第6話 戸惑いと、一歩

ここでちょっとだけ話をしておこう。

現在このエルグラートで、国教のエノア教より知名度の高いルーミル教のこと。


天空神ルーミル。

大空を司る神で、その眷属はラタミル。

人より遥かに優れた外見と力をもつラタミルを描いた絵画や物語はたくさん存在していて、今もラタミルは稀に現れて託宣を授けることがあるらしい。

そんなラタミルと、そしてラタミルの主神ルーミルを信仰しているのが、ルーミル教だ。

外見の優美さ、知名度の高さ、加えて確実に実在している神さまって理由で、信徒でなくても大抵の人は祈りを捧げる時ルーミルやラタミルを思い浮かべる。

ちなみにラタミルは姿に特徴があって、髪は金か銀、目の色は青系もしくはオレンジ系、そして背中に一対の大きな翼を持つ。

―――モコの目も綺麗な空色をしているんだよね。

毛色は白だけど、そのうち銀に変わるのかな? それとも金?

うーん、今の様子からはどっちも想像し難い。そもそもいつ人の姿になるの? 翼はいつ生えてくるんだろう? 分からないことだらけだ。


「王都」


リューにネックレスをつけてもらいながら呟く。

王都って、この東の端からかなり遠い場所にある、王家のお膝元の街だ。

辿り着くまでどれくらいかかるんだろう。

数週間、ううん、数ヶ月かかるかもしれない。

そんな遠いところへ行ったことはない。私は生まれてからこの村を出たことがない。

それに―――工房。


「うん、よく似合ってる」

「素敵ね」


リューとロゼが褒めてくれるけれど、素直に喜べない。

王都へ行く。

モコをラタミルの大神殿へ連れていくために。

母さんに会うために。


「兄さん」


どうすればいいか分からなくなって、縋るような気持ちでリューを見上げた。

さっきから胸がおかしな具合にドキドキしている。

私、不安なのかな、怖いのかな? それとも別に理由があるのかな?


「本当に王都へ行くの?」

「ああ」


答えて、リューは間を置いてから「母さんから手紙が来たんだよ」なんて言う。

どういうこと?


「その手紙、見せて」

「ああ、勿論」


ちょっと待ってくれと荷物を探って、丁寧に取り出された手紙を受け取る。

母さんの字だ。

中の文は兄さん宛。

書いてあった内容は、私に誕生日プレゼントを渡して欲しいこと、それから、十六歳の誕生日に合わせて王都へ来て欲しいということ、それだけだった。


「十六?」


首を傾げる。

私、今日で十五歳になったんだけど?

十六歳になるのは一年後だよ、まさか母さん、娘の歳を勘違いしているの?


「兄さん、私今日で十五だよね?」

「ああそうだ、ハルももう十五になったんだなぁ」


ちょっと、一人でしみじみしないで。

訊きたいことがあるんだから。


「手紙に十六の誕生日って書いてあるけれど」

「そうだな」

「母さんまさか、私の歳を勘違いしているんじゃ」

「いいや、そうじゃない、母さんは今日がお前の誕生日だってことも、お前が十五になったことも、ちゃんと分かっているはずだ」


それじゃ、どうして?

謎かけみたいな話に混乱していると、リューが説明してくれた。


「ハル、ここから王都まで真っ直ぐ向かえばおよそ三か月で辿り着ける、かかっても恐らく四か月程度だ、十六歳の誕生日に合わせて王都へ向かうなら、まだ急がなくてもいい」

「うん」

「だけとお前もあと一年で成人する、だから、この村だけじゃなく、もっと色々なものを見ておきたいと思わないか?」


この村だけじゃなく。

また心臓がドキドキ鳴りだした。

村での暮らしは、特に不自由ないし、皆も優しいし、気に入ってる。出ていきたいなんて思わない。

でも、知識でしか知らない外の世界を一度見てみたいって―――その気持ちはいつだってある。私が認識している村の外なんて、世界の一割にも満たないだろう。見たことのない風景、触れたことのない動物や植物、嗅いだことのない匂い、その全部を体験したい。


「う、ううんっ」


だけど、両手をぎゅっと握り締めて、首を横に振った。

ドキドキ、ワクワクしているけど、私はここに守らなくちゃならない場所がある。

大切な母さんの工房。

私にとっても宝箱みたいに特別なこの場所を放ってどこへも行けない。

だって、私も兄さんもいなくなったら、誰が工房を守るの? 母さんが帰ってくるこの家を誰が守るの?

―――行けないよ。

私だけは、絶対、ここに残らなくちゃ。


「ハル」


リューが困った顔をする。

大切な気持ちは一緒だと思っていたけれど、リューは工房を置いて出ていけるんだね。

私は嫌だ、だってここには思い出がある。

それともロゼか兄さんが留守番をするつもりなのかな。だったら心配なく旅に出られるけれど、一年間この家に一人ぼっちだ。

それも嫌だな、一人ぼっちなんてやっぱり寂しいよ。


「ハル」


フワフワした手にぎゅっと手を握られて、振り返るとティーネがニッコリ笑いかけてくる。


「行ってらっしゃいよ、せっかくなんだし」

「だけど」

「工房の事ね? それなら大丈夫、私がしっかり見ておくから」

「ティーネ」


でも、と言いかけたら、今度は手でフワッと口を塞がれた。


「貴方がおばさまを尊敬していること、おばさまの工房をとても大切に思っていることもちゃんと分かっているわ、だからハルが心配も我慢もしなくていいように、私が管理しておくから」


それとも、と言葉を区切って、ティーネは赤い目の片方をパチンと瞑る。


「私が信用できない?」

「そんなこと!」

「それじゃ決まり、だからもうそんな顔しない」


フワフワの手で左右から頬をムニュッと挟まれる。

もしかして顔に出ていたのかな、そのせいで気を遣わせたのかもしれない。

嬉しいけれど、その言葉に甘えていいの? ティーネは迷惑じゃないの?


「行きたいと思うなら、行くべきよ」

「ティーネ」

「大体ねえ、嵐が来ると分かっていても、我慢できず森に入って採取するような子が、こんな小さな村の中だけ満足できるわけがないわ、遅かれ早かれこうなっていたのよ、きっと」

「え?」

「ティーネ!」


まずい、リューにバレた。

どうして今その話をするの、ティーネ!


「ハル、お前はまた!」

「え、えーっと」

「天気が悪い日は危ないから森に入るなといつも言っているだろう、どうして聞き分けられないんだ、昨日は本当に何もなかったのか? 怪我は、体調は?」

「へへへーきだよッ、怪我もしてないし、体調も悪くないから、ねッ?」

「私が迎えに行かなかったら、びしょ濡れで帰ることになったでしょうね、きっと」

「ティーネ?」

「ハルッ」


モコがくわっと欠伸をした。

この仔だけ蚊帳の外で羨ましい。


それから私はリューにみっちりお説教されて、誕生日だっていうのに萎れながら家の周りの片付けをするハメになった。

嵐の後はこれが本当に大変なんだよね。

家と納屋の壊れた部分を修繕して、浸水が無いか確認もして、そうしている間に村の人や村長さんがお祝いを言いに来てくれた。

本当に優しい、いい人たちばかりの村だな。

やっぱりこの村が好きだ。

ここで生まれ育って良かったと思う。

暫く会えなくなるけれど、皆、元気でいて欲しいよ。


「―――注意することはこれくらいかな、大丈夫そう?」

「ええ、問題無いわ」


片付けも済んで、昼を少し回った頃、昼食後にティーネを工房へ案内して管理の方法を説明した。

毎日して欲しいこと、週一程度で構わないこと、月一でやって欲しいこと、触っちゃダメなもの、開けちゃいけないもの、取り扱いに注意して欲しいもの、ひと通り教えたと思う。

抜けがありそうだけど、今思い付かないなら大したことじゃない、ってことにしておこう。

ティーネはメモを取りつつ私の話を聞いて、たまに質問してきた。

頭がいいのは元からだけど、一度の説明で把握できるなんて、流石というか感心する。


「後でもう一度、このメモを見ながらリューに確認を取るわね」


あっはい、ですよね。

その方が確実だと思います。


「どうしたの?」

「なんでもない、ハハッ」


モコは私達と一緒だ。

先に工房の中の物に触れちゃダメと言っておいたから、興味深そうに眺めたり、鼻先を近付けたりしているけれど、それ以上は何もせず大人しい。


「それにしても、なんだか不思議ね」

「えっ」


ティーネは私を見てクスッと笑う。


「私とハルって一つしか違わなくて、生まれた時からずっと一緒だったでしょう?」

「そうだね」

「でもハルは、いつの間にか色々なことができるようになって、ここにある私には使い方も効果も分からない道具や材料を使って、おばさまと一緒に研究するようになった」

「まだ半人前だけどね」


でも、オーダーに関してはリューやロゼより自信がある。

母さんも褒めてくれた。それでも母さんには全然及ばないんだけどね。


「十分凄いわ、魔法を使うことすらできない私からすれば、ハルのしていることは本当に凄いことなのよ、いつだってそう思うし、ハルと幼なじみで誇らしいわ」

「ちょ、ちょっと、急にどうしたのティーネ」

「大好きよ、ハル」


不意にぎゅうっと抱き締められる。

ティーネのフワフワな毛はいつもと同じように気持ちいいけれど、今はなんだかちょっと切ない。


「きっと帰ってきてね、待っているから」

「うん」

「離れるの、本当は少し寂しいわ」

「私もだよティーネ」

「来年の誕生日も、また最初におめでとうって言えない」

「私もティーネの誕生日におめでとうって言えないの残念だよ、だから手紙を書くよ」

「本当? 楽しみに待っているから、きっと送ってね?」

「約束する」


背中に腕を回して、ぎゅうっと抱き返した。

ずっとずっと、いつも一緒だった。リューやロゼとは違うけれど、ティーネだって私にとって姉妹みたいな存在で、特別だし、大切に想っている。

きっとティーネも私と同じ気持ちで、だからこうして私の心配事を引き受けて送りだそうって決めてくれたんだ。

有難うティーネ。

お土産も、土産話もたくさん持って、必ず帰ってくるからね。


「ふふっ、私の方がお姉さんなのに、泣いちゃって恥ずかしい」


離れて目の辺りを拭うティーネに、顔を覗き込んでちょっとからかう。


「でもティーネって泣き顔も可愛い」

「いやだ、よしてよ、褒めてないわ、それ」

「ええっ、ダメ?」

「ダメよ、慰められた気もしないわ、ハルって時々おかしなこと言うわよね」


うーん、ダメだったか。

ロゼはこういうの上手いんだけどな。

ポケットにメモをしまって、ティーネは長い耳をピンピンと動かしながら「リューが帰ってきたわね」と言う。

ホントだ、気配と匂いがする。

母さんを迎えに王都へ行くって、村長さんへ伝えに行ってきたんだよね。


「ただいまぁ」


玄関から聞こえてきた声に、私はティーネとモコを連れて向かう。

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