飛島 弥生は前へ進む

「これが私の知っていることです」

 帰宅の道すがら、飛島から聞かされたことに衝撃を隠せなかった。

「記憶を…」

 思わず自分の頭を触る。そうなのではないかと予感はしていた。連日続いた違和感の正体はやはり、僕の記憶が消えていたことから生じていたのだ。

 自分の体に知らずに施されていた記憶消去。鉄炮塚と関わった日の記憶が消された。

「鉄炮塚はいったい…」

 必死に記憶を掘り起こそうと唸る。が、いつまでたっても僕の知らない数日が呼び起こされることはなかった。彼女について。鉄炮塚 灯という女の子がなぜ僕の記憶から消されなければならなかったのか。その理由を僕はどうしても知りたい。


「先輩、大丈夫です?」

 僕の顔を飛島が心配そうな顔で覗き込んでくる。

「あぁ、大丈夫…」僕は弱弱しく答える。

「これからどうするんですか?」

「…火縄さんについて調べる。全部知っているならあの人だ」

 鉄炮塚の涙も、去り際に見せたあの左手の意味も、僕は知らなければならない。そのためにも火縄 弾子をあたるしかない。

「でも、和泉研究所の人なんでしょ?なんかやばいって噂ですし」

「そうかもしれない…。でもな、こっちだって勝手に記憶消されているんだ。文句の一つでも言ってやらないとな」

 冗談ぽく笑っても飛島は真剣な表情を崩さない。じっと僕を見据え、少し泣きそうな顔になっている。

「ケガ…しちゃったらどうするんですか…。櫻井先輩、あんなに血が出てた…先輩だってもしあんな風になっちゃったら私…」

 飛島は両手で顔を覆う。僕はどうしていいかわからずオロオロしてしまう。僕は何度女の子を泣かせれば気が済むのだろう。気の利いたセリフも何も言えない。僕はゆっくりと飛島の肩に手を置く。

「ありがとう。…ごめんな。色々大変なことに巻き込んで、振り回しちゃって」

「ほんと…ですよぉ…」

「僕は大丈夫だから。これは僕が知らなくちゃならないことなんだ」

 飛島はしばらく泣いた後、赤く腫らした目で僕をじっと見つめる。

「先輩って頑固ですもんね。止めたってどうせ無理だと思ってました」

「ははっ。そうか」

「先輩、目つむってください」

「え、なんで」

「いいから」

 突然のことに戸惑いながらも僕は目をつむる。なにをするのだろうと、特に警戒もしなかった。

 その直後、バチィィィン!!と強烈な平手打ちが僕の左頬に炸裂した。

「っ…!?イッッタッッ!?」

 僕は思わず両手で左頬を押さえる。飛島を見るとすっきりした顔で笑っていた。

「あー、すっきりした」

「お前…なにすんだよぉ…」

 女の子に平手打ちされたのが結構ショックで泣きそうになる。

「気合注入ですよ。試合でもよくやったでしょ」

 確かに大事な試合の場面で、気合を入れてもらうのにチームメイトから張り手をもらうというのはあるのだが、

「やるにしても背中だろぉ」

「先輩。こんな外で女子高生に背中叩かれてるの見られたら変な趣味を疑われますよ」

「女子高生に頬を平手打ちされてるのも痴情のもつれを疑われるのでは?」

「痴情のもつれとかキモイこと言わないでください」

 飛島は冷たく言い放つ。まぁ、やっと元に戻ってくれたと喜ぶべきなのだろうか。それにしても痛い。痛いと熱いが押しよせる。涙をこらえていると飛島がぐっと近づいてきた。

 なんだ今度はグーパンでもかます気なのか、完全にビビッてしまっている僕は思わず目を瞑った。

 直後、やわらかい感触が右頬に当たった。ふわりとシトラス系の香りがする。制汗剤だ。確か飛島が愛用しているものだ。

 目を開けると、目のまえには誰もおらず、後ろのほうで飛島の呼ぶ声がした。

「私、先帰りますね!がんばってください」

 いたずらっぽく笑う僕の後輩はそのまま走り去ってしまった。左頬のヒリヒリした痛みと、右頬のやわらかな感触を感じながら、僕は茫然と立ち尽くしてしまった。ちなみにフェリーには乗り遅れた。

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