第5話 ラタミルの雛

「ラタミルの雛、って?」


リューはニコニコしながらモコを撫でている。

普通に可愛がっている、よね?


「ラタミルは、生まれて暫くの間はこんな風に羊みたいな姿をしているんだ」

「そう、なの?」


ラタミル。

天空神ルーミルの眷属、大空の守護者。

空の彼方より地上を見守り、稀に降臨してルーミルの神託を授ける。

尊く、気高く、美しき存在。

そのラタミルの―――雛?

改めてモコを見る。

ラタミルって、目の眩むような美貌の主で、背中に一対の翼が生えているんじゃなかったっけ?

大人しくリューに撫でられている姿は、どう見ても小さい羊だ。翼すら生えていない。

このモコがラタミル?


「本当に?」

「ああ、本当だ」


撫でられて気持ち良くなったのか、モコはうっとりと目を細くしながら口をムニャムニャさせている。

相変わらず動物に好かれるなあ。

昔からそうなんだよね、私も結構懐かれる方だけど、リューはなんていうか、次元が違う。


「喋るから魔物かと思ったんだろ、ハル?」

「うっ」

「確かに羊に似た魔物はいるが、もっと気性が荒いし臭い、こんなに大人しくて、匂いも殆どしないうえに言葉を話すのは、間違いなくラタミルの雛だよ」

「そうだったんだ」


まだいまいち実感湧かないけれど。


「大方空から落ちたんだろうな」

「えっ」


落ちた? 空から?

それであの怪我で済んだの?

高さの程度は分からないけれど、ラタミルが暮らしている領域っていったら、多分雲より上だよね。そんな高さから落ちたら死ぬに決まっている、生きていれば奇跡だ。

リューはこういう時冗談を言うタイプじゃないから、今までの話は全部本当なのかも。


「こいつは運がいい」

「どういう意味?」

「空から零れたラタミルは、大抵悲惨な目に遭うからだ」


それって、例えば魔物に襲われて殺されるとか、そういうことなのかな。

確かに、昨日私が家の戸を開けなければ、モコは嵐の中を彷徨って森に入り、魔物に殺されていたかもしれない。

怪我だって、空から落ちたにしては軽傷だったけれど、放置はできない状態だった。傷口に菌が入り込んで、やっぱり命を落としていたかもしれないんだ。

空から落ちたこと自体は不運でも、結果的に運が良かったってことだね。


「なあハル、ところでスープは?」


お腹を擦りながら催促するリューに、朝食の用意を思い出して台所へ向かう。

ちょっと肩の荷が下りたな。

やっぱりリューがいてくれると心強い。

モコの正体も分かったし、あとは帰す方法を考えるだけだ。空に、ってどうすればいいんだろう。

さっきも事食べた献立と同じ内容の食事を用意しながら、リューに訊かれて昨日のことを話した。


「―――なるほど、そうか、大変だったな」

「まあね、今日は洗濯も片付けも頑張らないと」

「外は酷い有り様だったからな」

「うえぇ」

「でも、お前は誕生日だから、それは俺がやっておく、あとでケーキも焼こう」

「えっいいの?」

「ハルの誕生日には、俺がケーキを焼いて、ロゼが歌を歌う、そういう決まりだろ?」


決まりじゃないけど嬉しい。

暖炉の前に座ったリューの傍で、モコがコロンと寝転がっている。もう、すっかり懐いちゃって。

料理を乗せたトレーを運んでいる最中に、トントン、とまた玄関の戸が叩かれた。


「ハルー?」


今度こそティーネだ。

リューが立ち上がって「俺が出る」と玄関へ向かう。


「おはよう、って、あら、リュー?」

「おはようティーネ、ああ、もう朝日が昇ったのか」

「ええ、でもリューが帰ってくるのは明日だと思っていたんだけれど」

「魔法の道具を使ったんだよ」

「そうなの?」


魔法道具に詳しくなくて、魔法も使えないと、こういう感じの反応になるよね。

私だって事前の知識もなく『ラタミルの羽根』のことを聞かされても、それって何? って思うよ。

ティーネはリューに促されて「お邪魔します」と家に入ってきた。


「おはようハル」

「おはよう」

「誕生日おめでとう、今年もリューに先を越されたわね」


傍で聞いていたリューがハハハッと笑う。


「今年こそは一番乗りだと思っていたのに」

「悪いなティーネ」

「いいわよ、だってリューはハルのお兄さんだもの」


ティーネは暖炉の前のモコを見て、不思議そうに首を傾げた。


「ねえハル、この羊は」

「てぃーね」

「えっ」


喋った、と呟いて固まるティーネに、私はリューと顔を見合わせて苦笑いする。


「な、なんなの、どういうことなの、ハル、リュー」

「あのね、ティーネ」


最初から話すと長くなる。

取りあえず食事でもしながら聞いてもらうことにして、ティーネを座らせてスープを用意した。

食べていた方が落ち着くだろう。

―――モコがラタミルの雛だって知ったら、さっき以上に驚くだろうし。


それから私が話を終えて、リューとティーネの食事も済んで、改めて私達は暖炉の前に座っている。

誕生日だっていうのに、おかしなことになっちゃったな。

それに、今年は母さんだけじゃなくロゼもいない。

二人とモコはいてくれるけど、なんだか少しだけ寂しく感じる。


「まだ、うまく飲み込めないのだけれど」


しわの寄った眉間に手を当てながらティーネが唸るように言う。

分かる、分かるよその気持ち。


「それじゃその子はラタミル様の雛で、空へ帰さないといけないのね?」

「うん、そう」

「すぐには信じられないけれど、喋る羊なんて見たことないし、リューが言うなら本当なんでしょうね」

「ああ」


ティーネにまで嘘を吐くわけがない。リューってあまり人をからかったりしないし。

今まで築いてきた信頼のなせる業だね。

やっぱり日頃の行いって大事だなあ。


「それで、具体的にどうするの?」

「ええっ私に訊かれても」

「手段は一応ある」


え、と私とティーネは同時にモコを撫でるリューを見る。


「どういうこと?」

「王都の近くに特別自治区があって、そこにラタミルの大神殿があるんだ」

「ラタミルの大神殿?」


そんな場所があるんだ、知らなかった。

「そこを頼ろう」とリューは話を続ける。


「その大神殿にはラタミルがいるの?」

「いや、稀に降臨があるらしいが、具体的にいつかっていうのは誰にも分からないらしいな、だがルーミルの総本山だ、きっとモコを保護してくれる」

「そうね、この仔はラタミル様の雛だものね」

「このまま家で匿うよりずっと安全だ」


確かにそうかもしれない。

でも、大神殿に辿り着くまでどのくらいかかるんだろう。

その間、私一人で留守番するのかな。リューもロゼも出かけたら、ティーネがいてくれたって、家で私は一人ぼっちだよ。


「ハル」


リューがおもむろに懐から革袋を取り出して、中身を掌に出した。

キラキラ輝く金の鎖と、その鎖に通された七色に輝く石のペンダントヘッド。

これ、もしかして魔力結晶?

だとしたら値の張る装飾品だ、こんな高価な物、一体どうしたんだろう。


「これは、母さんからお前への誕生日プレゼントだ」

「母さんが?」


王都にいるはずの母さんが、どうして?

私の誕生日に合わせて送ってくれたのかな。


「ハル、王都へ行こう」

「えっ」

「そのついでってわけじゃないが、こいつ、モコをお前が助けたのも何かの縁だ、一緒に連れていこう」

「兄さん」


傍でティーネが息を呑む。

私も、あまりに思いがけない提案に何も言えなくなってしまった。

王都へ行く。

―――母さんがいる、王都へ。

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