まずは小さな前進
結論から言うと、僕は一着にはなれなかった。スタートこそなんとか出られたが、50mを通過する時点で全員に抜かれ、そのまま最下位でゴールとなった。
マネージャーが各タイムを読み上げていく。僕のタイムも読み上げられたが、とても聞いてられるようなものではなかった。膝に手をつき、荒い息を必死に整える。他の部員も息は上がっているがさほど苦しい表情ではない。
「やはりスタートはお前が一番だ。他の部員にも見習ってほしいところだ」
「…ありがとう、ございます」
先生の言葉にうれしさを感じる。以前の自分では考えられなかったことだ。少しだが走れるようになった。この小さな前進を今は純粋に嬉しく思う。決して自分一人の力ではない。
「あの、伊藤さん」話しかけてきたのは先程一緒に走った後輩だった。
「えっ?」
「スタート…、すごかったです。自分、前半苦手で…今度スタート教えてください」
「う、うん」
走らなくなってからは、誰かに積極的に話しかけられることもなかった。気を遣ってくれていたのか、単に腫れ物扱いだったのか、アドバイスなどを求めてくるなどはなかった。
「とりあえず、時間もそろそろだし。今日はやめておけ」
「はい」
僕は先生の言う通りにし、ダウンのために一周歩くことにした。少し先に飛島がいた。
「…飛島」
「私も練習終わったので、付き合います」
「え、うん」
僕たちはしばらく無言で歩いた。他の部活動もそろそろ終わりなのか、片付けをしているのもちらほら見受けられた。僕達はコースの外側を歩く。飛島は何も言わない。出された条件をクリアはできなかった。鉄炮塚のことはもう知ることはできないのだろうか。
「あの、さ…飛島」
「むかつきます」飛島は僕の前にヒョイと出る。
「えっ?」思わず僕も止まる。
「この前まで走るのをウジウジ悩んでたのに、鉄炮塚さんが現れてから走るようになるし」
「……」
「なんなんですか。あんだけ説得してた私がバカみたいじゃないですか。おまけにフラれるし」
「う、それは」なにも言い返せない。
「あのスタートダッシュは、私が憧れたものでした。少しブレがあったけど、でも私が好きな走りでしたよ」ニッと笑う飛島は何か吹っ切れたような表情だった。
僕は彼女に多くの心労をかけていたのだろう。飛島は陸上に戻ってもらおうとずっと声をかけてくれた。こんな僕を好きだと言ってくれた。
「ありがとう」
僕はこの言葉を思わずかけていた。飛島はキョトンとしている。なぜお礼を言われているのか分からないといった様子だ。
「走れたのは僕だけの力じゃない。飛島がずっと声をかけてくれたから、僕は今日走れたんだと思う。だからありがとう」
僕は頭を下げた。鉄炮塚に関することを教えてもらいたいからじゃない。条件をクリアできなかったことをなし崩しにできないかと画策したわけじゃない。
ただ、純粋に飛島 弥生に感謝を伝えたかった。この後輩に僕はかなり救われた。
「ソリャ」
「いて」足を蹴られた。顔を上げると飛島はうつむき、前髪を触っていた。
「今日、一緒に帰りましょう」
「え、うん」
「話してあげますよ。私が知っていること」そういって飛島は軽い足取りで去っていった。
頬を掻く。自分の発言の気恥ずかしさが今になってこみあげてくる。本心な分余計に。
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