映らない姿

「飛島…」

「なに、やってるんですか。傘もささずに…風邪引きますよ」

 そう言って飛島は、自分の傘を僕に傾けてくれた。

「お前、なんでこんなとこに…」

「学校から飛び出す先輩が見えたから、追いかけたんですよ」

「…部活は?」

「室内でやる予定でしたけど、野球部に場所取られちゃって、先輩達でどこでやるかなんて話してますよ」

「そうか…」

「いったん、学校に戻りましょ。荷物とかいろいろあるでしょ」

 ぐいと、飛島に手を引かれる。思ったより強い力だった。特に抵抗はせず、僕達は校舎へ戻った。

 校舎内に入ったところで、飛島は持参していた自分のタオルで僕の頭を拭き始める。

「ビショビショですね」

「…」

 まるで子供のようだ。何も言わずにただ立ち尽くす。

「帰りましょっか」

「一人で帰るよ」

「傘あるんです?」

「…無い、けど」

「じゃあ、この後も傘に入れてあげますよ」

 飛島は外に出て、傘を広げる。くるりと回しながらニコリと笑った。


 傘は僕が持った。僕より背の低い飛島では持つのが少し辛そうだったから。

 今は、相合い傘なんて恥ずかしい。そんな思いはない。飛島だからだろうか。いや、今の僕自身にそんな余裕がないからかもしれない。

「部活、よかったのか」

 当たり障りのない話題を投げかける。

「いいですよ、たまには」

「お前、そんなに不真面目だったか」

「いやいや、私ほど真面目な部員もそうおりませんよ~」

 手をプラプラさせながら、そんなことを言う。確かに飛島は陸上には真面目だ。それに、ユーモアも兼ね備えている。チームの雰囲気作りには、こいつの力が結構大きい。

 ドジな所もあるが、周囲に気を配っている。試合の時の集中力は目を見張るものだ。だからこそ、

「お前、もう僕に構ってる余裕なんてないだろ」

「なんでです?」

「試合が近づいているだろ?今日だって、室内練習なんてどこででも出来るし。こんな僕に時間割いてる場合かよ」

「ほっとけないですよ。あんな先輩見たら」

 濡れた体に風が刺さり、思わず身震いする。タオルで拭いてもらったとはいえ、飛島のフェイスタオルでは、全身を拭きあげるのは無理だった。くしゃみをするとブルンと傘が揺れ、雨粒が跳ねた。空いている右手で体をさする。

「大丈夫ですか?」

 心配そうに飛島が覗き込む。ズズッと鼻をすすり、大丈夫だと伝える。


「先輩、あそこ行きましょ」

 飛島が指したのは、団地近くの公園だった。広い公園で、子供たちの遊び場だ。返事も聞かずに飛島は僕の腕を組み、引っ張っていく。

「か、帰らないのか?」

「たぶん雨もっと強くなりますよっ。私の折りたたみ傘じゃ無理です!」

 ここの公園には小さな東屋があった。僕達がそこに入ってすぐ、雨足は勢いを増した。東屋の屋根を叩く雨音はひっきりなしだ。

「ほらね」

 どうだ、と言わんばかりの飛島の顔に僕も自然と顔が綻ぶ。

「少し、話しましょ。聞きたいこともあるし」

「…あぁ」

 雨は勢いは当分収まりそうにはない。


 ふと、飛島の肩を見ると濡れていた。やはり、相合傘は少々窮屈だったか。シャツからうっすらと見える肌色から慌てて目を逸らす。

 スマホでフェリーの時刻表を確認する。次の便には走ったって間に合わないことが分かった。この次は一時間ちょいといったところだ。

 雨足は強くなる一方だ。道路を走る車は大きな水しぶきを上げ、通り過ぎていく。

「天気予報大外れですね」

 ハンカチで体を拭きながら、飛島はぼやいた。

「まぁ、予報だしな。仕方ないさ」

「でも、ここまで外します?この科学が進んだ世の中で」

「クレームは神様に言いな」

「うわ、急な詩的表現。キモいですね」

 飛島はいきなり本題を切り出したりはしなかった。しばらくは世間話をした。こいつなりの優しさなのだろう。

 風が少し吹いている。東屋に壁があるとはいえ、濡れた体にはやはり応える。

「寒くないか?」

「鍛えてますんでっ。どっかの誰かさんとは違って」

 むん、と腕を上げる飛島だが、小さなくしゃみをする。やはり寒いのだろう。申し訳ない気持ちがこみ上げてくる。


「ごめん」

「え?やだなぁ先輩ったら、急にションボリしちゃって。らしくないですよ」

 今の自分がひどく情けなく思えた。雨に打たれ、風に吹かれ、寒さに震えているのもあるが後輩の女の子に励まされているのが、なんだか辛かった。飛島の優しさを素直に受け入れようとしない自分に腹が立つ。年上の面目というのもあったのだろう。鉄炮塚に対するモヤモヤも相まって、走って逃げたくなる気持ちをグッと抑える。それをしてしまったら、もっと情けなくなってしまう。


「走れますね」

「えっ?」

「久しぶりに見ました。先輩の走り」

「あ、あぁ」

「やっぱフォーム綺麗ですよね。部の中じゃ一番ですよ」

「そ、そうか…」


 雨の音が聞こえなくなってきた。

「初めて会った時、覚えてます?」

「あぁ、入学式の日だろ」

 寒さも感じなくなってきた。

「初めて先輩の走りを見てこの人と一緒に走りたいって思ったんです。まぁ、種目違いますけど」

「そう、なのか…」


 ジッと見つめてくる飛島から目が離せなくなる。この後の言葉を想像できない程、僕は捻くれているわけではない。


「先輩が好きです」


 ハッキリと耳に届いた言葉だった。それ以外、もう何も聞こえなくなった。


 濡れたシャツが体に張り付く不快感も、遠くで微かに聞こえるフェリーの案内放送も、なにも聞こえない。目の前にいる後輩のことしか気にならない。

「飛島…」

 彼女の上気した頬がやけに艶やかに見える。今まで見ることのなかった表情。心臓が少しずつ早く打ち鳴らされる。

「あなたが好きです」

 もう一度口にされた言葉が頭の中を巡る。まるで別人に見えてくる彼女の肩に僕はいつの間にか触れていた。一瞬、彼女は少しビクついたが、すぐに力を抜いた。

「私の方が早いですから。あの人より私の方が先輩を知っています。だから…」

 引っかかる言葉があった。あの人?真っ先に思い浮かんだのは鉄砲塚だった。僕は伸ばした手を引っ込めた。

「鉄砲塚の事か?」

「えっ、あっ…」飛島は失言をしてしまったかのようにばつが悪い表情をしている。

「なんで彼女を知っているんだ?」

「せ、先輩…?」

 彼女が学校にいた時間は少ない。僕だって今日まともに話したばかり、のはずだ。それがなぜここで鉄砲塚が出てくるんだ。

 記憶にぽっかりと穴が空いた感覚。どうしても彼女の事を単なる他人で片付けられない。そんな彼女の事を飛島は知っている。

「何か知っているのか!?」

「きゃっ」

 僕は飛島の両肩を掴む、さっきよりも強い力で。

「僕は鉄砲塚の事を前から知っている気がするんだっ!でも思い出せないんだ!」

「ちょっと…先輩!」

 飛島は力一杯に僕を突き飛ばした。そのまま立ち上がり、目に涙を浮かべながら僕を睨む。

「バカ…」飛島は東屋を飛び出していった。拍子に蹴飛ばされた彼女の折りたたみ傘が力なく倒れる。

 僕はしばらくそこから動くことはできなかった。 

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