第4話  思惑の交差



"リリアナ女神様には故郷への未練などお捨ていただきたいのです"


"もうご家族がいらっしゃらないのであれば安心ですね"




宴の席を後にし、ようやく女神の間へと逃げ帰って来た。

あの兄弟たちの言葉が今もずっと、頭の中で木霊こだましている。


たった一人の家族だった曾祖母が亡くなって1年が経ち、ようやく心の整理がついた。

仲の良い友人がいて、仕事だってやりがいがあって、毎日充実していた。 



"リリィにはこのマーレデアム王国で生涯を過ごしてもらう。

其方が陸に戻れる日は、もう二度と訪れない"



私はドレス姿のままベッドへとダイブする。

彼らの言葉の後に、昨日シェリから放たれた言葉が重なってくる。


もう、何も考えられない。



「……曾おばあちゃん。私、家に帰りたいよ」



侍女たちには下がってもらった。

今、部屋には私一人。もう遠慮なんかしていられない。

この日、私は声を上げて泣き続けた。


顔を枕に押し付けるようにして伏せっていたので、部屋の外にそっとその場を離れる人影があったことなど私は気付いていなかった。



------



「ラドシェリムよ、リリアナ様の様子はいかがか」


「……故郷が恋しくなったようです」



ここはマーレデアム王宮にある国王の執務室。

この場には今、シェリ、国王を始めとする王族たちが集っている。


リリィが王宮の中庭を立ち去った後、シェリは密かに後を追い、そして女神の間へと戻った彼女の様子をテラスより伺っていたのだ。

彼は女神の間を離れた後再び王宮に戻り、リリィの現状を皆へと報告する。



「陛下、女神様はまだ17歳でいらっしゃるもの。無理もありません」



そう言葉を紡ぐのは王妃である。



「あの二人の無神経さにはほとほとあきれましたわ。

……それでも。シェリ、リリアナ様はこの海底王国に留まることを本当にご了承下さっているの?先程の様子ではとてもそのようには思えなかったわ。

あなた、リリアナ様には何と説明したの?」



シェリは厳しく自身を見据えるトリンティアを前に、少し視線を下げながらその質問に答えていく。



「そのままです。

マーレデアム王国の平安のために、そして陸の者たちに海魔の被害が及ばぬように、

我が王国へ留まっていただくよう申し上げただけです」


「……シェリ。君はどうしてそんな突き放すような言い方をしたんだい。


それではリリアナ様に、この王国と故郷のために犠牲になれと言っているように聞こえてしまうよ」



ナプティムウトにもそう指摘されたシェリは自身の拳を握り締める。



「どんな綺麗事を並べた所で、故郷に帰りたいというリリアナ様の望みは叶わないのに?


女神の愛し子を"救い主"だと思っているのは我々海人族だけです。

あのお方にとって、それは人柱のようなものでしかない」


「シェリ、あなたはリリアナ様を故郷へと返してあげたいの?」



王妃が少し眉を下げながらシェリの背中へとそっと手を当てる。



「……母上、俺は王家の人間です。

民たちを守らなければならない立場の者が、そんなことは思いません。


ただ、俺はリリアナ様に母国へ送ると約束したのに、我々海人族の事情でそれを反故せざるを得なくなったのです。


ならせめて、故意に故郷を離れたばかりの今の彼女には家族や友人たちの話題は避けるよう、周囲の者たちにも厳重に忠告しておくべきです」



強く厳しい言葉を放つシェリのことを、王家の者たちはみな真剣な眼差しで見つめている。



「ドレスの型やヘアスタイルも然り。

わざと紋章を見せつけるようなデザインが提案されています。あれはおおむね宰相の差金でしょう。


リリアナ様もおっしゃっていたように、紋章の実態を知り得る我々にとっては、あの痣は誇り高き刻印に思えますが、彼女のように何も事情を知らない者からすれば、あまり他者の目には触れさせたくないものかと。


守護者も含め、我らはもっとリリアナ様に配慮すべきでした」





時を同じくして、宰相一家が住まう館でも一族会議が開かれている。

無論、シリスハムとバリスハムの、女神の愛し子への失言が議題である。



「なんと愚かな発言を……!

リリアナ様が故郷を離れたばかりだと、あれほど私が申しておっただろう!」


「もっ、申し訳ございません父上!

ラドシェリム副団長がリリアナ女神様の守人に任命されたと聞き、出遅れてしまってはいけないと焦ってしまったのです……!


ただでさえ我がバクナワ一族は王族の血がどんどん薄れていっているのですから」


「バリスハムの言う通りです。

リリアナ女神様には是非我が一族の者と婚姻を結ばせたいと、父上もそうおっしゃっていたでしょう?

王家とは先代女神の愛し子が訪れるずっと以前に、わずかな血族関係があった程度だと聞き及んでおります。


ここで王族をしのぐ権力を持つ愛し子の血を入れなければ、この先バクナワ家が王家に取って代わることなど夢のまた夢となってしまいます。


陸地の愚民のことなど、我らが忘れさせれば良いのです」



アブサハムは息子たちの言葉を聞き少し冷静さを取り戻すと、今度は這うような低い声で二人に諭す。



「良いかお前たち。此度の愛し子の降臨が、我々一族が王族に成り代わる最後のチャンスなのだ。

何としてでもリリアナ様を、其方ら兄弟のどちらかの妻として迎える」


「お任せ下さい、父上」


シリスハムはそう言いながら、あの宴の席で自身たちの前に立ち塞がり、リリィのことを隠そうとしたラドシェリムの姿を脳裏に浮かべた。



「副団長、貴方様には渡しませんよ。


やっと、幼き頃より焦がれてきた女神が我が前に現れたのだ。

あの方を手に入れるのは、私だ」






園遊会が開催されてから、もうすでに三日が経過しようとしていた。

リリィは相変わらず女神の間に引きこもり、文字通り、三日三晩泣き続けているようだった。



「リリアナ様の様子はどうだ」


「今日もずっとお部屋から出ていらっしゃいません。お食事も、もう三日目ですのにほとんど手を付けておられないのです」


「……そうか」



シェリはふぅ、っと小さく息をつく。

このため息もこの数日間で一体何度吐き出しただろう。



「俺がリリアナ様の体調を見る。お前たちはもう下がって良い」


「ですが……」


「陛下の命令だ」


シェリは女神の間のテラスに侍女たちを残し、一人部屋の中へと入って行く。



「リリィ、部屋に入らせてもらうが良いか?

其方と少し話がしたいのだが」


「……私は誰とも話したくない」


部屋に入ること自体は拒否をされなかったので、シェリはそのままリリィが突っ伏すベッドの方へと向かう。



「分かっている。体調を見るだけだ。

横になったままで構わない」


「……この部屋に、侍女なしで男の人は入れないんじゃなかったの」


「国王陛下に許可は得ている」


「……また私の意思は無視?」


「皆、其方の体調を案じているだけだ」



シェリはそう言うと、天井から垂れ下がる天蓋を開け、リリィが横たわるベッドへとそっと腰を下ろした。


リリィの頬に自身の手甲を当てる。

熱はないようだ。

ただ、あまり食していないせいか、リリィの顔色はすこぶる悪い。



あれから三日しか経っていないはずなのに、リリィは随分痩せた気がする。

三日三晩泣き続けてきたせいか、彼女の目元は真っ赤に腫れていて、翠緑色の瞳も心なしか少しくぐもっているように見える。


シェリはリリィの頬から手を離し彼女へと言葉をかける。



「リリィ、少しでいいから何か食せ。体が持たなくなるぞ」


「そうなったらあなたたちが困るから?

私が死ぬと、たしか海の浄化が出来ないんだっけ」


「……そうではない。ただ、其方の体調が心配なだけだ。

宴の席では不快な思いをさせて申し訳なかった。


この王国の事情に其方を巻き込んだのは俺の責任でもある。不本意かもしれないが、俺で良ければ胸の内を吐き出すといい。


やはり、故郷が恋しいか?」



シェリはリリィへ、柔い口調でそう問いかけた。



「……両親と祖父母が小さい時に事故で死んじゃって……。その後に私のことを引き取って育ててくれた曾祖母も一年前に老衰で亡くなった。


確かに、私にはもう家族がいないけれど、今でも大切な人たちだってことには変わりないもの。それを否定されたくない」



曾祖母が亡くなってからは、リリィは友人たちと勤務先のオーナーに助けてもらって、何とかこの一年間を過ごしてきた。

家族のいないリリィのことを、みな本当に心配し、良くしてくれた。



「私にはあの人たちが、故郷の大切な人たちと同じだなんて思えない」


リリィの瞳からはまた大粒の涙が溢れ出す。


まだまだ枯れることのない涙と、深く、深く傷ついた彼女の心。


それを目の当たりにしたシェリは自身の唇を今一度強く結んだ。

そしてリリィの頬へと再び手を伸ばし、そこに流れる涙を優しい手付きでぬぐっていく。



「そんな風に思えなくて当然だ。

俺のことも、気が向いた時に話す相手だと思ってくれたらいい。もし俺が嫌いなら一生嫌っても構わない。


それと、海魔のことや陸の者たちのことで其方を悩ませたことも、姉上たちに厳しく指摘された」



シェリはリリィの頬に手を添えたまま、彼女の赤く腫れてしまった両目を逸らすことなく見つめ続ける。



「リリィ。俺も配慮が足りなかった。

本当に、すまない」

 



------


シェリの、金色の瞳が私を捉えている。

そして、彼自身も何かに葛藤しているような、そんな表情も見え隠れする。


何だか、私の方がものすごくワガママを言って、シェリを困らせているみたいに感じてしまう。



(……あの時、海で私の命を助けてくれたのは間違いなくシェリだ。

この王国に来てからは意地悪なこともたくさん言われたけれど、宰相や彼の息子たちからずっと守ろうとしてくれたことも分かってる)



しかし。

やはりちょっと悔しいのも事実なので、私もシェリに、最後のイジワルを返しておくことにした。



「シェリのこと、別に嫌ってなんかいないよ。例えあなたが、私のことを海魔になれば殺すとか、陸の人が襲われたら私のせいだとか、そんな風に言ってたとしても」


「……そこまで言っていない」


「あの時は言い方がすごく意地悪だった」


「……すまん。

しかし俺とて、洞窟の中ではリリィを意図して沈めようとした訳ではないぞ。泳げないとは思わなかっただけだ。


……あれは本当に焦った」



シェリが少し、決まりが悪そうに私から目を逸らす。その顔はちょっとぶつくされているようにも見える。


私はこの時、シェリも案外根に持つタイプなのかもとか、あの洞窟での彼の焦り顔はちょっと面白かったなぁなんて、そんなことを考え思わず少し笑ってしまった。



おかげで涙も止まったようだ。

私は身体を起こし、彼の横顔を見つめながら言葉を紡いでいく。



「私も嫌なことたくさん言ってごめんなさい。あと、宴の時に私をあの人たちから守ろうとしてくれたこと、嬉しかった。

……ショールをかけてくれたのも、紋章を隠すためだったんだよね。


ありがとう、シェリ」



出会った時からずっと、シェリが本当は優しい人だということを分かっていた。

女神の愛し子だと知る以前から、彼は私に親切だったから。


でも、彼は驚いたように私を見ている。

私からお礼を言われるなんて、思ってもいなかったというような顔をしている。



「あの人たちの言う通り、私はもう故郷に家族がいるわけじゃない。

友達もきっともう恋人がいて、オーナーにはお店も、常連さんたちもいる」



(そう考えると、私のことが絶対に必要な人なんて、実は母国にはもういないのかも……)



自分で想像しておいてあれだが、ちょっと悲しい。

すると、



「リリィ、其方は我々にとっては間違いなく特別で、大切な存在だ。

この王国の民たちと接していけば、まだ見ぬ其方を彼らがどれほど恋焦がれていたのかが分かるはずだ。

……俺もその一人だ」



シェリが私の心をむように、私がこの海底王国にどれほど必要とされているかを話してくれる。私に、居場所を作ろうとしてくれているのかもしれない。



「私、ずっと海が怖かった。

泳げない上に、溺れた思い出しかなかったから。


でも、初めてこの海底の景色を見た時はとても綺麗だと思ったよ。素敵な所だって、素直に思った」


「この美しい光景が見れるのも本当に久しい。全部、リリィのおかげだ」



(曾おばあちゃん……私、ここでやっていけるかな。みんなの期待に、ちゃんと応えられるかな)



「私がここにいることで少しでも役に立てるのなら、人間も海人族の人たちも、みんな、安心して暮らせるようになる?

……港町の人たちも、守れるのかな」


「間違いなく守られる。海人族も、もちろん人間たちも。


兄も言っていたように、其方が不安に思うことがあれば何でも我々に言って欲しい」



シェリが何だかとても優しい。

私を気遣ってくれているのが伝わってくる。


住み慣れた故郷を離れて、今まで大の苦手だった海の中で暮らしていくなんて、正直不安で仕方がない。


でも、やるしかない。

私には本当に、もうそれしか道が残されていないのだから。



我ながらたくましいと思うが、そうと決まればまずは職探しからだ。



「じゃあ、女神の愛し子がやるべき仕事って何かあったりする?

この王国にいるだけでいいってシェリは言ってたけど、ほんとにそれだけ?」


「ああ、リリィは女神の間でゆっくりと日々を過ごしてくれれば良い。何か入り用があれば侍女たちに持って行かせるぞ」


「……なるほど。やっぱりこれといって特に、愛し子のお仕事ってないんだね……。


私、これでももう成人してるから何か手伝えることがあればやりたいんだけど。

ここにいるだけでいいって言われても、さすがにそれは遠慮します」


「……其方は本当に真面目だな。 

なら、海人騎兵団の仕事をするか?それなら守人である俺の目も届く」


「えっ?!流石にシェリみたいには戦えないよ、私!」



まだこちらに来て一週間も経っていない。

なのに、いきなり戦闘要員?

やはり優しくなっても、シェリはシェリである。



「どうしてそうなる。

騎兵団といっても訓練や調査の他、書類仕事も山ほどある。騎兵団の者たちはどうもそういったデスク仕事が苦手でな。団長と俺が二人でさばいているようなものだ」



と、シェリは少し遠い目になりながらそう言う。


あれ?でも、彼はそんなにたくさん仕事を抱えているのに、私の守人などを言い付けられていて大丈夫なのだろうか。



「シェリ、毎日女神の間に来て扉の外にずっと控えていたけど、それって大丈夫だったの?」


「実は全く大丈夫ではない。

我々の優先順位は第一に其方の護衛だから、当然守人の仕事が重視される。

だが、このままでは書類整理が全く追いつかん」


「でも、人間と海人族の文字ってきっと違うでしょ? すぐ覚えられるかな」


「文字のことは問題ない。

女神の愛し子らは、我々海人族の文字を脳内で自動変換出き得るはずだ。

マーレデアム王国に残されている古書にもその記録がある。


言語についてもおそらくは同じ原理だろうが、リリィに初めて会った時は、まだ其方が愛し子だとは知らなかったからな。

少し細工したこともある」



「細工?」



シェリは何をしたのだろう。

確かに、文字が異なるのなら当然言語も違うはずだ。



「安心しろ。王家の人間にしか伝えられていない秘薬を飲ませただけだ。身体に害はない」



そういえばあの洞窟で目が覚める前の意識が朦朧もうろうとしていた時、口の中には何かキャンディのような、甘い物を舐めている感覚があった。

もしかして、あれがそう?



いや、それにしても女神の愛し子とはつくづく不思議だ。

でも、読み書きが大丈夫でも、仕事内容は?



「書類整理のお仕事って、素人の私でも出来るものなの?」


「怪魚の種やその討伐数、沈没船の状況、あるいはその状態を文字にして残すこと。

他には生態調査の観察記録や騎兵団会議の議事録をまとめたりする。


ああ、それとキョダイチョウチンアンコウの図を描き起こす仕事もあるぞ」



……やはり意地悪だ。

シェリが珍妙な名前を付けたと、ナプティムウトに告げ口をしていたことを思い出す。

だって、それ以外に呼び方なんてある?



「怪魚の正式名称を教えてくれたらちゃんと覚えるよ……多分。


じゃあレポートを作成したらいい感じなのかな」



勤めていたカフェでも売り上げデータや人気メニューのグラフを作っていたので、それに似た作業ならば私にも出来るかもしれない。

メニューの絵も私が描いていたし。

いや、分野が全然違うのはもちろん百も承知だが。


ちょっとお硬そうな騎兵団の仕事とはかけ離れている気もするが、文章を作成したり絵を描くのも得意な方だ。

頑張れば何とかなりそうな気がする。



「調査を担当していた騎兵団員たちがその場で殴り書きしているものが山ほどあるのだ。

リリィにはそれを文書としてまとめてもらえればとても助かる。


其方が騎兵団と共に調査に出るようなことは皆無な上、何か危険が及ぶような仕事は絶対にさせない。


リリィが書類整理に赴く時は、俺も共に仕事をしながら守人として側に控えておく。

だから安心してほしい」



何だかちゃっかり、シェリにとっては一石三鳥な気がするが、私が自ら言い出したことなので文句はない。

この王国にいても仕事は出来る限りしたいと思っているので、シェリにもう一つの特技も売り込んでおく。



「書類仕事のことは何となく分かった気がする。頑張ります。

あと、一人暮らしだったからお料理も出来るよ。ここの食材を見てみないと何とも言えないけど、これは何か騎兵団の役に立つ?」



カフェで仕事をしていたこともあり、料理も一通りは出来る。カフェのメニューは基本オーナーが作っていたが、簡単なメニューは私が担当することもしばしばあった。



(よくまかないに作ってた、あまーいパンケーキがまた食べたいなあ。

あ、でも海中でパンケーキなんて焼けるのかな?そもそも火って使えるもの?)



海底での炊事事情が気になり一人でうんうんとうなっていると、シェリが少し悩むように言葉を続ける。



「それはものすごく有難い。

騎兵団では既婚者以外はみな寮で共に生活をするのだが、その当番制の食事がなかなかに大変なのだ。


驚くような味の料理を作る者たちもいるし、生魚せいぎょがぶった斬りにされただけの日も多いからな。


ただ、料理はリリィの仕事にはしない。

騎兵団は男所帯の大食おおくらいばかり

だから其方の負担があまりにも大きい」


「うーん……じゃあ書類仕事を主にして、たまにお料理をお手伝いする感じはどう?」


「それは、我々には本当に有難いがリリィはいいのか?」


「もちろん。何かしてないと余計なことばかり考えちゃうしね。

私もここで暮らすなら、やっぱり色々見て、学んで、ちゃんと知らなくちゃ」



「……リリィの適応力には改めて感心するな」





シェリは素直にそう言葉にした。



リリィは天涯孤独な身の上にありながらも、これまでも自身の力で強く生きてきた。

海に引き込まれ故郷を離されても、それでもその置かれた運命に屈することなく現実を見据え、歩んで行こうとしている。


リリィは自信がないようだが、彼女には女神の素質が充分に備わっている。

逞しく、力強く、そして美しい。

それに、年齢ゆえの幼さは残れど、リリィはとても聡い。


シェリはそう思っている。







「では、改めて。


リリィ、ようこそマーレデアム王国へ。

其方のことは必ず俺が守ると誓おう。

決して一人にはしない。

どうか、安心してこの国で暮らしてほしい」


「……うん。よろしくね 、シェリ」



シェリに差し出された右手に、私も自身のそれを重ねた。握手を交わした彼の手はとても大きく、私の手はスッポリと包み込まれる。



私はこの王国で一人きりではない。

そう思えたことに、ふと心が軽くなる。


前を向いて歩いて行ける気がした。





一週間後、体調を整えた私はシェリと共にもう一度王宮へと赴いた。


国王は私に、宴の席における側近たちの非礼を深く詫びてくれた。

私も慌てて、せっかくの宴を途中で抜けてしまったことを謝った。


そしてシェリは、私がたっての希望で海人騎兵団の書類仕事を手伝うこと、そのため今から騎兵団の本拠地へ私を連れて行く旨を話した。



国王を初め、王族の皆は顔を真っ青にしてそれを止めるが、私が是非やらせて欲しいと粘ったため、無理は絶対にしないと言う約束のもと、見守ってくれることになった。




トリンティアとナプティムウトがシェリと私の見送りを買って出てくれたため、私たち四人は王宮の中庭まで共に移動する。



「行ってきます!騎兵団の皆様にご迷惑をおかけしないよう気を付けますね」


「リリアナ様のことは俺が責任を持って守ります。兄上はまた後ほど」



シェリはそう言うと、私の手を取って歩き出す。エスコートにまだまだ慣れない私は少し戸惑いながらも、彼に遅れないよう足を進めた。



------



「本当に素直で可愛い方だわ……。

ティム、分かっているわね」


「言いたいことは伝わりますが、目が怖いですよ、姉上」



トリンティアとナプティムウトは、シェリとリリィの後ろ姿を見送りながら会話を続ける。



「リリアナ様には不安なくここで暮らしていただきたいの。

変な虫が付かないよう見張っておいてちょうだい。特にあの宰相の愚息たちには目を光らせなさい」


「もちろんです。

ただ、女神の愛し子に関することであれば、国王や上司である私たちを前にしてもあの体裁です。今後も必ず、何か仕掛けてくるでしょうね。


特にシリスハムの、リリアナ様を見る目があからさまです」


「シェリがリリアナ様の前へ出ていなければ、わたくしが彼女を背に隠していたところだったわ」


「……本当に、女性にしておくのが惜しいですよ、姉上は」



ナプティムウトはふぅ、と小さく息を付く。

そして、どんどん遠くなっていくシェリとリリィの後ろ姿を見つめ、まぶしそうに目を細める。



「海人族王家と女神の愛し子は、"決して切ることの出来ない糸" で繋がっている。

それは2000年も昔から。


時は動き出し、我々ももう後には引けない。

シェリ、君は何があっても、この先もリリアナ様を守り抜くんだ」



どこか意味深にそう言葉にしたナプティムウトの瞳には、奇異な縁で結ばれてしまった、当世の王子と愛し子の姿が映っていた。


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