二人の愛飲者

 毎週水曜日。決めていることがある。学校を出てすぐのところに自販機がある。そこの自販機でしか売っていないジュース『ドーパミンサイダー』を買うことだ。ネーミングは結構危ない感じがするのだが、激強炭酸の刺激に清涼タブレット菓子を25粒ぐらい一気に口に含んだような突き抜けすぎる爽やかさがなかなかに癖になる。『ドーパミン』とあるが、別に脳に影響とかはない、はず…。缶のラベルには、人のキャラクターの頭が半分に横開きし、そこから色とりどりの物質が飛び出ているデザインだ。一目でまともなジュースではないとわかる。だが僕は好きだ。

 しかしこのサイダー、不評である。面白半分に飲んでみる人はいるが、常飲しているは僕ぐらいだ。リピーターはいない。売り切れていることもある。もちろん人気だからではなく、補充が乏しいのだ。生産も多くはないのかもしれない。好きなものが不人気で廃止。これが消費者である僕には一番困る。メーカーさんにはなんとか続けてもらいたいものだ。


 そんなことを考えながら目的地へ歩いていく。学校のグラウンドが見える。運動部の面々が汗を流していた。もちろん陸上部も例外ではない。トラックを必死に走っている姿から目を背けながら、早足で歩いた。僕は毎日陸上部の練習を手伝っているわけではない。週に二日程度だ。最初は出ないつもりだったが、飛島が許してくれなかった。

「手伝いでもいいんで参加してください!」と何度も言われたためである。


「よしっ。あと一本!」

 竜太の声が聞こえた。後輩達を引っ張り、走り出す。誰も前に行かせないという気合で走っているのが分かる。フェンス越しに竜太達と僕の距離が近づく。竜太がこっちを見たような気がした。が、すぐに前を向きラストスパートをかけて走っていった。

 このままズルズル居続けるのも嫌だ。そろそろ辞めようかと思っているが、また明日、また今度と先延ばしにしてしまっている。自分がどうしたいのか答えが出てるはずなのに、それを実行できないのが情けなかった。


 目的の自販機につくと、先客がいた。学校の生徒ではない。別に学校内にあるわけではないので全然構わないのだが。

 白衣を着た女性だった。髪を後ろでまとめており、ポケットに手を突っ込んで、商品を眺めている。僕はそれを少し後ろで待っていた。女性はICカードを取り出しリーダーにタッチして迷いなく購入ボタンを押した。「ドーパミンサイダー」のボタンを。

「あっ」

 思わず声が出てしまった。もしやあれを冒険心で買ったのか?やめておいた方がいい。僕もあれを周りに勧めてみたが、おいしいと言ったのは一人もいなかった。竜太は鼻から噴き出して悶絶してたし、飛島からは泣きながら飛び蹴りをされた。自分の好きなものを受け付けてもらえないから結構寂しい思いをした。


 僕の声に反応して、女性はサイダーを片手に振り返る。聞こえてしまったらしい。いきなり失礼だっただろうか。

「なんだ。君も飲むのか?これ」

『ドーパミンサイダー』を掲げながら女性は僕に話しかけてきた。年は30代後半といったところだろうか。目の下にクマが出来ていた。それがなければ綺麗な顔立ちなのだろうが、眠たそうな表情がそれを隠していた。


「えっと…。はい」

 答えながら自販機を見るが、『ドーパミンサイダー』の購入ボタンには、無情にも売り切れランプが点灯していた。

「おや、残念ながら売り切れてしまったか。すまないことをしたな少年」

「い、いえ。しょうがないですから」

「しかし、君はこれを飲んだことがあるのか?単なる好奇心だったらやめておいたほうがいいぞ」

「あなたもよく飲むんですかっ!?」

 声のトーンが一段階上がる。口ぶりから察するに飲んだことのある人のセリフだ。テンションも上がってきた。まさかこんなとこでこのサイダーの二回目以降飲んでいる人に会えるとは。

「まさか、君はコレの愛飲者か?驚いたな。そんな人がいたのか」

「僕も驚きです。自分しか飲んでないんじゃないかってすら思ってましたから」

「周りに勧めても皆最後まで飲んでくれないんだ」

「そうなんですよ。それで『よくこんなの飲めるな』って顔されるんですよ。あの爽やかすぎるのがいいのに」

「全くだ。その不人気のせいか、この自販機でしか買えないのが実に残念だ」

 僕達はお互いうんうんと頷きあった。


「自己紹介がまだだったね。火縄ひなわ 弾子たまこだ」

「伊藤 陸斗です」

 火縄さんは僕に歩みより、サイダーを差し出した。

「君にあげよう」

「いや、そんなっ。悪いですよさすがに。あなたも好きなのに...」

「構わん。同じものを好きな人に会えたんだ。遠慮するな」

「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて」

 サイダーを受け取る。ヒンヤリとした感覚が手のひらに伝わった。火縄さんは自販機でコーラを買い、一口飲む。それに合わせて僕も缶のプルタブを開け、サイダーを飲んだ。

「くっ、くぉぉぉぉぉっ!」

 口に含んだ瞬間。とてつもない清涼感が上下左右、四方八方に弾けた。強烈すぎる。もはやこれは槍だ。清涼感の槍が口内から喉に突き刺さる。これがたまらないのだ。


 少しうらやましそうにこちらを見ながら、火縄さんはコーラを傾ける。

「ふむ…。やはり、これでは覚めないな」

 目を擦りながら、火縄さんはボーっとコーラを眺めた。

「君は体つきがいいな。なにか部活をやっているのか?」

 火縄さんは僕の体を眠たそうな眼で見ながら、訊ねた。

「…陸上をやってました」

「? 過去形だね。…今はやっていないのかい?」

 火縄さんはチラリと横目でフェンス越しのグラウンドを見つめる。懸命に走っている陸上部員が見える。

「眩しいかい?」

「えっ?」

「フェンスの向こう側が羨ましいかい?それとも妬ましいかい?」

 火縄さんは空き缶をゴミ箱へ捨てる。ガランと小気味良い音が響いた。

「いいんですよ。諦めてますから」

「そうかい。それは悪ではない。次に進めれば別にいいさ」

 軽い感じで言われた。火縄さんはそのまま傍に停めてある車に乗り込んだ。ほどなくしてエンジンがかかり、マフラーからの熱気が届いた。車体には、和泉いずみ研究所と記されていた。

 走り去って行く車をぼんやりと眺めながら、サイダーを飲み切った。


「和泉…」

 この島にはとある研究所がある。それが和泉研究所だ。6年程前に突如としてこの島に出来ていた。中心地の山を随分削って建てられていた。建設当初、地域住民からの反対はあった。が、程なくして収まった。多額の賄賂を渡したとか、邪魔者は消したなどと物騒な話が出ていた程だった。実際に良い噂は耳に入ってはこない。

 何を研究しているのか明らかにされてはおらず、たまに和泉の名前が入った車を見る程度で、実態を知る者はほとんどいない。


「陸斗っ!」

 不意に名前を呼ばれてビクリとする。振り返ると、竜太がフェンスを掴んで、こちらを見ていた。

「お、おう…、お疲れ」

「…練習終わるから、一緒に帰ろうぜ」

「わ、わかった。待ってるよ」

 返事を聞いた竜太は部員たちの元へ駆けていった。

 スマホをいじりながら待っていると、竜太がやってきた。何故か表情が険しい。

「…待たせた」

「いや、いいよ全然」

 なんだかぎこちない返事になってしまった。ゆっくりと帰路につく。お互いに言葉は発さない。向かいからの潮風が時折強く吹いた。

「この前…」ぼそりと、竜太が呟いた。

「えっ?」

「試験が終わった日の帰りなんだけど」

「あっ、あぁ、悪いな一緒に帰るつもりだったのに」

 チラリと竜太の顔色を伺う。少し険しい顔に見えた。

「鉄炮塚となにしてたんだ?」

「えっ!?」

 少なからず動揺した。見ていたのか?あの時。

「な、なに言ってんだよ…。僕は別に」

「誤魔化すなよ。見てたんだよ。あの時、お前の様子が変だったから追いかけたら、鉄炮塚と一緒にいただろ。しかも、あいつと楽しそうにしてた」

「…」

「なに?お前ら付き合ってんの?」

「い、いやっ、そういうわけじゃ」

「鉄炮塚、全然見たことないキャラしてた。お前の前じゃ、いつもあんななのか」

 問い詰めが怖かった。何故ここまで聞いてくるのか分からなかった。普段の竜太と全然違った。


「ど、どうしたんだよ?そんなマジな雰囲気だして」

「付き合ってないんなら、俺が鉄炮塚に告ってもいいんだな」

 竜太は前に立ちふさがり、そう言い放った。思わず足を止める。

「告…」

 うまく言葉を反復できなかった。頭の中では竜太の言葉がグルグル回る。竜太が、鉄炮塚を?そうなのか?だから、あんなに聞いてきたのか。

「だっ…」

「明日の放課後。あいつに告白する。じゃあな」

 竜太はくるりと踵を返し。走り去っていった。ポツンと取り残される。さっき、僕は何を言おうとしたのだろう。しばらく、動けなかった。風はいつの間にか止んでいた。


 翌朝。出港時の振動に揺られながらぼんやりと外を眺める。海面はゆらゆらと小さな波を打っている。船内は静かだった。テレビを見る者、つかの間の時間を睡眠にあてる者等様々だ。やがて振動は気にならなくなる程度まで落ち着き。ゆっくりとフェリーは港を出た。

 昨日の竜太の言葉が、まだ頭にこびりついていた。

「あいつが、鉄炮塚にか…」ぼそりと呟く。

 別にそれ自体は構わないことだ。竜太が誰に告白しようが、鉄炮塚が誰かから告白されようが、それ自体に僕がとやかく言う資格はない。竜太は友達で、鉄炮塚は…クラスメイトなのだから。

 窓から見える景色がゆっくりと流れるのを見ていた。何も考えず。しばらくすると、船内にアナウンスが流れた。まもなく到着だ。何人かは下りる準備をし、船室から出て行った。その様子を何をするわけでもなく眺めていた。体が椅子に張り付いたかのように動かなかった。

 振動が大きくなり、フェリーがゆっくり港へ滑り込む。船室にほぼ誰もいなくなってから、僕は重い腰を上げた。

 フェリーから下りて、短い桟橋を歩く。すぐ近くを過ぎる車を横目に僕は学校へと足を向けた。



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