貫いた弾丸

 放課後、図書室に備えつけられている椅子に腰掛けていた。目の前には、映画化もされた作品の原作小説が開かれている。読んではいない、ただページが開いているだけだ。目に映る文章の羅列も頭の中には入っていない。

 僕は別に本の虫というわけではない。この学校は十数冊の雑誌を定期購読している。その内の一冊に陸上競技についての雑誌があるので、それを読みにきているぐらいだ。もっとも今は読んでないが。だからこそ、僕がここにくることはほぼないと言っていい。


 今頃、鉄炮塚は竜太と会っているのだろうか。気になってしょうがない。覗きにいってしまおうかと思ったぐらいだ。しかし、それは人としてどうなのか。

「僕は下世話な奴だったのか」

 ポツリと小さく誰にも聞こえないように呟く。図書室を利用している人は少ない。二、三人といったところだ。静寂に包まれているこの空間では、この呟きもうっかり響いてしまいそうになる。

 人の色恋がどうなるかの現場にコソコソと聞き耳をたてたいなどと、ろくなものではない。だが、気になる。

 これが関係ない人なら、あっそ、ぐらいで済むのだが、竜太なのだ。鉄炮塚なのだ。友達とクラスメイトが彼氏彼女になるかの話をしているのだ。しかも、それが今日。鉄炮塚はなんと返事するのだろうか。

「いかん、いかん」

 ぱたんと本を閉じる。その音がやけに響いた。今月の特集コーナーに本を戻す。この本以外にも、有名作家の新作等が並んでいた。手作りのポップを尻目に図書室を出る。

 帰らないから余計な事を考えてしまうのだ。さっさと帰ろう、時刻表を見ると、ちょうどいい具合にフェリーに乗れそうだ。

 すると、向かいの校舎の窓から人影が見えた。鉄炮塚だ。二階の廊下を歩いている。校舎の真ん中くらいでその姿は見えなくなった。僕達の教室がある場所だ。たぶん、あそこで話をするのだろう。すこしの間突っ立っていた僕だったが、すぐにハッと我に返り、校舎を出ようとしたその時だった。

「おぉ、ちょうどいいところに。すまんが手伝ってくれ」

 僕の背中に声を掛けたのは、化学教師だった。白髪で、薄茶色の作業服の上着を着ており、首元には赤いネクタイがチラリと見えた。足元には、段ボール箱が二つ置かれていた。

「こいつを一つ持ってくれんか。二往復はしんどくてな」

 マズイ、なんだかマズイ気がする。

「は、はぁ。いいですけど。どこまで?」

「二階の実験室まで頼むよ」

 仕組まれているのかと疑うタイミングだ。しかし断るのも変な話なので、僕は「分かりました」と言い、段ボール箱の一つを抱えた。結構重い。

 こんな状況に陥ってしまったが、少しホッとした自分がいた。やはり下世話なのかもしれない。


 目的の実験室は校舎の端にあり、先生の少し後ろを歩く。校舎の両端にも階段はある。僕としては鉄炮塚達がいるであろう教室に近い中央階段はなるべく使いたくない。見つかったら気まずいからだ。しかし、先生はこっちの事情は知ったことではない様子で、フウフウ言いながら中央階段を登っていく。登り切った先に人はいない。ひっそりとした廊下には僕達の足音だけが聞こえる。幸いにも、実験室は僕達の教室とは反対方向だ。サッと振り返るが誰もいない。

 実験室に到着した。先生が開ける鍵のガチャリという大きな音が、いやに響いた。

「いやぁ~。助かったよ、ありがとう」

 先生はお礼を言って、去っていった。


 僕も帰ろうとした時だった。

「っ…」

 竜太が階段を登ってくるのが見えた。慌てて物陰に隠れる。向こうは気づいてない様子でそのまま教室に向かう。僕達の教室だ。多分、鉄炮塚もいる。

 僕はゆっくりと歩き出した。足音を立てないように、ゆっくりと。

 あと数メートルでといったところで、

「返事を聞かせてくれないか」

 竜太の声が聞こえた。周りに誰もいないからか、少し離れていてもよく聞こえた。僕はもう、階段に向かう気がなくなっていた。じりじりと教室に、ほんの少しだけ近寄り、止まった。

 さすがに覗き込むことはできなかった。扉のすぐ側で、僕は黙って佇んでいた。誰か来るのではないかとヒヤヒヤする。

「好きだと言われたことは驚いたけど…」

 鉄炮塚の声だ。僕といる時とは全然違う、冷淡とまではいかないものの、それに近しい感じの口調だった。あれが、彼女の学校生活での顔なのだろう。

 次の言葉を待っている僕がいた。服の裾を握りしめ、生唾を飲み込む。

「ごめんなさい。あなたのこと、よく知らないもの」

 彼女は断った。僕はバレないように大きく息を吐いた。なんだか力が抜けてしまった。安心したというのが正しいのか、胸のつっかえが取れた気分である。


 僕は踵を返す。これ以上はやめておこう。教室を後にしようとした時だった。

「陸斗が、いるからか…」

 竜太が口を開いた。いきなり自分の名前が出てきてドキッとする。思わず足が止まった。

「えっ?」

 鉄炮塚の声色が少し変わった。上ずったような、素が出ている時に近い感じだった。

「知ってんだよ、仲いいんだろ」

「……」

「アイツにしか見せない素の私ってとこか」

 竜太は投げやりな感じでそう言った、嫌悪感さえ感じられる。

「なんで、アイツなんだよ?」

「…どういうこと?」

「頭悪いし、トラウマにビビッて陸上から逃げてるあんな奴なんか、どこがいいんだよっ!」


 竜太の荒ぶる声が耳に届く。それは耳を通り、心臓を鷲掴みされたかのようだ。親友、と思っていた竜太の口から出てきたのは、否定だった。僕はその場から一歩も動けなかった。飛び出して、文句の一つでも言ってやろうかと思った。が、できない。

 自分はそう思われていたのだ。今まで竜太の近くにいて、竜太の気も知らずに接していたのがショックで、そんな自分がひどく滑稽に思えた。


「たまに部活にきても、練習の手伝いをするだけだ」

 そうだ、行かなければいいと思っているのに、なぜか足がグラウンドに向いてしまう。

「後輩からも、陰でバカにされている始末だ」

 あぁ、知っているよ。それでも、何故か僕は離れなかった。

「たかが、一回こけたくらいで、走れなくなる臆病者だろうがっ!」

 僕は、臆病で、弱い…。押しつぶされそうな思いだった。



「それがなに?」

 凛と。声が響いた。竜太の怒号にも負けない程の力強い声だった。

「何を言い出すのかと思ったら…」

「なんだよ…事実だろうが」

 鉄炮塚の迫力に面食らったのか、竜太の声からは動揺が感じられた。


「確かに伊藤くんは、消極的になってるわ。どことなくボーっとして毎日が楽しくなさそうよ。私だって、最初はもう走らないんだって思ってた」

 僕はもう見つかるのではというぐらいまで近づいていた。それほどまでに鉄炮塚の言葉を待っていた。


「でも、あなたの言ったように部活には顔を出していた。逃げたいなら出るわけない」

「…」

「この前だって、彼は走り出そうとしていたわ。臆病かもしれないけど…、それでも前に進もうとしているわ」

「アイツが…」

「私は、それをそばで見ていたいの。向こうからしたら、余計なお世話かもしれない。私のワガママだけど、あの人がもう一度走るのを見てみたいの」


 ゆっくり、ゆっくりと、僕はしゃがみ込んだ。体の真ん中辺りをナニかがグルグル回って、行き場を無くしているようだった。この感情はなんだ?嬉しいのか、悲しいのか、情けないのか。

 きっと、答えを言われて腑に落ちたのだ。

 嫌なら逃げればよかったのだ。陸上のウェアも、スパイクも捨てればよかったのだ。でも、しなかった。惰性で陸上に関わってたんじゃなく。好きだったのだ。僕はまだ、走りたかったんだ。あの場所に帰りたいと思っていたのだ。

 それを鉄炮塚に気づかされて、なんだか悔しかったのだろう。理由は説明できないが、そんな気がした。


「彼にどんな感情を抱いているのかは知らないけど、最初から嫌いだったの?」

「ぐっ…!」

「あなたの事、知らないけど、伊藤くんがよく話してくれたわ、いい奴だって、頭も良くて、陸上も頑張っているって」

「そういうのが、むかつくんだよ…」

「っ!?ちょっ…」

「何が分かんだよ…。お前も、アイツも、俺の何を知ってんだよっ!!?」

「い、痛っ!」

 竜太が鉄炮塚に掴みかかっていた、華奢な彼女は竜太にあっという間に捕まった。

「あんな奴より、俺がいいだろっ!?走りたがっているか知らねぇけど、無理なんだよっ!」

「や、やめてっ!」

 ガタンと大きな音がした。机と椅子がぶつかり合う音だ。

「竜太っ!!」

 ただ事ではなく、隠れている場合ではない。僕は扉に手をかけ教室に踏み込んだ。



 それと、同時だった。カランと何かが、僕の足元に転がってきた。ついこの間見たものだった。小さくて、細い、指みたいなモノ。

 弾だ。理解するのに数秒かかった。


 どさりと竜太が倒れた。脇腹を押さえ、体を縮こませている。竜太を中心に真っ赤な液体が広がっていった。

「ぐ、あぁぁっ!?えっ?あぎぃぃ…、がっ!」

 竜太自身も何が起きたのか、分かっておらず、身悶えていた。

「りゅ、竜太!」

 僕は急いで、竜太の元へ駆け寄った。ヌメリと、手に感触がきた。血だ。竜太の血だ。

 寒気がした。血を見たことないわけではない。だが、こんなに多く誰かの血を見て、触ったことはなかった。ぞわっと、鳥肌が立った。どうしたらいいのかわからない。苦しむ竜太を、見ていることしかできなかった。


「…あ、あぁ」

 鉄炮塚は呆然と立ち尽くしていた。彼女の左手はピストルの形をしており、人差し指の先には穴が開いていた。撃ったのだ。彼女が竜太を撃ったのだ。


 僕は失念していたのだ。勝手に思っていた。それはあくまで根拠のないもので、鉄炮塚 灯という一人の人間を見て、いつしか、そんなことは無いだろうと思い込んでいたのだ。


 彼女の左手の人差し指から飛び出る銃弾は、窓ガラスを容易く割る。地面を抉る。

 そして、人を傷つけることだってできるのだ。


 彼女の開いていた銃口は静かに閉じた。

 鉄炮塚の方へ顔を向ける。彼女の眼に、僕はどう映っているのだろう。

「ちっ、ちがっ…。私…」

 鉄炮塚はひどくうろたえていた。恐怖が、表情に表れていた。

 僕はゆっくりと立ち上がり、鉄炮塚の元へ歩み寄る。そして、固まって動かなくなってしまっている鉄炮塚の左手を、両手で包んだ。

「あっ…」

「怪我はないか?」

「わ、私…、そんなつもりじゃっ」

「大丈夫、大丈夫だから」

 鉄炮塚の左手を押さえつけ、ゆっくりと下ろさせた。

 どうする、早くなんとかしないと竜太が。先生?警察?救急車?どう説明するんだ?こんな状況。

 どうしたらいいかわからない。ただ立ち尽くしていた時だった。


 教室に、いきなり黒いスーツを着た男達が二人踏み込んできた。僕は、その内の一人に取り押さえられた。

「がっ!?」

 訳が分からなかった。誰だ、こいつら!?

「やれやれ、こうなってしまったか」

 そう言って入ってきたのは、

「火縄さん…?」

 白衣に身を纏い。コツコツとパンプスの音を響かせて、火縄 弾子さんが入ってきた。

 火縄さんは、竜太をチラリと見て、

「運べ」短くそう言った。

 一人の男が、竜太を運び出し、教室を出ていった。

「りゅ、竜太!」

 声を上げ、近づこうとしたが、押さえている男の力が強く、振りほどけない。

「久しぶり…って程、期間が空いていたわけではないが、また会ったね。少年」

「あなた、一体…?」

「ふむ、学校に土足で入るというのもなかなかに背徳的だな」

 火縄さんは僕に歩み寄って、ジロジロと僕を眺めてきた。

「お、お願い!その人に乱暴しないで!」

 鉄炮塚が声を張り上げた。やはり、関係者なのか?

「…」

 火縄さんは何も答えない。ただ鉄炮塚を見つめていた。

「お願い…。お母さん…」

「えっ?」

 お母さん?火縄さんが?鉄炮塚のお母さん?

「乱暴、というと聞こえが悪いが、何もしないわけにはいかない。それほどの事なんだよ。君が知ってしまったのは」

 何か冷たいものが首筋に当たった。直後、全身に痺れが走り、立っていられなくなった。

 意識を保つのが難しくなってきた。瞼が重い。鉄炮塚が何か叫んでいるが、なにを言っているか分からなかった。

 僕の視界は真っ暗になった。


 

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