実験

 自分の胸の内を明かしたところで事態が急展開を迎えるわけではない。もしかしたら、言わなければよかったのではないかという考えもふと頭をよぎった。

 だが、それでも僕は言葉にせずにはいられなかった。ここで記憶を消されたら、鉄炮塚の存在すらも忘れ去ってしまうようなことになってしまったとしたら、僕の気持ちも消えてしまう。ならばせめて、口には出しておこうとただそれだけの理由だった。

「…君の気持ちなど知ったことではない」

「…」

「人を好きになるのは自由だ、だが踏み込み過ぎるのもいいとは思えないね。大人の忠告だ。人を好きになったとしても、住む世界が違うと感じたのならば早めに別れるべきだよ」

「鉄炮塚は普通に学校に通い、笑って、泣きます。世界が違うなんてことはない」

「そんなものは灯の一部でしかない」

「だったらもっと彼女を知ります」

「頑固だねぇ。ま、問答をするために君を連れてきたわけではない」

 火縄さんはコーヒーを飲み干し、立ち上がる。

「来なよ。灯に会わせてあげよう」

「…っ」思わず立ち上がる。鉄炮塚に会える。

 火縄さんは大きな窓がある場所に僕を招いた。ガラス張りのその先は真っ暗で、何も見えない。目を凝らしてみてもなんのためにあるものなのかは分からない。

「時間だ」

 火縄さんは腕時計を確認すると、手元にあるパネルのスイッチを押した。すると、窓がパッと明るくなり向こう側が見えた。なにかの部屋のようだ。白く何もない部屋だ。そして、中央には一つの丸テーブルのようなものが、設置されており、そこには

「な、なんですか…あれは?」

「ここまできてなにか分からないことはないだろう?灯の左腕だよ」

「鉄炮塚の…」

 照明に照らされている白く細い腕がそこにあるのは鉄炮塚のものだとわかっていても異質に思える。あれは義手だ。腐敗しない作られたものであの人差し指の先は穴が開き、弾丸が飛び出す。女性的な腕。僕の好きな人の左腕がそこにある。あれには彼女の血は通わないし動くのも機械的な力によるものだ。彼女に合わせて作られた偽物の左腕だ。それでもなぜだが、それがとても背徳的なものに見えてしまう。もしあれがガラスを隔ててではなく僕の目の前にあったら、僕は思わず手に取ってしまっていたかもしれない。不意に心臓がドクンと跳ね上がるの感じた。自分でも理解できない何かが、僕の胸の内をサラリと触ったかのようだった。一体なにを考えているんだ僕は。


 少ししてから向こうの部屋の扉が開いた。入ってきたのは鉄炮塚だった。

「て、鉄炮塚っ!」

 僕は思わずガラスに食い入るように視線を向ける。しかし鉄炮塚はこちらに気づいた様子はまったくない。

「灯からこちらは見えないし、会話はマイクでしかやり取りができない」火縄さんはマイクを指先で軽く叩く。

 入ってきた鉄炮塚は入院着のようなものを着ていた。制服姿しか見たことがなかったから、なんだが新鮮な気分だ。そして左腕がなかった。右腕は袖を通っているが、左の袖は彼女が歩くたびにヒラヒラと少し揺れている。

「灯。聞こえる?」

『はい』

 僕達がいる部屋に鉄炮塚の声が響く。上を見るとスピーカが設置してある。鉄炮塚はテーブルの前に無表情で立ち、左腕をじっと見ている。学校で普段過ごしている時と同じ表情だ。

「では、取り付けを」

『はい』

 鉄炮塚は右手で左袖を肩までまくり上げた。そこには上腕二頭筋あたりの先が無く、断面にあたる部分には銀色のコネクタ部と思われるものが覆っていた。鉄炮塚は左腕を掴み、慣れた手つきでそれを装着した。モニターには様々な数字や文字が映っているが、僕にはなんのことか分からない。ただ鉄炮塚が左腕を取り付けた時、『同期完了』というのが見えた。

「動かして」

『はい』

 取り付けられた左手が開いたり閉じたりする。義手の接合部分は境目が見えないほど綺麗に取り付けられており、元から本人の腕であるかのようだった。

 火縄さんはモニターと鉄炮塚を交互に見ながらキーボードを叩く。僕はそれを少し離れたところで見ていた。僕はなにをすればいいのだろうか。鉄炮塚はすぐそこにいる。もう会えないと思っていたが再び姿を見ることができた。そこからは?僕はいったいどうしたいのだろうか。火縄さんのいうように僕は向こう見ずだ。今ここでただ突っ立っているだけしかできないのがもどかしい。


「火縄さん…」たまらず、僕は声をかける。

「この実験はもうすぐ終わる」

「えっ?」

「この実験が終われば、この義手に関するデータなどを全てを上に提出し、私と灯はこの研究から身を引ける。そう約束している」

「じゃ、じゃあこれで鉄炮塚は、もうあんな物騒なものを左腕に付けなくていいんですね。だったらこれからは普通の学校生活を…」

「やれやれ、おめでたいね。こんな倫理から大外れしていることに関わった者達がそのままはいお疲れ様って解放してくれると思うかい?」

「そ、それは」

 言われてみればそうだ。僕はこういった法律には詳しくないが、腕に武器を仕込み、さらにそれを十代の女の子を使って実験をするなんて許されることではないだろう。

「記憶を消されるんだよ。灯も、私も」

「そ、そんな」

「灯は君のことも忘れ、島から出てどこかの施設に預けられるんだろう。そこからは学校に通い社会人になり人並な幸せを手に入れる。だがその時、灯の隣に、私や君は、いない」

 火縄さんの言葉の節々からは悲痛な声が漏れていた。この人もそんなことは望んでいないのだろう。グッと眉間に皺を寄せ、目の前の機器を操作している。この実験が終わる時、それは火縄さんと鉄炮塚の親子としての絆が切れる時なのだ。

「火縄さんはそれでいいんですか?そんなことで納得できるんですか?」

「ふっ、知ったような口を利かないでくれ。…灯と私は血が繋がっていない。私が母親であると証明するのも書類上での話だ。それでも私は、灯を愛している。それでいいのかだと?……いいわけ、ないっ。だが私がやらなければならないんだ。私はあの子の母親だっ!ここで投げ出して別の誰かに灯の左腕をいじられるくらいなら、私は灯の未来を、守りたい…」

 身を裂こうとせんほどの叫びに僕は何も言い返せず、手足を動かすこともできなかった。ただ、これから先のことがこの人にとってあまりにも悲劇的なことがまるで自分のことのように辛く思えた。いや、僕はその未来に自分を重ね合わせたんだろう。僕は鉄炮塚のことを忘れ、鉄炮塚も僕を忘れ、お互いそんなことなんてなかったことになってこの先過ごしていくのだ。その事実に僕は心がズキズキと痛んだ。


『あの…』

 鉄炮塚の声が響いた。火縄さんの指示が止まったからだろう、その声には少しの戸惑いが感じられた。火縄さんは短く息を吐き、再びマイクに手をかける。

「あぁ、すまない。続いて銃口部の開閉確認だ」

『はい』

 鉄炮塚は僕達に向けて左腕を伸ばした。親指と人差し指を立て、小指と薬指は握りこみ、中指は軽く曲げる。彼女の左手はピストルの形を模した。そして、突き出された人差し指の先に穴が開いた。鉄炮塚が手を緩めると、穴は再び閉じた。こうして正面から見たのは、彼女と初めて話した時以来だった。白く細く綺麗なあの指から弾丸が発射されるなんて、その不釣り合いさがまるで一種の芸術にさえ思えてきた。

「次は発砲だ」

『はい』

 鉄炮塚は僕らに背を向ける。その先に射撃場などで見る人型の的が上から下りてきた。それに向けて鉄炮塚は再び左腕を構える。右肩を引いて半身になり、右腕は添えることなく下ろしている。発砲までの時間が陸上のスタートのように思えて息を吞む。

「3、2、1…発射」

 火縄さんの合図で鉄炮塚は一発、発砲した。雷管ピストルのような派手な音は聞こえない。映画などで聞くサイレンサがついた銃の発砲音に近かった。続けて三発発射され、的を貫いた。モニターには的のどの場所に当たったかが、映し出されていた。一発は人間でいう心臓の位置に近い場所に当たっていた。

 和泉研究所はこんなもの作らせてどうするんだろうか。この実験は一人の女の子のかけがえのない人生の一部を犠牲にしてでもやらなければならないことなのだろうか。娘を愛する母親がこんな辛い表情をしてでも完成させたいものなのだろうか。僕は非力だ。おかしいと叫ぶことは簡単で、しかしできるのはそれだけだ。それを覆すだけの力を僕は持ってはいない。だが、

「火縄さん」

 それでも、この母娘の苦しみを後ろで見ることしかできないなんてそんなことはできない。

「鉄炮塚と話をさせてください」

「…私がここに君を連れてきたのは一種の同情のようなものがあったからだ。灯の秘密を知ってもなお灯と変わらずに接し、危険な目に遭いそうになっても、記憶を失いそして思い出した後も、灯に手を伸ばそうとした。最後くらいは灯の姿を見せてあげようというつもりで君をここに連れてきているんだよ。君の灯に対しての気持ちは分かった。だが、ここで終わらせておくべきだ」

「彼女がいなければ、僕は今も陸上から逃げ続けていました。鉄炮塚は、きっかけをくれたんです。僕は、また走れるようになったっていうことを伝えられていない!このままもし全てを忘れてしまったら…、自分が再び走れるようになったことが、だなんて理由で終わらせたくない!鉄炮塚 灯を…忘れたくはない!」

 自分自身こんなに強い言葉が言えるのだと、驚いている。火縄さんが吐いた胸の内に嘘偽りはないのだろう。これは確証とかの話ではなく言葉を受け取り、生まれた確信だ。理由をどうこう言われても説明ができない。でもあれは演技ではないと、そう思える。だからこそ、僕も本気の言葉を口に出すことができたのだろう。


「灯、休憩だ」

『は、はい』

 火縄さんはしばらく考える様子を見せて、鉄炮塚にそう伝えた。そしてそのまま深い息を吐いた。

「私にとって灯は全てだ。彼が遺した唯一の宝。とてもやさしい子だ。研究のせいでほとんど自由な時間がなくとも、私の身を案じてくれている。そんな灯が、同世代の男の子に興味を持った。その子が傷つけば涙を流した。母親の私では見ることができなかった顔だ」

「……」

「……ここを出て左に行くと、『第一実験室』という部屋がある。それが、今あの子のいる部屋だ」

「…っ!」

「君には、感謝…しているんだ。君のおかげで、灯が学校を楽しいと思ってくれた…」

 僕は火縄さんに深く礼をし、部屋を飛び出した。左を見ると、扉があり『第一実験室』というプレートが掲げられている扉があった。歩みより、取っ手に手をかける。

 この先にいる。鉄炮塚 灯がいる。心臓が早鐘を打ち出す。なかなか手を動かすことができずに、何度も深呼吸をする。まず最初はなんだ?なんて声をかければいい?多分鉄炮塚は僕が来ていることを知らない。どんな顔をして彼女の顔を見ればいいんだ?

「いや、もう考えたって分からない」

 強張った体を落ち着かせ、ゆっくりスライド式の扉を引いた。


「えっ」

 彼女の声が聞こえた。こちら見ている鉄炮塚は、驚きと困惑の表情に溢れている。

 左腕を外した鉄炮塚 灯がそこにいた。

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