第5話  海人騎兵団



シェリたちの所属する海人騎兵団の本拠地は、マーレデアム王宮から少し離れた場所に在していた。


王宮と女神の間、そしてこの騎兵団本拠地を線で結び上空より見やると、綺麗な二等辺三角形となるらしい。



私はシェリにエスコートされて騎兵団の本拠地へと入った。


高い外壁で囲まれた本拠地は外からは全く中の様子が見えなかったが、門の中へと足を踏み入れるや否や、すぐに二つの建物が姿を現し、その奥には平地が広がっている様子も伺えた。



女神の間や王宮が白を基調とし、装飾が所々充てがわれた建造物なのに対し、この騎兵団の建物は、なんというか、かなり殺風景である。直方体の大きな同じ建物が二つ、真ん中にある道を挟むよう左右に聳(そび)えている。


色も灰色で所々苔こけのようなものが生えているせいか、何だか全体的に古びているように見えた。



女神の間や王宮の見目が美しいため、ここだけポツンと浮いているような、そんな雰囲気である。



「リリィ。この左側に建つ建物が、其方が主に仕事をする場所だ。

地下に食料庫、一階が書類仕事等を行う部屋兼書庫、二階が医務室になっている。


右の建物は我々海人騎兵らの宿舎だ。地下に炊事場と食堂がある」



私はシェリの説明をふむふむと聞き、普段は左側の建物で仕事を行うが、食事を作る時は隣の建物に移動しなければならないということを理解する。



シェリに連れられるまま、建物の間を抜けるよう中央に敷かれた人工道を歩いていくと、やがて広大な平地へと出る。


そこでは騎兵団員と思しき人々が武器を持ち、模擬戦闘をしている最中だった。

長剣と長槍を扱う二種の集団に分かれ、それぞれが訓練しているようだ。



シェリは私に少しここで待つように言い、

訓練中の騎兵団員たちの方へと進んでいく。



「お戻りでしたか副団長!」


「お帰りなさいませ。

みな、武器を片し整列せよ!」



皆がシェリの存在に気付き、彼の方へと向かってくる。


そして、たった今まで訓練を行っていた騎兵団の人たちは、それぞれ手にしていた武器を瞬時に手の内から消していった。



(あ!これ、海でシェリがしてたのと同じ!

食料庫はあるのに武器庫がないのはこのためなんだ。


不思議……騎兵団の人たちはみんな、自由に武器を出したり消したりできるの?)



そんなことを考えつつ彼らの方へと視線を向けていると、何人かの騎兵団員たちが私の方をチラチラと見やり、何やら騒いでいることに気付く。


私が本拠地へと来ていることを、どうやらシェリが伝えたようだ。



「めっめめめ、女神の愛し子様!」


「女神様が何故こんな所に?!」



(あ、そうか。みなさんは私が今日からここでお仕事することをまだ知らないんだ)



国王にすらそのことを先程お伝えしたばかりなのだ。彼らが知らないのは当然である。

私は皆に挨拶をしようと、シェリや騎兵団の人たちがいる方へと一歩、歩みを進めた。

しかし。



「リリアナ様はそこでお待ちを」



不意に、まるで制すようにシェリにそう言われた私は、二歩目を出そうとしてた片足を思わず引っ込めてしまった。


シェリと騎兵団の人たちがこちらに来るのを、私は言われた通りこの場を動かずに待つ。


騎兵団の人たちは未だ戸惑いを隠せていない様子だったが、彼らは私の前に到着すると、シェリに続きその場に跪いた。



「女神の愛し子。

我が騎兵団の本拠地にご参上いただいたことを心より感謝いたします」


シェリはそう言うと、一人立ち上がり私の側まで歩み寄る。

私は思わず小声で彼に話しかけた。



「突然何?」


「其方がこちらに来ようとしたから止めたのだ」


「あ、そっか。みなさん訓練中だったんだよね?ごめんなさい」


「……そうではない。我々が女神の愛し子をこちらへと出向かせるわけにはいかないからだ」


「どうして?全然歩くよ?」


「其方は立場上では王族以上の権力を持っている」


「……それは出来れば聞きたくなかった」



国王が私に跪く姿を見て何となくそうなのではないかとずっと思っていたが、面と向かいズバリ言われてしまうととても逃げ出したい気分になる。


げんなりしている私をよそに、シェリは私の右手側に立つと、よく通る力強い声で騎兵団の人たちに言い放つ。



「本日よりリリアナ様が我々の仕事の一部を引き受けて下さることになった。

リリアナ様にご滞在いただくのは主に左棟の一階になる。護衛には守人の俺が付く。


皆の者、決して女神の愛し子に無礼のないようそれぞれ従事せよ」


「「御意!」」



海人騎兵たちの歯切れの良い返事が本拠地に響く。

ちらりとシェリを見やると、彼もまた視線を私へと移し、彼らへの挨拶をうながしてくる。



「あ、えっと。突然お邪魔してごめんなさい。

今日から書類整理のお仕事をお手伝いさせていただきます、リリアナ・マリンクロードと申します。


まだこのマーレデアム王国に来たばかりで右も左も分かりませんが、一生懸命お仕事をさせていただきます。


みなさま、どうぞよろしくお願いいたします」



ペコリと頭を下げ、私は勤務1日目らしい挨拶をしたつもりだ。


が、何故かシェリが隣で顳顬こめかみを抑えている。

騎兵団の人たちも皆、口をあんぐりと開けて私の方を見ている。



(あれ……何かまずかった?)



私はこの海底王国に来てから一体何度嫌な汗をかいただろう。


この場がシン、とした空気になり居た堪れなくなっていると、背後から私の知るとても穏やかな声が聞こえてきた。



「リリアナ様は我々にとても親しく接して下さる。でもそれを勘違いして、決して無礼を働くようなことがあってはならないよ。


このお方は2000年ぶりに、やっと我々の前に降臨されたテティス海女神の愛し子なのだから」


「ナプティムウト団長!」



後ろを振り返ると、優しい笑みを浮かべるナプティムウトと目が合う。

彼はシェリとは対になるよう私の左手側に立つと、再び騎兵団の人たちに向けて言葉を放つ。



「みな、リリアナ様にはくれぐれも失礼のないように。では、訓練を再開しなさい」



ナプティムウトがそう言うと、騎兵団の人たちは頷き、再び訓練場へと駆け出して行く。


しかし、こちらの方をチラチラと気にする様子も伺えたので、私は営業スマイルを付け加え、もう一度ペコリと頭を下げた。


その後の訓練は、何故か皆、先程よりもさらに気合いが入っているように見えた。



私の両隣では、シェリが顳顬を抑えながら眉間にしわを深く刻み、

ナプティムウトはまるで菩薩のような表情で騎兵団の人たちを眺めていた。



騎兵団員たちと別れた後、私はシェリ、ナプティムウトと共に書類仕事を行うための部屋を訪れた。


部屋自体は広めの造りだが、本や資料を納める棚がいくつも存在する上、無造作に紙が積み上げられたデスクが5つ6つほど並べられているため、狭く見えてしまう。


私はシェリから、その中でも比較的整理されているデスクへと案内された。



「リリアナ様。ここに騎兵団の者が簡単に箇条書きにしたものがありますので、これらを文章に起こして文書を作成していただきたいのですがよろしいですか?

何か分からないことがあれば何なりとお尋ね下さい」



シェリが机上に積まれた書類を少し整えながらそう言った。



「分かりました。

この一番上にあるものからまとめていきますね。海底でも紙や筆記具が使えるんですね……不思議です」


「陸でも海でも、基本同じように技術が発達していますので、生活面にそれほど違いはないかと思いますよ。

ただ、ここでは全て防水ですけどね」



この事実を教えてくれたのはナプティムウト。

地上と海底の違いはそれほどないと聞き、私は気になっていたもう一つのことも尋ねてみることにする。



「では、料理に火は使えますか?」


「問題ありません。ここは海の中なので陸地の炎とはまた違うでしょうけれど、焼き物やフライを作ることももちろん可能です」


「良かった!ちょっと安心しました」



私は思わず笑顔になる。

宴の席では、私はすぐに退散してしまったので王宮料理を見ることすら叶わなかったし、侍女たちが用意してくれる毎日の食事は新鮮な海鮮料理が多く、どちらかと言うと生のまま食したり、酢の物のように調味料と和えてあるものが多い。


もしかしたら女性ということで美容に良さそうなものを出してくれていたのかもしれないが、私だってたまにはガッツリとした揚げ物やパスタなんかも食べたい。

パスタがあるのかは分からないけれど、似たようなものがあれば嬉しい。



ちょっぴり地上の味を懐かしく思いながらも、私はシェリに言われた通り、まずは目の前に積み上げられた書類を捌(さば)いていくことにした。




しばらくの間、私たち3人はそれぞれの机に向かってもくもくと書類整理をしていたが、シェリが仕事に一区切り付いたのか席で一度大きく伸びをした後、私のいるデスクへと近付いてきた。


ナプティムウトが少し離れた場所にいるためか、シェリも少し態度を崩している。



「ほう、其方は文章に起こすのが早いな。言い回しも分かりやすい。メモはこんな殴り書きばかりだというのに」


「ほんと?こんな感じでまとめていけば大丈夫?あ、これは資料を見て図を付けなきゃいけない文書だね。

えっと、"ヒマントロフュス・グロエンランディクス"……?」



これって、もしや。

シェリを見やると彼はニヤニヤと笑っている。



「キョダイチョウチンアンコウでもいいぞ」


「……ほんとにそう書くよ?


これがあの怪魚の正式名称?

随分と長いんだね……。怪魚っていうのはみんなあんな感じなの?」



びっくりするくらい大きくて、ものすごく怖かった。



「怪魚といっても、何も魚を巨大化させたようなものばかりではない。

海蛇やたこが変化した怪魚も多く出没する」


「それは騎兵団の方たちが討伐してるの?」


「そうだ。ここ100年ほどは本当によく目撃されるようになった。本来はあまり姿を現さないのだが、海の生態が乱れるとあのように餌を欲して海上の方まで上がってくる。

故に人間の船が襲われるのだ。


其方の持つ女神の秘宝は、このマーレデアム王国が設立されて間もない頃に参られた、初代女神の愛し子が自らの神力によって作られた物だと言われている。


その秘宝があったからこそ、この2000年、愛し子が不在でも何とか王国は滅びずに保たれた。もちろん、海は汚濁され資源も減り、2000年前に比べると海人族の人口は半数ほどに減ってしまっているが」


「そう、なの……?」



駄目だ。そんなことを聞いてしまったらますます帰れなくなる。



私は自身の首にかけられたペンダントを見つめた。これがないと私はこの海底王国では生きられない。それなのに、そんな大切な物を預けられているということにまた不安が押し寄せてくる。



「こらこら。おしゃべりはお終いだよ、シェリ。


全く君は。どうしてリリアナ様が不安になるようなことばかりを言うんだ。

シェリはリリアナ様の守人なんだから、もっと彼女を安心させてあげないと駄目だろう?


リリアナ様、弟が申し訳ありません。

海人族の人口が減ったことに関しては、女神の不在とは直接的には関係がありません。

ですので、あまり気になさらないようお願いします。



少し、休憩にいたしましょうか。

さあこちらへどうぞ」



ナプティムウトが重い空気を変えるように、優しく私の手を取り立ち上がらせてくれる。そしてそのまま彼にエスコートされて、私は書類部屋を後にした。


シェリはそんな私たちの後に静かに続く。



ナプティムウトに案内された先は仕事をしていた棟とは反対側の、右棟の地下にある食堂だった。



「リリアナ様をこんな場所へお連れするのもはばかられるのですが、今日は王宮から女性が好みそうな甘いお菓子をお持ちしているのです。


すぐに用意させますのでこちらで少々お待ち下さいね」



そう言って私を席まで案内すると、ナプティムウトは食堂の中に控えていた使用人らしき人たちのもとへと行ってしまった。



私は隣に立つシェリを見上げ、彼に話しかける。



「シェリ」


「……すまん」


「どうして謝るの?」


「またリリィを不安にさせるようなことを言ったからだ」


「……でも、きっとそれもいつかは知らなきゃいけないことだろうから。気にしないで」


「すまん……」



シェリがしょんぼりとしている。

いつも私に対しては余裕たっぷりの大人な男性なのに、トリンティアやナプティムウトにはよくお説教をされているようだ。


でも、私は兄弟がいなかったので、シェリには頼れる存在や忠告をしてくれる相手がいるということが素直に羨ましく思える。



「ほら!シェリも一緒にお茶しよう。

甘いお菓子だって、やったね!


シェリの言葉がなかったら、もしかしたらこんなに早くありつけなかったのかも?

だからありがとう」



私はさあさあと言うようにシェリの腕を引き、隣に座らせる。



「……其方は変わった女だな」


「えっ?!変ってこと?」


「それもある」



ちょっと!というように私が眉を寄せ少々唇を尖らせると、その顔が面白かったのかシェリがくつくつと笑い出した。



「あ!ひどい!!」


「悪い。

……可愛いと思っただけだ」



思わず、は?と私が聞き返した時、ナプティムウトが使用人たちを連れてこちらの席へと戻って来た。



「お待たせいたしました。

おや?リリアナ様、お顔が少し赤いですが何かございましたか?」



私が気まずそうにシェリを見やると、彼は何事もなかったかのように、一人涼しい顔をしている。

……なんという男だ。



「リリアナ様?」


「……全くもって何もありません!」


「ええっ?そ、それなら良いのですが」


「……ふっ」



私とナプティムウトの会話に、今度は耐えきれないとばかりにシェリは顔を背け、肩を小刻みに震わせ始めた。


カフェの常連さんに、お世辞は言われ慣れていた。


シェリがああやって笑っているのを見ると、ただ揶揄からかわれているだけだと分かるのに、どういうわけか今日はいつものようにはうまくかわせなかった。


何となくことの全貌を察したであろうナプティムウトが、この空気を微笑ましそうにしながらも、テキパキとお茶の準備をしてくれた。






「噂はかねがね聞いていたが、本当に綺麗な人だな」


「我々とは違い、肌が白くて目がこの海のようなエメラルドグリーン色。ブラウンの長いお髪もまた美しい!」


「そして、何よりあのフランクな感じ!

俺、リリアナ様とは一生口なんかきけないと思ってたぜ!」


「いいよなー副団長!あんな可愛い人と終始一緒に行動出来て」


「こんなむさ苦しい騎兵団の本拠地なんかに来て下さっていることがもう奇跡なんだ。

文句言うな」


「俺、明日から書類仕事希望しようかな」


「「俺も思った!」」



シェリとナプティムウトと共にしばらくの間お茶を楽しんでいた私は、食堂の扉付近が何やら騒がしいことに気が付き、そちらへと目を向ける。


するとそこには、何故だか騎兵団員たちの人だかりが出来ていた。



「彼らは入って来ないのでしょうか?」


私は騎兵団の人たちを見やりながらシェリたちにそう問いかける。

すると。



「あの者たちのことは放っておいて結構です」



シェリは彼らの方をちらりとも見ずに、お茶の入ったカップを口にしている。

 


「なんだかラドシェリム様たちのこと気にされているみたいですよ?

もしあの方たちが休憩中ならご一緒しては?お二人の部下の人たちなんでしょう?」



前職が接客業だっただけに、ついつい席へとご案内したくなる私。


シェリが心底嫌そうに、私たちの前に座るナプティムウトへ目配せをすると、彼はニコニコと笑みを浮かべながらシェリの隣席へと移動してくる。



「そうですね。彼らもお疲れでしょうし、リリアナ様からお声をかけてやってくれませんか?」


「……ナプティムウト団長。そうではないでしょう」


「おや?なんだい副団長。彼らが今まで以上に仕事に精を出してくれるのなら、それに越したことはないだろう?」



そしてナプティムウトはシェリにしか聞こえないよう声をひそめ、さらに話を続ける。



「リリアナ様に無礼を働きそうな者を見極めることも出来るしね。


ただ、今日は "あの二人" がここには来ていない」


ナプティムウトがシェリに話していた内容は小声すぎて私には聞き取れなかった。

きっと、私にはあまり聞かせたくない騎兵団の大事な話なのだろう。



話が終わったらしいナプティムウトと目が合うと、彼は私に向かい笑顔で目配せをする。

騎兵団の人たちを招き入れても良いということが決まったのだろうか。



「私がご案内しましょうか?」


「お願いできますか?リリアナ様」


「もちろんです。本業でしたので!」



シェリとナプティムウトが本業?と聞き直した気がするが、私はカフェのウェイトレスに戻ったような何とも懐かしい気分になっていたので、二人の言葉は気にせず、"お客様"たちを席へとご案内する。



「どうぞ、お入り下さいませ。

お席にご案内いたしますね」



にっこりとした営業スマイルを騎兵団の人たちに向け、私は彼らをシェリたちの近くの席まで案内する。



騎兵団の人たちは最初とても驚いていたが、すぐに嬉しそうな笑顔を浮かべて食堂へと入ってくるようになった。


皆、本日初出勤の私をねぎらうよう我先にと話しかけてくれる。



なので、私もウェイトレスをしていた時のように皆に笑顔でお応えしていった。




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「シェリ。リリアナ様はカフェで料理を作られていたのでは?」


「……俺もそう思っていたのですが、どうやら給仕の方だったようですね」



そう言えばあの宴の日に、シェリがリリィのドレス姿を褒めると、仕事上お世辞は言われ慣れていると言っていた。



「……は?そういうことだったのか?」


「シェリ、青筋を抑えなさい。冷静な判断が出来なくなるよ。

先程の君へと向けられた、彼女からの無意識的仕返しだね。


本当にそう思っていなかったのなら、今みたいに悋気りんきを起こしたりしないだろう?」



「……聞いていたのですか、兄上」


「さて?何のことかな」



リリィ本人はと言えばそのシェリの心情などつゆ知らず、騎兵団員たちへのおもてなしに徹している。



女神の愛し子に給仕をさせたなど、国王の耳にでも入ったらそれこそ大目玉を食らうだろう。


リスクは重々承知のあぶり出し作戦なので、二人は目を光らせ部下たちを真剣に見極ていった。



案の定、翌日からは書類仕事希望者が急激に増えたが、シェリはその中からリリィに下心なく書類仕事が出来そうな者を二名だけ選出し、後はすべて却下した。



ちなみにリリィはあの後、食堂での給仕一切禁止令がシェリによって下されている。

リリィの勤務初日以来、彼女のウェイトレス姿はしばし拝めなくなり、騎兵団の者たちは大いになげいたということである。


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