彼女の手に弾丸はない

 研究所を飛び出し、裏に回していた火縄さんの車に乗り込む。消防や警察はまだ来ていない。外はいつの間にか日が落ちようかといったところで夕焼けの空が少しずつ、茜色を落としていっていた。

 車はゲートまで一気に突っ込んでいき、進路を遮るバーを破り山を下りていく。

「お、お母さんっ、どこに行くの?」

「とにかく島を出る」

 車は研究所から離れ、しばらく進んでいると一軒のアパートの前で停車した。

「ここで待っていてくれ。必要なものを取ってくる」

 火縄さんだけが車を降り、車内には僕達だけになった。何となく気まずい瞬間が流れる。研究所内での緊迫した状況にずっと気を張っていたため疲れが出てきた。シートに身を沈め、大きく息を吐きながらさっきまでのことを思い出す。まさか岩井が研究所と繋がっていたとは思いもよらなかった。突き付けられた銃口を思い出して身震いしてしまう。よくあんなもの相手に立ちふさがったものだと、少し自分を褒めたくなってしまう。あんな啖呵も切れてしまうんだなと驚いている。勢いで鉄炮塚にあんなことまで言って…。


「ぁぁ…」か細い声が口から漏れ出てしまう。僕はあの時、好きだと言ってしまったのだ。後悔なんてものはもちろんない、ないんだが…。

 今になって、あの告白が恥ずかしくなってきた。恋愛における告白を人にしたことがない僕はあれでよかったのかと何度も思えてきてしまう。そもそも、あんな状況下で一般的な告白と比較なんてできないと思うが。

 ドラマかよと突っ込みたくなるような歯の浮くセリフも相当言ったと思うのだが、思い返すと急激に顔が熱くなってきた。両手を顔で覆い叫びとも唸りともとれる声が出てくる。

「大丈夫?」

 鉄炮塚が僕の顔を覗き込んでくる。僕は大丈夫とだけ言い、窓に額を押し付ける。ひんやりとした冷たさが額の熱を奪っていった。火縄さん早く戻ってきてくれないだろうか。


「あのね…伊藤君」

 不意に鉄炮塚に呼ばれた。反射的に彼女の方を向こうとしたのだが、

「あっ、待って!こっち向かないで」

 鉄炮塚が強引に手で顔を押さえつけた。「ぐえっ」と潰れたカエルのような声がでてしまった。

「ごめんね、怖いことに巻き込んじゃって…でも、ありがとう。あの時伊藤君が来てくれたから、私は今ここにいてお母さんとも一緒にいられる。伊藤君の言葉で立ち上がることができた。自分の言葉を伝えることができた」

「僕は鉄炮塚のおかげでここまで来れたんだ、鉄炮塚がいなかったら僕はずっと腐ったままで何もできなかった。だから今こうしていられるのは鉄炮塚がいたからだ」

 自分の境遇にめげず、他人を励ますことができるのが彼女だ。母親のために自身を削ることができるのが彼女だ。

 鉄炮塚の手が僕の顔を離れる。彼女の方を向くと、彼女は俯いていた。また泣かせてしまったのかと焦ったが、鉄炮塚は僕の顔に向き直り。

「ありがとう。私は……あなたを誇りに思う。走っているあなたも、他人の為にあんなところまで来ちゃうあなたも……、そんな伊藤 陸斗君が好き」

 彼女は笑顔でそう言った。その言葉に僕の体の内側にあるものが思いっきり掴まれたような感覚に陥った。彼女の紅潮した頬が暗い車内でもはっきりと目に映る。僕の左手と鉄炮塚の左手の距離はほんの数センチだ。少し動かせば届く距離。僕はもうどこに集中していいか分からなくなってくる。もうなにも考えられなくなってしまいそうになった瞬間。車のトランクが開いた。


「待たせたね。……二人共どうかしたのかい?」

「なんでもないです…」

 戻ってきた火縄さんの問いにお互い車の窓に貼りついた僕達は声を揃えて言った。

 火縄さんはいくつかの荷物を載せると、鉄炮塚の方のドアを開け、

「これ持ってて」

 一つのアタッシュケースのようなものを彼女に渡した。そして運転席に乗り込み、車を発車させた。

「お母さん。これ、なに?」

 膝に置いてあるケースを指し、鉄炮塚は尋ねる。これだけは車のトランクには入れずに彼女に渡した。鉄炮塚の私物なのだろうか。

「開けていいよ」

 火縄さんの言葉で鉄炮塚はケースに手をかけ、ゆっくりと蓋を開けた。

「えっ」

 そこに入っていたのは腕だった。だが僕達はそれを不気味になんて思ったりしない細くて白い左腕だ。

「これって…」

「灯の左腕だ。普通の腕。指先に穴は開かないし、弾丸も入っていない、人間としての動きをするためだけの腕だ。付けてごらん」

「うんっ」

 鉄炮塚は嬉しそうに頷いて左腕を手にとり、自分に取り付ける。僕はケースを預かり、その様子を見守る。取り付けられた腕はやはり義手だとは思わないほどの完成度だった。

「伊藤君、ケースに端末が入っているだろう。右側に電源ボタンがあるから押してくれないか」

 言われて見ると、確かにスマホのような端末が入っていた。取り出して電源を押してみると画面が点灯し、しばらくアイコンがぐるぐる回ったと思うと、『同期完了』と出た。

「点けました。同期完了って出てます」

「灯、動かしてごらん」

 鉄炮塚はゆっくりと少しぎこちなくも左手の指を曲げた。そして、手首を回し腕を上げ下ろしした。

「う…動くよ、お母さんっ」

 鉄炮塚は涙ながらに興奮して火縄さんに呼びかける。なんだか僕まで泣けてきてしまいそうだった。鉄炮塚は嬉しそうに左手を開いたり閉じたりする。

「まだ色々とテストや確認があるから完全に動かせるようになるのはもう少しかかるけど、我慢してくれ」

「うんっ…。うんっ!」

 これで鉄炮塚 灯の左腕は武器などではなくなったのだ。見た目が今までと違うというわけではない。それでも実感は違う、もうこの左腕は人を傷つけたりなどしないのだから。これで彼女は普通の女の子だ。彼女がこれまで失った時間を取り戻すのは大変だろうけど、でも大丈夫なんだとそんな気がする。


 乗り場に着くと、もうじきフェリーがやってくるといった時間だった。多分火縄さんはそこも計算して車を走らせていたんだろう。

 係員の誘導に従い車はフェリーに滑り込み、少しするとフェリーは出港した。僕達は車から下りずにそのまま車内にいた。三人共何も喋らなかった。僕は窓の外をしばらく眺めていたら急に眠気が襲ってきて、そのまま瞼を閉じた。

 港に到着のアナウンスが船内に響き渡り僕は目を覚ました。隣を見ると鉄炮塚も眠っていたようでねぼけ眼をこすっていた。

「そういえば本土の方に住まいはあるんですか?」

 火縄さん達はもうあの島には戻らないつもりだろう。今後二人で住んでいくにはどうするのかとふと疑問に思った。

「いや、しばらくはホテルで生活するつもりだ」

 エンジンをかけながら火縄さんは答えた。フェリーを下りると港の眩しい光が目に飛び込んでくる。

「君の家まで送るよ」

「えっ、いやそんな悪いですよ」

「なんだ港から家までは自転車でも使っているのかい?」

「いやそういうわけではないですけど…」

「じゃあいいじゃないか、少し話しておきたいこともある」

 僕はわざわざな提案を無下にはできず、自宅の住所を伝えた。火縄さんはカーナビにそれを打ち込み、車を走らせた。


 時刻は夜の七時をとうに回っており家までの道は仕事終わりの社会人の車で溢れていた。少し進んでは止まってを繰り返し、やっと国道を逸れたところで車はコンビニの駐車場に入っていった。

「伊藤君しばらく君とは距離を置かせてもらう」

「えっ」

 それは車が停車し、エンジンを切ったところで急に火縄さんの口から飛び出した。突然の言葉に僕は一瞬頭がフリーズした。

「しばらくは島で騒ぎが起きるだろう。その渦中にいる私達はおいそれと港や島には近づけない。灯の今後のことも考えなくちゃいけないんだ。すまないが分かってくれ」

 僕は何も言い返すことができなかった。至極当然なことと思えたし、二人のこれからに関してたかが学生の僕がどうこう言うことはできない。

 鉄炮塚の方を見ると、彼女自身もそれについては覚悟が決まっている様子だった。きっと研究所を飛び出した時からその思いは固まっていたのだろう。

「いつになるのかは分からない。何か月、下手すれば何年も先かもしれない」

「はい、大丈夫です。たとえ何年かかっても待ちます。……忘れたりなんてしませんから」

「そうか…何か飲み物でも買ってこよう。灯も来るかい?今日の夕飯も買うつもりだが…」

「ううん。私ここにいる」

「じゃあ、なにか適当な弁当でも買ってくるよ」

 そう言って火縄さんは車を下りた。これで火縄さんが戻ってきたら僕達のお別れの時間も近い。次にいつ会えるかは分からない、その時を待つというのは想像すると苦しいものだ。さっきは大丈夫だと言ったが本当は辛い。だが、それは僕が声を上げるべきではない。

「私も大丈夫だから」

 その言葉で僕は彼女を見る。コンビニの光が車に差し込んで鉄炮塚の顔をほんのり照らす。その横顔は今までの彼女より少し大人びて見えた。

「だってもう伊藤君は私のこと忘れないでしょ?さっき言ったもんね」

 屈託のない笑顔をする鉄炮塚。その笑顔に僕も笑みを返す。

「あぁ、忘れない。ずっと待ってる」忘れるものか、絶対に。

「じゃあ、大丈夫だね」

 しっかりと鉄炮塚の目を見据えて自信をもって言った言葉に、彼女は納得した様子だった。

 火縄さんが戻り、車は発信する。最初よりも会話は増えてしばらくは三人で話していたが、カーナビが目的地までのルートを案内する音声や、そこまでの距離、時間が短くなると次第に僕達の口数は減っていった。


『目的地周辺です』カーナビのアナウンスがなんだか恨めしく思える。

 そして車は僕の家に着いた。荷物を抱え、忘れ物がないか確認する。

「それじゃあ、ありがとう。君に出会えてよかったよ」

「今度会ったら、ドーパミンサイダーの良さについて語り合いましょう」

「ははっ、そうだな。そのときまで販売されてるといいな」

「はいっ」

 僕は車を下り、向き直る。これで終わりだとは思わない、ほんの少し離れるだけだ。必ずまた会えると信じている。

「……伊藤君。私、いつか必ず会いに行くから」

「うん。これ、電話番号。かけなくていい。ただ持っていてくれればそれでいい」

 僕はさっきコンビニで待っている間、車内で書いておいたメモ用紙を渡した。鉄炮塚は受け取り胸の前でギュッと抱きしめた。

「うん。それじゃあね………陸斗君」

「…っ。それじゃあ」

 ここで灯と呼べないのが僕のヘタレたる部分だ。


 車は走り出す。名残惜しさが全身を襲う。駆け出してしまいたい気持ちをぐっと抑える。

 車からは灯が身を乗り出して左手を振っていた、僕もそれに応えるように手を振った。車が見えなくなるまでずっとお互い手を振り続けていた。

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