第4話 嵐が去って、また嵐

「さっき、ドライアの森には大きな川が流れているって話したよね」

「うん、きいた」

「その川の向こうは、有名な観光地になっているんだよ」

「かんこう?」

「国のあちこちから人がたくさん来るの、森の中を歩いて、景色を眺めたり、動物を観察したりして楽しむらしいよ」


ドライアの森には魔物が出るけれど、川の向こう側は領主様が定期的に兵士を派遣して魔物狩りを行っているから、こっちと比べて格段に安全らしい。

そもそも、川を渡ってくるのは、採取が目的の人達か、村に物を売りにくる行商人のどちらかしかいない。

領主様が川向こうしか兵士を派遣しないのは、森があまりに広大で、到底すべてを管理しきれないからだって、前に母さんが教えてくれた。


「魔物は活動するために魔力が必要なんだけど、ここの森はその魔力の量や質が上質なんだって」


だから魔物がいる、それもたくさん。

人だって動物だって、便利だったり、食べ物が沢山手に入ったりする場所を選んで暮らすから、必然だよね。


「だけどね、魔物は村に入ってこられないの」

「どうして?」

「エノア様の加護があるから」


建国の祖、神の声を聞き、数多の人を導いた巫女王。

自ら興した国と、周囲の三国をまとめ上げて、一つの大きな国へと昇華させた、今でも信仰対象として崇められている伝説の存在。


「しってる!」


いきなり大きな声を上げたモコに、ビックリする。


「知ってるって、エノア様のこと?」

「えのあ、はじまりのみこ、あでぃーがおしえてくれた」

「アディー?」

「おせわがかりだよ」


うん?

また要領を得ないな。もしかして、モコの飼い主のことかも。


「よきつばさとなり、おおいなるわれらがあるじのおやくにたてるよう、まもりそだてることがつとめです」

「どういう意味?」

「わかんない」


うーん、聞いたこっちも分からない。

大いなる我らが主って一体誰の事?

そのアディとかいう人? 人なのかな、モコのお世話係兼教育係だったのかな。


「ねえモコ、そのアディーのことで、他にも思い出せない?」

「わかんない」


まあいいか。

それにしても、昨日は兄弟が『うえ』にいるって言っていたし、モコって本当に何なんだろう。

ティーネになんて説明すればいいのかな。

段々頭がこんがらがってきた。


「ねえはる、もっとおはなしして」

「そうだなぁ」


エノア様を祭るエノア教は国教で、この村はそのエノア教を信仰していることと、村人が善性で周囲に魔力が満ち溢れているため、簡易結界が張られた状態になっている、らしい。

でもこれはロゼの推論で、実際のところ理由はよく分かっていない。

だけどエルグラートで主流の宗教は、エノア教じゃないんだよね。


「話が前後しちゃったけど、ここはレヴァナーフ大陸、エルグラート連合王国の東端エリニオス領で、今の領主は十一代目レブナント様」


連合王国、領地の説明なんかを簡単に付け足す。

東の端に位置するこの領地は、観光と大森林の資源を活用した産業くらいしか特筆すべきものがない。

大森林を囲むようにそびえ立つ山脈の向こう側は切り立った崖になっていて、裾には岩礁と海が広がり、こっち側と比べ物にならないくらい強い魔物が大量に生息しているらしい。

つまり、国の東端ではあるけれど、攻め入るに向かない僻地なんだよね。

だから国は管理を領主様に丸投げ、その領主様も川を挟んだ村のあるこちら側は特別指定地域として基本不干渉。税金も見逃されているから、そこは有り難いって村長さんが言っていた。

この村は、国も領主様もあてに出来なくて、自給自足が浸透したって背景があったりする。


「でもいい所だよ、皆優しいし」

「はるもやさしいね」

「えっ、あーうん、ありがとう」


そう言われると、ちょっと恥ずかしい。

照れ隠しに軽く頬を掻いてから、別の話題を口にする。


「そうそう、幼なじみがいてね、ティーネっていうんだけど、フワフワで可愛くって」


不意にドンドンと玄関の戸が叩かれた。

ちょっと驚いたけれど、嵐が通り過ぎたから、様子を見に来てくれた誰かかもしれない。

モコは目を真ん丸にして固まっている。

ティーネかな。

立ち上がり小走りで戸に向かう。


「はぁーい!」


かんぬきを外して、鍵を開いた。

直後に戸が開いて現れた大きな姿にいきなり抱き締められる。


「わッ」

「ハルッ」


おっ、どろいた、心臓が止まるかと思った。

だけど今は別の理由で苦しい、物理的に締めつけられて息ができない。


「すまない、大丈夫だったか? こんな時に一人にして本当に悪かったッ」

「ちょっと、兄さん!」


この声、匂い、間違いない。

ドンドンと背中を叩いたら、ようやく私を解放して、改めて顔を覗き込んでくる。

青葉色の瞳に、サラサラした茶色の髪、嬉しそうに笑顔を浮かべる姿は子犬みたいだ。


「ハル!」


私の血が繋がっている方の兄妹。

リューことリュゲル兄さん。


「ただいま、それから、誕生日おめでとう」

「あッうん」

「早く顔が見たかった、今年も最初のおめでとうをお前に言えて嬉しい」

「ありがとう兄さん」

「ハル?」


どうしてリューがここにいるんだろう。

大森林を抜けるには二日かかる。昨日の嵐で足止めされたなら、帰ってくるのは明日になるはずだ。

もしかして幻?

じっと見ていたら、リューは「ああ」と何か分かったように頷いて、またニッコリ微笑んだ。


「ロゼに道具を貰ったんだ」

「道具?」

「ラタミルの羽根だ」

「えっ」


それって―――思いがけず動揺しながら記憶を探る。

確か、一度行ったことのある場所へ一瞬で移動できる魔法道具で、使用は一人一枚一度きり、物凄く高価で、そもそも滅多に手に入らないからよっぽどの金持ちしか持っていないレアアイテム、だったはず。

それをどうしてロゼが持っているの?

しかもそのレアアイテムを、町から帰ってくるためだけに使ったってこと? まさか、私に一番最初におめでとうを言うためだけに?

固まっていたら、リューはニヤッといたずらっぽく笑って、私の頭をぐりぐりと撫で回す。


「ハハッ、正確には『ラタミルの羽根もどき』だな」

「もどき?」

「ああ、ロゼが作ったんだ、本家のラタミルの羽根と違って移動距離に制限があるらしい」

「作った!?」


また耳を疑う。

ロゼってなんでもできるけど、まさか、そんな物まで作れるなんて。

「俺も驚いたよ」なんて、そんな言葉で片づけていいようなことじゃないよ、分かってるの?


「素材の入手が難しいから完成品は一枚しかなくて、それを俺にくれたんだ、今年も最初にハルにおめでとうを言ってこいってさ」

「嘘でしょ、ええと、それじゃロゼは」

「まだシェフルにいる」


シェフルは川の向こうにある町の名前だ。

観光客用の宿場街から直通で馬車が出ていて、ドライアの森の手前にある町としてそれなりに賑わっているらしい。


「早く会いたいって言ってたよ、お前へのプレゼントも預かってきた」


うーん、リューは全然気にしていない。そういうところあるよね、まあもういいか。

歌は今度改めて歌ってくれるらしい。

ロゼは本当に歌が上手いから、聞かせてもらうのが楽しみだ。早く帰ってこないかな。


「なあハル、いい匂いがするな?」

「あ、うん」

「ミルクのスープだな、チーズもたっぷり入ってる、実は朝飯がまだで腹ペコなんだ」

「そっか、だったらすぐ用意するから待ってて!」

「有難う」


ニコッと笑ったリューは、そのままゆっくり暖炉の方へ顔を向ける。


「それで、ハル」


すっかり気を取られて忘れていたこと、今更思い出してサッと血の気が引いていく。


「あそこにいる羊はどうしたんだ?」


視線の先で、モコが目をまん丸くしながら立ったまま固まっていた。

わぁーっ、しまったぁ!

心臓の音が跳ねあがる、どうしよう、まさかリューが返ってくるなんて、ティーネに相談していないのに、どうしよう、どうしよう!

とにかく、説明しないと。

でもなんて言えばいいの?

あたふたしている間にリューがモコに近付いていく。


「あ、あのね、兄さん!」


警戒してる?

ただの羊なのかって確かめようとしてる?


「その仔はね、その、昨日の夜に迷い込んできて、怪我をしていたから手当てしてあげたんだ、それで」

「はる」

「おっ」


しゃ、喋った! 聞かれた! どうしよう!

バレた、喋る羊だってリューにバレちゃった、最悪の状況だぁッ。

ドッと汗が噴き出す。

リューは動物に優しいけれど、いつでも家族が一番だから、喋る羊なんて魔物認定して、危険だって殺そうとするかもしれない。

でも、喋るけど、モコは多分魔物じゃない。

それをどうやって伝えればいいの? 感覚的なものは言葉にしづらいよ。

暴れてないって言えばいいのかな、大人しいよって、それに賢くて、結構可愛いって教えたら、暫く様子を見てくれるかな。


「あ、あのね兄さん、違うの、その仔はね!」

「へえ、珍しい、ラタミルの雛じゃないか」

「え?」


なに?

ラタミルの、雛?


「ハハ、まだ小さいな、よしよし」


リューは固まっているモコの毛を優しく撫でながら、振り返って私を見る。


「なぁハル、心配いらないぞ、こいつはラタミルの雛だ」

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