染み込んでいるもの

 僕は飛島に何度か話しかけようと試みた。だが、向こうは僕の姿を見るなり逃げ出してしまうので、校内ではなかなか捕まらない。

 ならばと思い、放課後に部活に顔を出した。ここなら話しかけるタイミングがあるだろう。 狙い通り、飛島も部活に現れた。僕を認識しているはずだが、見ようともしない。全体でのアップが終わり、各競技の練習に移っていく。僕も手伝いを命じられた。すっぽかす訳にもいかないので、準備を始める。高跳びをする部員はマットがある場所に移動していく。僕は飛島のことを気にしつつ、短距離種目の部員の練習を手伝いをした。

 向こうも高跳びのバーを使い練習をしているのだが、

「飛島、跳んでるか?」

 彼女はずっとマットの傍に立っており、バーの調整等をしている。順番に跳んでいく練習をしているのだが、明らかに一周はしているはずなのに飛島は飛ぶ気配がない。


「あ、ちょっといい?」

 気になった僕は、飛島と仲のいい女子部員に声をかけた。

「なんですか?」彼女は一段落ついた所で、タオルで汗を拭きながら近づいてきた。

「飛島、怪我でもしたのか?飛んでないみたいなんだけど…」

「あぁ…怪我というか。弥生、なんか跳べなくなったんですよ」

「え…」

「メンタル的なものなんじゃないですかね?」

「それ、いつから?」

「えっ…と、つい最近ですよ。まだ一週間経ってないんじゃないかな」

「そう、か」

 彼女にお礼をいい、飛島の方を見る。上下ジャージ姿であり、跳ぶような素振りを見せない。他の部員達にアドバイスをしたり、動画を撮ってあげたりしている。

 跳べなくなった原因はあの時のことだろう。他に思いつかない。僕のせいで飛島の陸上人生に支障をきたしてしまうわけにはいかない。

「とにかくちゃんと話しをしなくちゃな」


 高跳びのグループを見ると休憩時間のようで、各々ばらけていった。チャンスと思い、飛島に小走りで近づいた。

「飛島、ちょっといいか」

「…」彼女はこちらをチラリと見たが、返事は返ってこない。

「頼む、少し話しをさせてくれないか」

「…なんですか」

 僕がグラウンドの端に行くよう促すと、飛島はついて来てくれた。相手にはしてくれるみたいだ。


「先輩って卑怯ですよね」

「えっ?」

「皆がいるところで声かけて、あれじゃ突っぱねたら周りから変に思われますもんね。考えましたね」

「いや、そんなつもりじゃ…」

「それじゃ」飛島は踵を返す。どうやら他の部員の目があったからついてきただけのようだった。

「跳べなくなったって聞いたんだっ!」

 僕の呼びかけに飛島は足を止める。鉄砲塚のこと、竜太のこと聞きたいことはあるが、まずは飛島のことだ。ぼくはあまりにも彼女をないがしろにしすぎた。その結果がこれだ。

「大会だって近い、お前にとって大切な時期だ。それを無駄にしたくない…」

「なんですか、自分のせいだって言いたいんですか?思い違いですよ、恥ずかしいこと叫ばないでください」

「だったらなんで…」

「もういいでしょ!」飛島の叫びに僕は気圧された。

「関わらないでくださいよ…。先輩はっ、私なんかよりあの人のほうが気になるんですもんね…」

「そんなことは…」そこから先は言葉がでなかった。

 飛島は俯いている。その頬には一筋の涙が流れていた。僕はそんな彼女に対してどうすればいいか分からなかった。どんな言葉をかけていいのか、どんな行動をとればいいのか、全ての行為が裏目に出てしまいそうに思えた。女の子を泣かせて、何もできない自分がひどく情けない。

 

「いいですよ」

「えっ」

「先輩が知りたいこと教えてあげます」

 しばらく沈黙が続いた後、目を少し赤く腫らした飛島がそう言った。その言葉に僕はどう反応すれば迷っていると、

「ただし」飛島はある方向を指さした。そこはスターティングブロックが並んでいる場所だった。

「この後、短距離の練習なんですか?」

「あ、えっと…スタート走だな。30mが5本、50mが3本、100mが1本…」

「じゃあ、100までにはアップ終わりますよね?」

「えっ」

「最後の100m、一着でゴールできたら私が知っていることなんでも話してあげますよ」



「あれ、伊藤さんアップしてね?」

「なんか、100m1本走るんだって」

「えっ、マジ?もう大丈夫なのかな」後輩達のそんな声が聞こえてくる。

 顧問に1本走らせてほしいと頼んだところ、

「…分かった。無理はするなよ」少し嬉しそうな顔で快諾してくれた。 

飛島が出した条件。『100mを一着でゴール』正直、クリアできるとは思ってない。他の皆は僕がいない間、練習に励んでいる。レベルアップしているだろう。まったく走っていない者が勝つというのは、かなり難しい。怪我の可能性もある。しかし、鉄砲塚の事でなにか分かるかもしれない。その可能性があるなら、やるしかない。

 入念にアップをする。ずっと前からやっているアップだ、流れは体が覚えている。体の一部ごとを意識するように丁寧にやる。足首、膝、腿、股関節、背中、腕、肩…。まだ、ぎこちない部分はあるがそこまで違和感はない。

 軽く走る、フォームを意識して、腕の振りや足の運びに接地、自分が走っていた頃の事を思い出して流していく。

 流すところまでは、問題ない。少しスピードをつけて走ってみる。横目には休憩中の部員がこちらを見ている。よし、大丈夫。もう一本走ったところで次はスタートブロックを合わせてみる。スタートラインから二歩が前足、三歩弱が後ろ足だ。ゆっくりとブロックの位置を合わせる。

 両足をかけ、ラインに両手を合わせる。ここまでは怪我明けからもやったことはある。問題はその先だ。スタートダッシュはまだできていない。走れるのか?いや、そこでビビっているようじゃダメだ。自分の記憶の差異を確かめるだけではない。前に進まなくてはいけないのだ。鉄砲塚は自分の走りに勇気をもらったと言ってくれた。あの笑顔を見せられて、いつまでも、立ち止まっているわけにはいかないのだ。

 ゆっくり腰を上げ、一瞬だけ力をいれ、フォームを確認するように出る。動けなくなってしまうようなことはない。惰性でゆっくりとレーンを走る。30mを越えた辺りで立ち止まり、大きく深呼吸する。

「行けるか?」顧問が問いかける。自分が出来る限りのことをやるしかない。僕は顧問の目をまっすぐに見て、

「はいっ」短く答えた。

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