動してくる様子が視界に入って来る。
シェリは彼らの姿を捉えると、私からは静かに手を離した。
「リリアナ様、ご無事で何よりです」
「ナプティムウト様……
ご心配をおかして申し訳ありませんでした」
ナプティムウトと話しながらもシェリの様子を伺ったが、彼は何事もなかったかのように部下の人たちと談笑を始めた。
シェリの行動を少し不可解に思いつつも、私もあまり気に留めないようにした。
その後も、騎兵団の人たちは私に温かい言葉をたくさんかけてくれた。
このあたたかな人たちが無事で本当に良かったと、今は心からそう思うことが出来る。
私は彼らの前では終始、笑顔でいるよう努めた。
帰還の準備が整うと、騎兵団はシェリとナプティムウトを先頭にし、列になって進んで行く。無論、目指す先はマーレデアム王国だ。
ちなみに私は守人であるシェリと共に、彼の戦闘鮫魚に乗せてもらっている。
大物討伐に成功したためか、騎兵団の人たちは今もなお興奮気味である。
先頭にいる私たちとは少し距離が空いているにも関わらず、その弾んだ会話が聞こえてくるほどだ。
「女神様は本当に立派なお方だ。
ご自身のことよりもまず先に、我々のことを気にかけて下さる」
「そしてあの浄化の御力!
リヴァイアサンを見たか?まるで子供の指ほどの大きさになった」
「祝福をいただけるとあれ程の力を発揮できるとは。俺たちにもまだまだ鍛え直す余地があるということだな!」
彼らの会話を、私は黙って聞いていた。
気を抜くとつい負の感情に負けてしまいそうになるため、私は唇を固く閉じて全身に思い切り力を込める。
(女神の愛し子ってみんなにとっては本当に特別なんだろうな。シェリなんか、最初は脅してでも王国に留まらせようとしたくらいだし……
あ、そう言えば私、まだシェリに謝ってない)
そのことに気付いた私は、背側で戦闘鮫獣の手綱をとっているシェリの方へと少しだけ振り返る。
「シェリ、今日はありがとう。
あと、王宮を出ないって約束したのに守れなくてごめんなさい」
「それは其方のせいではない。礼など必要ない」
「ううん。私がもっとしっかりしなきゃいけなかったの。カイリにもすごく怖い思いをさせてしまって」
「……リリィ」
「帰ったらカイリに会いにいってもいい?
あの子にもちゃんとお礼が言いたい」
そう言葉を紡ぐと、私の身体を支えているシェリの片腕にぎゅっと力が込められたことが分かった。
「シェリ?」
「リリィ、ここからは俺にしか其方の表情は見えない。
もう、我慢しなくていい」
シェリは右腕を庇うようにしながら、そっと自身の方へと私を引き寄せる。
「よく、無事でいてくれた。
一人で怖かったな。決して不安な思いはさせないと誓ったというのに。
……リリィ。守ってやれなくて、本当にすまなかった」
彼はそう言って、私のことを優しく抱きしめた。
愛し子としての決意の裏を暴かれたような、でも、本当は誰かに触れて欲しくてたまらなかったような、今はそんな複雑な心情だ。
なのに、それをすでに彼に知られていたかと思うと、ずっと我慢していたものの
シェリは私をさらに強く抱きしめ、髪にそっと、自身の唇を寄せた。
「俺にだけは弱い心も晒せばいい。
俺の前では無理に笑わなくていい。
ずっと、愛し子でいる必要などない。
リリィは、リリィのままでいいんだ」
もう人前で泣いてはいけない。
怖がったり、不安がる姿を見せてはいけない。
そう思っていた。
しかし、この人の前では、私は涙を我慢しなくてもいいのだろうか。
この先もずっと、怖い、不安だと伝えることが許されるのか。
複雑な思いと、どこかほっとした気持ちと、そして心臓をぎゅっと掴まれたような鈍い痛みが入り混じっている。
気が付くと、私の両の眼からは
シェリのくれる言葉たちが、私の暗い心内に優しく色を付けてくれた。
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