伝えるべきはこの想い

 目の前に開く穴は銃口だ。形状こそ違えど鉄炮塚の左手の人差し指の先にも同じものがある。そこから飛び出すのは弾丸だ。窓を割り、地面を抉り、人を傷つける。だが、鉄炮塚のソレに恐怖を感じたことはなかった。その向こう側にある彼女のことを知ろうと思ったからなのかもしれない。クラスと関係を持とうとしない彼女がとても寂しそうに見えたからなのかもしれない。

 だからこそ今、目の前にいる岩井校長が向けているの銃口がとても恐ろしい。向こうにいるその人物が得体のしれないことがより一層恐怖を駆り立てた。

「なんで、校長が…」

「そのまま下がりなさい。この状況でが偽物であると思い込むほど、君は頭が悪くはないはずだ」

 冷たい声色だった。学校での集会や掃除時間に会った時の温和な雰囲気が感じられず、別人と思えてしまう。

 後ろに下がりつつ、ガラス窓に目を向ける。当然火縄さんは見えない。この状況は火縄さんの想定の内なのだろうか。ずりずりと後ろに下がり壁に背をつけた。隣には鉄炮塚がいる。

「なんで、校長がここに?」小声で鉄炮塚に尋ねる。

「分からない、あの人が研究所と関わっているなんて知らなかったもの」

 銃口は相変わらずこちらに向いている。目を逸らすことができない。僕は鉄炮塚の体を隠すように少し前に出る。


『岩井…何しにきた』

 火縄さんの声が聞こえてきた、不快感がとても伝わる雰囲気だ。

「まだズルズルとこの少年を置いているのか」

『…銃を下ろすんだ。子供たちにそんなもの突き付けるな』

「記憶の消去はどうした?」

『これからやるとこだっ…』

「遅いな。情が移ったのか?」

『あなたには関係のないことだ』

「関係ないとはひどいな。私はこの研究に全面的な協力をしているというのに」

 は?校長が研究所に協力?なんでそんなことになっているんだ?処理が追い付かないことだらけだ。

「実験のために学校との円滑な癒着を図るため、私に接触したのは和泉研究所だ。実験が成功すれば、協力者である私にも大金が手に入る。それをこんな部外者に邪魔されてたまるか。実験が成功するのは鉄炮塚 歩君の研究者としての夢なんだろう?まぁ君は賛同しているわけではないようだが、娘を守るためにここで終わらせるわけには行かないだろう」

 岩井は再び僕の方に向き、一歩近づいた。

「彼の処理は私がしよう記憶消去について興味がある。せっかくだ、もう二度と思い出すことなんてないように徹底的にやろう。廃人になってしまうかもしれないがな」

 にやりと笑い岩井が近づいてくる。僕は動くことができなかった。こんなやつにどうこうされるなんて嫌だ、そう思った時だった。


「こないでっ!」

 鉄炮塚が僕と岩井の間に割って入った。左手を構え、岩井に向ける。

「……なんのつもりだ?」

「伊藤君に…近づかないで…」

「記憶に関しては君も了承していると思っていたが」

「いやっ!伊藤君はやっと走れるようになったのっ!これからなの。私も…忘れたくないっ!もうあんな思いは…いや…」

 鉄炮塚の叫びに心が突き動かされる。そうだ、僕の本心はそうなんだ。忘れたくはない、単純なことだったんだ。僕は体を奮い立たせ、岩井の前に出て、両手を広げる。鉄炮塚のために火縄さんのために。

「この実験は…クソだ」

「…なに?」

「一人の女の子を、娘を想う母親の気持ちを弄んでまでやるようなことじゃない」

「部外者は黙っていてもらおうか?」

「彼女が普通に過ごせたはずの時間を奪ってまで、母親として娘と過ごせたはずの大切な時間を奪ってまでしなくちゃいけないことじゃない」

「聞こえないのか」

「お前たちの自分勝手な都合で母娘の絆が引き離されて言い訳がないっ!!」

「だまれっ!」

 銃口が額に当てられる。僕は目を逸らさない、目を瞑らない。目を見開き、相手を見据え一歩も引くつもりはない。岩井の苛立ちが銃口から伝わってくる。

「もう、あんたなんか怖くない」

「チッ!」

「伊藤君から…、離れて」

 鉄炮塚は変わらず左手を岩井に向けている。覚悟を決めたような目だ。だが、ここで彼女にそんなことをさせるわけにはいかない。彼女に左手を下すように言おうとした時だった、

「クックックッ…、撃つのか鉄炮塚 灯。父親を撃った時のように」

「えっ……」

『岩井ぃ!!』

「なんだ母親は教えなかったのか、父親が死んだのは…お前のその左手から飛び出した弾丸が彼の心臓を貫いたからだ」

 父親を…、鉄炮塚が…?そんなバカな。だが火縄さんの反応から虚言とも思えなかった。

 岩井の口から飛び出た言葉は鉄炮塚の手を歪ませるには十分だった。彼女は茫然として腕をダランと下ろし、床に座り込んだ。

 鉄炮塚に駆け寄ろうと、振り返ろうとした瞬間、強い衝撃が頭を襲った。岩井が殴ったのだ、堪らず僕は床に倒れこむ。


 痛みにもがきながら、僕は鉄炮塚の方を見る。彼女はうなだれ、どことも分からないところを見つめている。岩井がいったことが本当なら、彼女のショックは計り知れない。

「おとう…さんを…」

 うわごとが口からこぼれる。痛みで気を失いそうになるのを必死で堪える。目を閉じるな、体を動かせ、鉄炮塚を守れ。

 僕は全身に力を入れて立ち上がり、再び手を広げる。岩井は少し面食らった様子だった。

「利口とはいえないな」

「…こんな実験は、もう終わりだ」

「君がそこまであがく必要はないんだよ。大人の世界にはいろいろあるんだ。それを子供が邪魔しないでくれないか?」

「……」

「そういえば、君は陸上競技をやっているんだってね?」

 岩井はおもむろに銃口を僕の足に向けてきた。その瞬間、全身に寒気がした。

「君の足にこいつがぶち込まれると、どうなるかな?」

 呼吸が荒くなる。岩井はおそらく本気だ。ここまでするイカれた男が冗談ですますとは思えない。もし僕の足が撃たれたら、その後の陸上人生を考えるとぞっとする。

 だが、それでも僕は退かない。退くわけにはいかない。もう、迷わない。

「やってみろよ…」

「なにぃ?」

「やってみろって言ったんだ」

「私が本気じゃないと思っているのならば、その考えは今すぐに捨てるんだな。この実験は君の足の一本や二本を失うことよりも大事なことなんだよ」


 僕を奮い立たせるのは鉄炮塚への想いと勇気だ。自分の足を懸けてでもここに立つ意味がある。

「鉄炮塚…」

「……」

 彼女は相変わらず動かない、何かがスッポリ抜けてしまったかのようだった。僕の呼びかけに反応の一つも見せてはくれない。

「僕は、ほんの数か月の君しか知らない。君が左腕を失くした苦労も、実験ばかりの日々も、今…君が抱えている絶望も、僕じゃあほんの何割かも分かってあげられることができないかもしれない。それでも、君が僕に走れると言ってくれた時のように、僕だって君を励まし続ける…君の傍にいる。僕は…鉄炮塚 灯が好きだ!」

「…っ!」

 だから僕はここに立っている。岩井みたいなやつを前にしても、もう臆さない。好きな子のためなら体なんていくらでも張ってやる。


 苛立ちを隠さない岩井は拳銃を僕の足に押し当てる。今にも引き金を引いてしまいそうだ。

「ほんとにぃ…撃つぞ」

 岩井は鼻息を荒くし、僕を見上げる。僕の心の内に恐怖はない。そんなものは何かで包み込んでしまって見えなくなっているかのようだ。自分より何十年も生きているはずなのに、ずいぶんとちっぽけに見える岩井に冷ややかな視線を向ける。

「くそおっ!!だったらその足、二度と走れないようにしてやるよ!!」

 岩井は叫びと共に引き金に沿える指に意識を集中させる。ここだ。このタイミングを待っていたんだ。僕だってこのままタダでやられるわけにはいかない。岩井の顔面に一発でも入れてやれば何かの活路に繋がるかしれない。僕が右手を振り上げた時だった。


 聞きなれた音が響いた。小さくも鋭い音。音の方を見ると鉄炮塚が左手を構えていた。あの音は彼女の発砲音だ。彼女の指先から放たれた弾丸は岩井の右足を貫いた。

「グ、グアアアアァァァッッ!?」

 岩井は足を押さえ転げ回る。その拍子に拳銃が岩井の手から離れたの僕は部屋の隅に蹴り飛ばした。そしてすぐさま鉄炮塚の元に駆け寄る。

「伊藤君…」

「鉄炮塚…ごめん…」

「…なんで?伊藤君が謝るの?」

 鉄炮塚に撃たせてしまった。こんなことをさせたくなかった。もっとうまくやれたのではないかと自分に言い聞かせた。

「助けてくれて、ありがとう」

「私、伊藤君が走るところ見たいから…だから危ないこと、しないでよ…」

 鉄炮塚は僕に縋り付き、静かに涙を流した。小さく震える肩に手を添える。今にも壊れてしまいそうに思えて、僕はおびえるかのようにやさしく手を添えた。

「く、くそぉ…ふざけやがって…」

 撃たれた足を引きずり、壁に体を預けて岩井はなんとか立ち上がる。ギリリと歯を食いしばっており、僕達を睨みつける。僕は再び鉄炮塚を庇うように立ち上がった。

 ここからどうする?鉄炮塚の手を引いてこの研究所を出るか?ここを逃げ出して、外部と連絡が取れれば逃げられるかもしれない。だが、それはこの研究所の秘密が外部に漏れることだ。火縄さんと鉄炮塚が世間の目に晒されるかもしれない。


 その時だった。大きな爆発音が部屋の外から聞こえた。途端に非常ベルのけたたましい音が響く。

「な、なんだ!?」

 岩井はうろたえ辺りを見渡す。僕も反射的に周りを見るが、窓がないこの部屋では状況が確認できない。

 さらに二度、三度と大きな爆発音が響く、地震が起きたかのように建物が揺れている。

「灯!伊藤君!」

 部屋に飛び込んできたのは火縄さんだった。ずいぶんと息が荒く肩で呼吸をしている。その顔は真剣そのものだった。

「ここから出るぞ!二人ともこっちに!」

 火縄さんの放つ緊迫感に気圧され、わけもわからず僕達も部屋の外に向かう。

「ひ、火縄っ!何をした!?」

「ここは軍事目的のための研究所だ。当然危険物だらけ、爆発物の一つや二つはあるさ」

「き、貴様っ、まさかこの研究所をっ!?」

「…これだけの騒ぎを起こせば、大勢がこの研究所に注目する。この施設の正体も世間に公表されるだろう」

「そんなことになったら貴様らもタダでは…、それにこれは鉄炮塚 歩が始めたことだぞ…、君はそれを潰すというのか」

「…歩は、この研究所に囚われてしまっていた。手足を失った人の為に日々の研究を怠らなかった歩がいつしか、自分の娘を利用して自身の研究の向上を望むようになってしまった。この場所にはそんな歩の念が遺されてしまって、私もそれに憑りつかれたかのようだった。でも、文句も言わずに実験台となっていた灯がこんなにも強くと自分の意志を示してくれた。自らを危険に晒してまでここに来て、銃口を突き付けられてもなお下がらなかった伊藤君を見て、これを完成させてはならないと気づくことができた」

「ふ、ふざけるな…そんな勝手が…」


「灯…」

 火縄さんは鉄炮塚の方を向き、やさしく微笑む。それはまさに母親としての笑みだった。

「これからまた色々と苦労を掛けると思う。それでも、灯のことは必ず守る」

「…お母さん。私は、大丈夫だから。お母さんもいる、伊藤君もいる、だから…大丈夫だよ」鉄炮塚は涙を流しつつも笑顔で答えた。

 母娘は抱き合いその互いを想う気持ちを確かめ合った。


「に、逃げられると思っているのか…?お前の左腕は軍事目的で作られ、お前はその実験体という事実は消えることはないっ。父親を殺したという事実も一生お前に付きまとうぞ!!」

 岩井が声を張り上げる。人の精神の弱い部分を突く、苦し紛れの叫びだ。

「私には支えてくれる人がいる。だから私はその事実にも向かい合っていく。あなたのような言葉で、もう揺らいでしまわないように生きていく」

 それでも彼女は沈まない。左腕を外し、凛とした佇まいで堂々と立ち言い放った。

「行こう」

 火縄さんの誘導で僕達は非常階段から出ていく。後ろの方では岩井の悲痛な叫びが聞こえた。

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