another この想いは
一目惚れ、なんてものは強い幻覚作用がある。
私は、目の前にいるその幻覚にやられた友達の理奈を見ながら、そう思った。
「もう、ビビッてきたのっ。これが恋なんだわぁ」
うっとりとした表情で理奈は言う。最近一つ年下の後輩に一目惚れしたらしい。野球部だそうだ。
「ふーん」
私は適当に相槌を打ちながら、お弁当に箸をつける。
昼休みの教室、人はまばらだ。私と理奈は窓際の後方で昼食を取っていた。ちなみに私は自分の席で、前に座っている理奈の席は別の男子の席だ。昼休みの理奈の定位置になっている。席の主もそれが分かっているようで、この時は理奈に譲ってくれている。少し気の毒だと思う。席替えまで我慢してもらうしかない。
「ふーんって、あのねぇ私達もう中三だよ。来年は高校生だよっ。そんな渇いた青春でいいの!?」
「私には陸上があるもん。スポーツも青春でしょ?」
「はん!花の乙女は恋愛が一番なのよ!」
理奈は熱弁しながら、チョココロネを頬張る。私もコロッケを口に運んだ。
「大体、友達が一目惚れして、これから大恋愛に挑もうとしてるのに、なんなのよその冷めた態度」
「アンタの一目惚れってこれで何回目よ?その度に聞かされるんだから、こっちの身にもなってよ」
理奈は惚れっぽい娘だ。これまで、サッカー部のエースや秀才の学級委員長やら、若い新任教師にまで一目惚れをしているのだ。
だから理奈は幻覚にかかりやすい娘だ。しかしそれでいて覚めやすい。最短記録で言えば、2日で覚めたことがある。しれっとした顔で、「やっぱ違ったわ」と言う。非常に清々しい。理奈のこういうとこは嫌いじゃない。
「あぁ、でも彼を狙っている子って結構多いのよね~。坂下さんでしょ、一年の田中にぃ、千絵は…この前告ってフラれてたわね」
色恋に関しての理奈の情報収集力は高く。同学年はもちろん、一年生の誰と誰が付き合っただとか、用務員さんが女性教師に片思いだとか、どこから仕入れているのか分からないが、とにかく耳が早い。その報告を聞かされるものだから、私自身も知らない人の恋愛事情まで精通してしまった。
「弥生さぁ、好きな人とかいないの?」
「いたら理奈が知らないわけないでしょ」
弁当を食べ終え、袋に包む。理奈も食べ終わり、ミルクティーを飲み干した。
別に一目惚れをバカにしているわけではない。恋愛をするのは自由だし、きっかけなんてのは人それぞれだと思っている。
もうこれは感覚の問題なのだろう。今の私には初対面の相手を一目見て惚れるというのは分からなかった。
『841番。次、457番準備』
拡声器を通した記録員のアナウンスに従い私は前に出る。大きく息を吐き、頭の中でイメージする。数メートル先に見えるバーを体が触れることなく跳び、マットに体を沈める。この流れを何度も思い浮かべた。
1cm。一位の人と私の記録の差だ。そのたった1cmを超えられなければ、負ける。試技は6回目。最後の跳躍。
自分で決めた定位置につく。マットに向かって、左側の位置だ。少し後ろでは長距離のトラック競技が行われており、集団が私の立ち位置の少し後ろを走っていく。
過ぎ去ったの確認し、私は空を見上げもう一度深く息をする。自分の中にある走り出しのタイミングを見定める。大丈夫。飛べる。大丈夫。
タタンッ、とステップに近い走り出しから、腕を大きく振り、歩幅をグンと伸ばす。どんどん近づいてくるバー。目線を少し上を向ける。鋭く、素早く、息を吸い、止める。タイミングはバッチリ!
助走の勢いに乗り踏み切り、体をグッと伸ばし跳躍をし、バーを越える動作にかかる。何度も練習した。染み付いている動き。考えなくても体が勝手に動く。いけるっ。
かすかに体が触れていた。マットに沈んだ後、すぐにバーを見つめる。そして、小刻みに揺れて、落ちた。それを確認した審判は、ファウルを意味する赤い旗を上げた。
結果、2位となった。上の大会の参加資格は取れている。部内の仲間は健闘を讃えてくれた。惜しかった。でも、凄い。と、それでも素直に喜べなかった。1cmの差だっただけに余計に悔しかった。
高校は陸上が強い所に進学した、離島というのがやや不便だが。
理奈とは別の高校になってしまった。卒業式の当日にまで在校生に一目惚れしていたからさすがだ。高校に行ったらどうなっちゃうのか。
「好きな人できたら教えてよっ」
「彼氏できたらじゃなくて?」
「あんたの場合、好きな人ができたら大進歩よ」
卒業式の日にそんな会話をして、お互い少し泣いて。これからも連絡を取ろうと約束した。
家からはそこまで遠くはないので、寮には入らなかった。食事の面でも自由が効く実家の方が良かったから。
入学初日が終わり、教室を出ると大勢の部活勧誘者が…、来なかった。そういった雰囲気を少し期待していたのだが、こんなものなんだろうとこの時は思っていたが、後から聞いた話だと、数年前に強引な勧誘が問題になり、そういったのは禁止になったそう。
そのまま帰ってもよかったけど、部活の雰囲気も知っておきたかったから、グラウンドに向うことにした。お母さんには先に帰ってもらった。
駐輪所を抜けると、グリーンのネットで囲まれたテニスコートが見えてきた、2面のコートが二つあり、それに挟まれるようにグラウンドに抜ける道があった。
グラウンドに出て、右を見ると、野球部のマウンドが見えた。何人かが集まっており、準備をしているようだった。
グラウンド中央はサッカー部の活動場所らしくゴールが設置されている。
辺りを見回してみるが、陸上部の姿が見えない。他の部活の人達はいるのに。
「昨日試合だったのかな…」
今日は月曜日。前日が試合だったなら、今日は休みなのかもしれない。と、思ったのだが、
「あ…」
グラウンドの奥の方、そこにポツンと何かが置いてある。スターティングブロックだ。その少し後ろに誰かいる。遠目ではあるが、青い半袖シャツに黒の短パンの男の人だ。先輩だろう。
その人は、自分で決めているのであろう動きを織り交ぜながらブロックに足を掛ける。
いつの間にか、私は立ち止まり、その様子を見ていた。
その人は数秒静止した後、勢いよく飛び出した。
「…わっ!」
それはあまりにも綺麗で、素早かった。前傾姿勢から、トップスピードへの移行も、とても自然で、専門種目でもない私でも分かる。この人のスタートは目を奪われるものだった。 グラウンドを駆けていき、50メートルを過ぎたあたりで緩やかに減速していき、そのままの流れで、100メートルのゴール地点まで走ってきた。
そこはつまり、近くには私がいるのであって、向こうも私が見ていたことに気づいた様子だった。あ、目が合った。
「えっと…、陸上部に用事で?」短い呼吸をしながら聞いてきた。
「あ、はい…、入部しようかと」
「あー、今日は休みなんだよ。昨日試合だったから」
「やっぱり、そうなんですね」
「明日からは普通に練習してるから」
そう言って、先輩は戻っていく。
「あ、あの!」私は思わず、呼び止めた。自分でもびっくりする大きな声だった。
先輩は立ち止まり、振り向いた。少し驚いた様子だった。
私はなんだか、恥ずかしくなったが、
「と、飛島…、弥生ですっ。私…」思わず名乗っていた。
突然の私の自己紹介に先輩は少し、面食らった様子だったが、その後クスッと笑って、
「伊藤 陸斗。よろしく」そう言って、伊藤先輩は軽く手を振り、練習に戻った。
思えば、この時すでに、私は幻覚にかかっていたのだろう。
伊藤先輩に、女の影はないと思っていた。陸上バカだと思っていたし、女心なんて絶対分かんない人だと思っていた。それはもうあの人に関わっていたらすぐに気づくことだ。
だから、どこかでチャンスはあると思っていたし、そんな話は出ないだろうと、どこかで油断していた。
そんな先輩が、女の人と二人でいるのを見た時は衝撃だった。
フェリーの待合室の窓から、ふと外を見ると、先輩と知らない女の人が喋っていた。
「えっ、なに、誰?」
相手の人に見覚えはない。制服を着ている、同じ学校だ。
私は外に出て、なるべく近づき、バレないように様子を窺う。
「何話してるの?聞こえない…」
二人までの距離は30m程か、車の走る音や、フェリーのアナウンスのせいで話している内容までは聞き取れなかった。
女の方は黒髪のロングで、顔も整っており、美人に当てはまる顔つきだった。背も高く、スタイルもいい。
「結局外見かっ!先輩のくせに」
…どちらかは好意を持っているのだろうか、決めつけるのは早計な気もする。先輩が少し困ったような顔をしてる。新鮮だった。
「あんな顔するんだ」
私の知らない表情をあの女の人は向けられている。それだけで、凄く羨ましくて、ずるいと思った。
鉄炮塚 灯。それが、あの人の名前だった。仲のいい先輩に教えてもらった。
その後も、何度か二人でいるのを校内で目撃した。付き合ってはないといっていたけれど、それにしては距離が近いような気もする。
『まずいわよ』理奈に相談したところ、第一声がそれであった。
「や、やっぱり?」
『恋愛慣れしてないアンタにすぐ告白しろなんて無理言わないけど、取られるわよ』 その言葉に、一気に不安が押し寄せてくる。
「ど、どうしたらいいのかな?」
『いい?あんたは同じ部活っていうアドバンテージがあるけど、その先輩は毎日練習に来てるわけじゃないんでしょ?つまり放課後もその女と過ごす可能性は高いのよ。そうなれば、同じ部活って強みも弱くなってくるの』
理奈の意見には納得だ。先輩が練習にくるのは週に二日か三日だ。このまま先輩があの女に誘惑されて、部活に来なくなることだけは避けなければ。
「好きなんでしょう?」
理奈が口にしたその言葉に少し体が熱くなる。自覚はしているが、言葉にされるとこんなにも恥ずかしい。一目惚れなんて幻覚だなんて言っていた自分だが、今はっきりと言えるのは、
「好き…です」
この気持ちを幻覚で片付けたくない。電話越しでは理奈がはしゃいでいた。
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