第6話  お披露目〈前編〉


「さあさあリリアナ様、今日は忙しくなりますわよ!」


「本日は貴方様にとっても、きっと特別な日となられますわ」



私がマーレデアム王国に来てから一か月と少しが過ぎた。

今日は前々からの決定事項、全王国民に向けての"女神の愛し子お披露目会"が行われる予定だ。



そんなわけで、侍女たちは朝からとても忙しい。



「リリアナ様の肌はとても白くていらっしゃいますから、どんな色のドレスでも映えますわね」


「イエローのエンパイアドレスとピンクのミニドレス、どちらもお似合いですわ。

ああ、でもあまり露出の多いドレスはラドシェリム殿下に止められていますから、今回はイエローのドレスにいたしましょう」


「おぐしも下ろしましょうね」



今回のドレスはオフショルダーではなく、ホルターネックのもの。

髪型もサイドを編み上げたハーフアップスタイルである。



前回の園遊会での話が伝わっているのか、侍女たちは私にとても気を遣ってくれている。



「「美しいですわ リリアナ様!」」



侍女たちが嬉々として私のことを褒めてくれる。

あの宴の後に私が三日間もめそめそと過ごしていたことを知っているだけに、彼女たちは元気になった今の姿をとても喜んでくれていた。



「ありがとう。モネ、ルル。」



ここ二週間ほどで、私は侍女たちともよく話すようになった。



彼女たちの名前はモネとルル。

とてもミーハーで、この海底王国の色々な四方山話よもやまばなしを私に聞かせてくれる。その中ではもっぱら、恋のお話が多い。



「ナプティムウト殿下はとても人気がおありですわ!この間も大臣の娘が猛アタックされているのを、わたくしの侍女仲間が目撃したそうです」


「殿下はお優しい上、王族という高貴な身分でいらっしゃいますから、彼の本命を射止めたい女たちの壮絶な争いが日々繰り広げられているのです」



ナプティムウト……

確かに、彼は人当たりが良く的確なフォローも完璧というとても魅力ある男性なため、もてるのは納得だ。


それに王族の人たちは皆、美男美女揃いなので見ているだけでも目が癒される。



「それを言えばラドシェリム殿下も!

本当は皆お近付きになりたいと思っているのに、"みんなのラドシェリム殿下"という暗黙のルールが出来てしまっていますわね」


「殿下は必要以上に女性とはあまり話されませんものね。

女のかたが苦手で、一時、実は本命が男性かもしれないという噂もまことしやかにささやかれていたりして……」


「ええっ?そうなの?」


「リリアナ様、あくまで噂ですわよ、噂」



なんということだ。

いや、人の恋愛事情に口を出すつもりは全くないが、私に対するエスコートやら対応やらがとてもスマートだったので、シェリはてっきり女性経験が大変豊富なのだろうと勝手なイメージを持っていた。



ちなみに、残念ながら私は今まで恋とは無縁の生活を送ってきた。

デートのお誘いや好きだと言ってくれる男性もまれにいたが、曾祖母の看病と仕事が忙しかったこともあり、すべてお断りしていた。



「あとこちらは余談ですが、トリンティア殿下はご結婚されておいででしてよ。

大恋愛の末に結ばれたのですって!400年前に!」


「よ、400年前……?」



シェリが確か352歳。

彼が生まれる以前にトリンティアはすでに結婚していたことになる。



……私の知る海人族の人たちは、皆一体いくつなのだろうか。

17歳の私など、ほんとに赤子も同然なのかもしれない。



「でも、結婚かぁ。大恋愛の末になんてすごく素敵だね!」



(私も結婚するなら大好きな人との恋愛結婚がいいな。あ、でも陸に帰れない私って、実は一生結婚出来ないんじゃ……?)



まだ成人したばかりで結婚願望がそれほど強い訳でもないが、私だって乙女の端くれ。

憧れくらいはあったのに。



「残念だけど、私には縁のない話だな」



私がポツリとそう言った時、侍女たちの目の色が突然変わった。



「まぁぁ!とんっでもございませんわ、リリアナ様!!」


「そうですわ!今一番の皆の関心事は、"女神の愛し子様のご結婚相手"についてですもの!」




「……はい…………?」



侍女たちの思いがけない発言に、私の目が点になった。






二時間後、女神の間の玄関扉を叩く音と、四方山話の主役の一人だったシェリの声が聞こえてきた。



「リリアナ様、ラドシェリムです。

お迎えに上がりました」


「……はい……」


「リリアナ様?何かございましたか?」


「……何でもありません……」



侍女たちに様々な情報を叩き込まれ、私の頭はパンク寸前になっていた。


そんな彼女たちと言えば、私のドレスアップ最終仕上げとして、さまざまな角度から入念にチェックを入れている。



「完璧でございますわ、リリアナ様。

どうぞいってらっしゃいませ。

わたくしたちも、後から会場近くへと参りますわね!」


「うん……」


「ファイトですわ、リリアナ様!」


「……やっぱり行かなきゃだめ?」



モネとルルの声援が辛い。



「リリアナ様、本当にいかがされましたか?」



グッタリとしている私を前に、何かを察したであろうシェリがジロリと侍女たちを見やる。すると彼女たちは慌てて腰を折り、私たちを見送る体勢を取ったのだった。



「ラドシェリム殿下、リリアナ様。

それではお気を付けていってらっしゃいませ」






マーレデアム王宮へ向かう途中、案の定シェリには色々と質問をされたが私は曖昧な答えで返しておいた。正直、私にはどう答えて良いのか分からない。



"本日のお披露目で、リリアナ様は全王国民たちに完全に認識されることになります。


リリアナ様がこのマーレデアム王国に滞在して下さることはもちろん、どの一族に血を分け入れられるのかが今後注目されていくことでしょう。


無論、婚姻を結ぶ最有力候補は王家ですが、宰相一族、他の守護者一族たちも、これからリリアナ様にあの手この手で接触してくるはずです"



"リリアナ様は良い意味でとても純粋でいらっしゃいますから、決して騙されてはなりませんよ!


相手候補だけでなく、その親族までもしゃしゃり出てくる可能性がとても高いのです"



(私、まだこの王国に来て一か月しか経ってないんだけど……。


それに私の意思なく結婚話が進められているなんて、やっぱりひどくない?)



理不尽なことにはもう段々と慣れてきてしまってはいるが、まさか結婚までとは。


そもそも私は人間なのだが、海人族の人たちは気にしないのだろうか。

それに、種族が違っても結婚とは問題ないものなのだろうか?



……いや。

一つ、大アリな問題がある。



(寿命が全然違うじゃない……。

私が先に死んじゃった後は、その相手の方は一体どうなるんだろう)






「リリアナ様、ようこそお越し下さいました」


シェリと共に王宮の中庭へと到着すると、美しいドレスに身を包んだトリンティアが声をかけてくれる。



「トリンティア様!何だかお久しぶりです。

今日もとてもお綺麗ですね」



と笑顔で言った後に、私はこの中庭には宰相一家を始めとする、この前の園遊会で見た顔ぶれが揃っていることに気が付いた。


本日のお披露目は王国民に向けてと聞いていたのに、ここには大勢の守護者たちが集まっていたため思わず身体が強張ってしまう。



「まあ、何をおっしゃいますの。リリアナ様に敵う女性などございませんことよ!」



トリンティアは今日も麗しく、そして優しい。


こんな美女と並ぶのはとてもはばかられるが、宰相一家、もとい守護者一族が揃うこの中庭では、出来る限りトリンティアかシェリの近くにいたい。

侍女たちにあんな話を聞いてしまった後ではなおさらだ。



「シェリもそう思うでしょう?」


「……はい」



私がシェリを見上げると、彼は警戒するように辺りを見渡している。



「シェリ。今は国王陛下がわたくしたち以外、リリアナ様にお声がけすることを容認していないから大丈夫よ。


リリアナ様にお気を遣わせてしまわないように、今のこの時間だけは跪くことも禁じてあるわ。


あら?主人も来たかしら。リリアナ様、少々お待ち下さいませね」



そう言って、トリンティアは優雅に中庭を歩き出した。トリンティアの姿を目で追っていると、周りの人々がこちらの様子を伺っていることに気付く。



皆跪く訳ではないが、目を伏せ手の指を胸の前で交差させている。


そしてその後は、値踏みをするような、品定めをするような目を一斉に向けられしまい、なんとも居心地が悪くなった。


しかもその中には、私が忘れたくても忘れられない、あの宰相の息子たちもいる。



色々な感情が交差し、だんだんとうつむきがちになっていると、不意にシェリが私の手を取り王宮の方へと歩き出した。



「お披露目が始まるまで少し王宮で待機いたしましょう。宮の中にはただ今使用人しかいませんのでご安心を」


「はい……。でも、トリンティア様は?」


「義兄上と合流されたようなので問題ありません」



(もしや400年前、大恋愛の末結ばれたっていう噂の旦那様?)



あの美女を射止めた人を少し見てみたい気もしたが、シェリが少し強めに私の手を引いて歩いていくので後ろを振り返ることが出来ない。



そのため、中庭の一角にいたあの兄弟の不穏な空気にも、当然気付くことなどなかった。





「ラドシェリム副団長、またもや我らの前でリリアナ女神様を攫うような真似を!」


「落ち着けバリスハム。

騎兵団本拠地に通われているリリアナ女神様に我々が"敢(あ)えて"接触していないのは、今日のこの日のためなのだ。


民衆に向けてのお披露目が無事終われば、今度は王都広場で催しが行われる。

その後に……分かっているな?」


「もちろんです兄上!準備は整っております」



弟のその言葉を聞き、シリスハムの薄い唇の片端が上がる。



「リリアナ女神様を他の男には決して渡すまい。彼女を妻にするのはこのシリスハムだ」




その頃。

王宮の客間へと通された私は、その部屋に備え付けられた豪華な椅子の上に座らされていた。


シェリは椅子前に立つと、少しいぶかしむように腕を組んで私のことを見下ろしてくる。



「リリィ。其方、おおよそあの侍女たちに何か吹きこまれているな?」


「……えと」


「何があった」



私はこれ以上隠しておくこともできず、ポツリポツリと、侍女たちに聞いたことをシェリに話す。



シェリは、はあ、と分かりやすくため息をつくと、やがて私と視線を合わせるようにその場に片膝を付いた。



「間違ってはいないが、リリィが気にする必要はない。女神の愛し子に婚姻を強要することなど、国王ですら不可能なことだ。


あの宰相や、宰相一族とは犬猿の仲の守護者たちが勝手にかぎまわって動いているに過ぎない」


「……そうなの?

てっきり、今日のお披露目会がお見合いの場みたいになっちゃうのかと思って、ちょっと気が重かったの」


「そうはならないよう俺たちも奴らの動きを見張る。

守人の俺が側を離れるようなことはないだろうが、其方も決して一人にはならぬよう気をつけてくれ」


「うん、分かった」



シェリの話を聞いて、私は少し気が晴れる。彼はさらに私を安心させるよう言葉を紡いでくれた。



「今日は王族や守護者一族ではなく、民に向けた愛し子のお披露目だ。

気負わず、いつも通りの其方を見せてやれば良い」


「うん……ありがとう、シェリ」



不安な気持ちが徐々に薄れていったため、シェリに向けて少し笑顔を見せる余裕も出てきた。



「それと、其方にまだ言っていなかったが、今日のドレスも髪型も、よく似合っている」


「え……?」


「世辞ではないぞ。前の宴の時に美しいと思ったのも本当だ。其方は信じていなかったようだが」


「……シェリって、本当に女性が苦手なの?」


「は?」


「あ、ええっと。こっちの話」



今日のシェリは、騎兵団本拠地の食堂でお茶をしていた時のように、私を揶揄(からか)うような素振りは見せない。


どうして私はこんなにドキドキしているんだろう。

シェリはどうして、私にあんなことを言ったのだろう。私が女神の愛し子だから、気を遣ってくれているのだろうか。



そう思うと、何だか私だけが一人ドギマギさせられているようで、非常に悔しくなってくる。


恋愛経験のない私では仕返しにもならないが、ウェイトレスでつちかった、精一杯のお返しをしておきたくなる。



「リリィ?」



私はシェリの片手を取り、それを両の手で包み込む。


そして、カフェの上司であるオーナーにお墨付きをもらった、"特別な営業スマイル" でもって彼に微笑みかけた。



「ありがとうございます。シェリも、いつもとても素敵ですよ」



そう言って、私はにっこりと彼を見つめる。



特別な営業スマイル。

いや、笑顔だということに変わりはないのだが、普段自然と出てくるものより10倍程柔らかく、優しく、唇も出来る限りゆっくりと弧を描くようにする。


瞳をほんの少し細め、まさに微笑といった雰囲気に最大限仕上げる。



つまり、女性らしさを全面に押し出した笑顔なのだが、オーナーは私のこれに、"女神の微笑" という名前を付けていた。



シェリは眼を見張り、一瞬固まっていた気がする。ちなみに手を握るなんてことは、もちろんカフェのお客様たちにはしていない。



私はシェリの手をそっと離し、立ち上がると、未だ腰を落としたままの彼の横をするりと通り過ぎた。



「では、そろそろ参りましょうか」



私は客室の扉近くまで進み少し振り返ると、もう一度にっこりと笑ってシェリを待つ。

 


「……なるほど。

あれを仕事でしていたとは実に危険だな。勘違いをする男が続出しそうだ」



シェリは再び深いため息をつきつつ、自身の顳顬を抑えながらそうつぶやいた。



彼の耳……ではなく、耳付近のヒレが、少し赤く染まっていたことなど、この時の私は知るよしもない。




シェリと私が再び王宮の外へと出ると、国王夫妻やトリンティア、そして護衛としてナプティムウトと幾人かの騎兵団の人たちが、すでに私たちのことを待ってくれていた。



「リリアナ様、何か不都合でもございましたか?もしやまた、何かご不快な思いでも……」


「いいえ、少し緊張してしまってお部屋で休ませていただいただけです。遅れて申し訳ありません」



あの前歴があるためか、国王がとても心配そうに私に声をかけてくれる。



「リリアナ様、何事もなかったようで安心いたしましたわ」


「トリンティア様!お声がけもせずに失礼しました」


「いいえ、とんでもございません。シェリがわたくしに目配せをしていたので、きっと何か事情があったのでしょう」



私がトリンティアと話をしていると、その様子を一歩下がったところから見守る、とても穏やかそうな紳士がいることに気付く。


もしかすると、彼がトリンティアを射止めた旦那様だろうか。



「えっと、こちらの方は?」


「ああ、ご紹介が遅れ申し訳ございません。彼はわたくしの夫、セシルド・ポセイドンにございますわ」



やはり、思った通りである。

トリンティアの夫は彼女と並んでも引けを取らないような、とても男前な男性だ。

物腰も柔らかそう。


この男性は確か、以前行われた園遊会にも出席していたはず。アブサハムが跳ね除けていた、もう一人の王族の人だ。



「初めまして、セシルド様。

リリアナ・マリンクロードと申します」


私が腰を折りながら自己紹介をするとセシルドは少し驚いたように私を見やったが、すぐに穏やかな笑みを浮かべ言葉を返してくれた。



「ご挨拶が遅れ、大変申し訳ございません。


お初にお目にかかります。

私はトリンティア殿下の夫、セシルドにございます。リリアナ様のことは殿下からもよくお聞きしておりますよ」



セシルドはそう言って、私にあたたかに微笑んだ。

一体どのように私のことが伝わっているのか少々怖いところではあるが、トリンティアはとても優しい女性なので、変な風にお伝えされていないことを信じたい。


シェリがナプティムウトに伝えたような。



「……とても。とても心の清らかな愛し子様であると聞き及んでおります。

私も心から歓迎いたします、リリアナ様」



そう話すセシルドの腕に、トリンティアが優しく手を添える。彼らがお互いのことをとても想い合っている様子が伝わってきて、こちらまで心がポカポカと温かくなる。



これが大恋愛結婚による、400年越えの愛の形……。私にはとても眩しい。



「ではそろそろ、リリアナ様のお披露目式が執り行われる"王都広場"へと参りましょう。

皆、貴方様の訪れを待ち望んでおります」



エスコートのためシェリが私へと手を差し出したので、私はそこに自身の手のひらを重ねた。




いよいよマーレデアム王国の全民に向け、私のお披露目が始まる。






「リリアナ様、足下にお気を付け下さい」



シェリに手を引かれながら王宮の中庭を進んでいくと、やがて王居の大門へとたどり着いた。


王宮を挟んで逆側に造られている女神の間へと抜ける小門とは違い、こちらの方が正面門という名に相応しい、大層立派な門構えである。

その大門から続く道をひたすらに進むと、今度はさらに巨大な外門が見えてくる。



私たちがそれをくぐり抜けるとやっと、美しい円形の広場、"王都広場" が姿を現す。

王都広場は私の胸くらいの高さの白壁で囲われていた。



シェリは私をエスコートしたまま、その広場を真っ直ぐに突っ切っていった。


私たちが広場の端までたどり着くと、その広場から10メートルほど下がった先にも広々とした空間がある。


王都はそのスペースを空けるようにして、そのまま奥義状に広がっているようだった。


王都は私が曾祖母と暮らしていた港町のような所ではなく、幼い頃に両親と住んでいた、内陸にある都会の雰囲気とよく似ていた。



「すごい……!海の底に、こんな大きな都市があるなんて!」


「陸地のようにいくつも都市があるわけではないがな。ここに全ての海人族が集結している」



私は広場の白壁から少し身体を乗り出して、王都全体を見渡す。


陸地と同様、建物が所狭しと並び、住宅街を思わせる場所や商店たちが連なっている箇所もある。


また所々に設けられている公園のような場所では、海人族の子供たちが皆で遊んでいる姿も。


陸の大都市と違うのは、人々が街中を馬車や電気オープンカーで行き来しているのではなく、皆それぞれ泳いでいるか、私が魚市場では見たことのないような大魚たいぎょの背に乗って移動している、ということだろうか。



シェリに一応確認してみた所、もちろんこの大魚たちは怪魚ではなかった。


確かにあの、ヒマントロフュス・グロエンランディクスよりも何倍も小さい。人一人が乗れるほどの大きさしかない。



しかし。

何といってもここは海の中。


私が幼い頃より見聞きしてきた海とはあまりにもかけ離れすぎていて、彼らが泳いでいる姿を見なければ、ここが海底ということを一瞬忘れてしまいそうになる。



(海の中に人が住んでいること自体、もう私の知識なんかじゃ追いつかないもん。

あと、王都の人たちを見ていてきた疑問がもう一つ……)



「ねぇシェリ。私たちは歩くことが多いけど、都市では泳ぐ人が多いのはどうしてなの?」


「……王宮近辺では皆、其方に気を遣っているのだ」


「え?!」



確かに、私はこの王国に来てから一度も泳いでいない。


いや、カナヅチなので泳げないのだが、皆が私に生活スタイルを合わせてくれていたということだろうか。


仕事のため、シェリと共に騎兵団の本拠地へ出向く時も、今みんなで中庭を抜けて、この王都へとぞろぞろと歩いたことも、もしやすべては私のせい……?



だって泳ぐ方が、どう考えても歩くより速い。



「なんか、ごめんね……」


「気にするな」


「今後はどうぞ、みなさんは泳いで先に移動して下さい……」



またシェリが私から顔を背け、一人笑いをえ始めた。

一月間でこの光景を見るのは一体何度目だろうか。



「そうだな。今後は大魚に乗ることを検討しよう」



シェリはまだ笑いが収まっていないようだったが、私のがっくりと項垂うなだれた姿を見て、それをなだめるように言葉を続ける。



「其方はそのままで良い」



え、泳げないのが?

と、一瞬聞き返しそうになる。



「遊泳が出来なかったり、大泣きをしたり、子供のように拗ねてみたり。

かと思えば瞬時に切り替えて仕事を欲し、それを迅速にこなしていく。


女神の愛し子という立場であるにも関わらず、どんな身分の者にも平等に接する。


俺は当世の愛し子が、リリィで本当に良かったと思っている」


「シェリ……」



とても良いことを言われた気がするが、敢えて少しツッコミも入れたい。



「泳げない、大泣きする、子供のように拗ねる?」


「あと、すぐに慌てる、青ざめる、エスコートにも全く慣れない、というのも付け加える」


「……褒めてないよね、どう考えても」


「すべて褒め言葉だ」


「……」



じとりとした目をシェリに向けるが、そんな彼は私に余裕たっぷりの表情を見せる。



「さて、そろそろ皆の所へ戻ろう。

間もなく民らがこの王都広場下へと集まってくる」



シェリはそう言うと、私の手を取って皆のいる大門の方へと向き直り歩き出そうとした。


しかし、ふと何かを思い出したかのように彼は今一度その場に立ち止まり、私のことをじっと見つめてくる。



「あと」


「えっ、まだあるの?」



私がげんなりしながら少し身構えてシェリを見上げると、彼は今しがたの余裕たっぷり顔を少し歪め、複雑そうな表情へと変える。



「あまり他者に給仕の顔を見せるな。

……先程のようなものも」



給仕の顔?それに先程のものとは、特別な営業スマイルのことを言っているのだろうか。



「そんな、見るに耐えないような顔してた?」



正直、かなり落ち込む。

オーナーにはお墨付きをもらったが、海人族の人たちには受けなかったのだろう。


騎兵団員たちにあれ以来ウェイトレスらしいことをしたわけではないが、もし不快な思いをさせていたのなら大変申し訳ない。



「違う、逆だ。

……はぁ。言い方を変える。


他の"男"に、其方の微笑む顔をあまり見られたくない」



それだけを言うと、シェリはふいとそっぽを向き、そこからは私の方を一切見ようとしなかった。

 


外門近くにいる皆のもとへと戻った時、彼らがニコニコと、とても微笑ましそうに私たち二人を見ていたのが居た堪れない。



(どういうつもりでそういうことを言うの……)




やはり、シェリにだけはうまく言葉を返せない。また私のことを揶揄からかって、反応を面白がっているだけだと分かっているはずなのに。



それなのに、私の顔は未だ真っ赤に染まったまま。

波打つ心臓の音も、しばらくは鳴り止まなかった。

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