敬遠
日曜日。僕は早朝から近所を散歩していた。別に日課というわけではない。たまたま朝早く目が覚めて、たまたま散歩でもしようかという気分になっただけである。朝でも昼でも夜でもない、早朝という時間の冷えた空気感は嫌いではない。
辺りは静かで車も全然通らない。時折すれ違うジョギングをする人のリズム良い足音だけが僕の耳に届いていた。
そんな時だった。
「ああああぁぁぁっ!!!!サボり魔!!」
おおよそこんな朝早く聞くような声量ではない大声が響いた。突然の事に体をびくつかせる。
直後、とんでもないスピードで足音が後ろから近づいてくる。辺りを見渡すが人はいない。つまり、ここで呼ばれたサボり魔という不名誉な呼ばれ方をされたのは僕なのだろう。少々身構えながら振り向いた。
足音の正体は僕の直前でブレーキをかけ、軽く息を整えて、僕を見上げた。
白いジャージに身を包んだ少女。ベリーショートの髪がほんの僅かになびいた。
「サボりの先輩がなに悠々と散歩を楽しんでるんですかっ!」
失礼な言動がチラつくこの少女は僕の所属する陸上部の後輩で、
「なんでお前は朝からそんな声張れるんだ…」
「陸上競技に大声は必要ですよっ」
「お前、投擲やらないじゃん」
「跳躍前とかに必要なんです!」
「ん。わかった僕が悪かった。それじゃ」
「あ、はいっ。それではまた…じゃないっ!」
飛島は僕の裾を思いっきり引っ張る。ちょっと伸びたなこれは。
「私の話は終わってないですよ」
「特に話もしてないだろう」
「なんで部活サボったんですか?」
「ていうか、なんでこんなとこいるの?」
「日曜の早朝はジョギングと決めているので。っていうか質問してるのは私ですっ」
「じゃあそのままジョギングで爽やかに汗かいてこいよ」
「もういいんです。優先すべきことができたので」
ただでは帰してはくれなさそうなので、飛島と歩きながら話をすることにした。
「逃げないでくださいよ」
「今の僕だと、逃げてもすぐ捕まる」
「そんなこと…言いきらないでください」
少し寂しそうに飛島は呟いた。
「地方大会。近づいてきてますよ」
「もう少し先だろ?」
「でも、エントリーの締め切りはもうすぐです」
「そうか」
「…出ないんですか?今年が最後の大会なのに」
三年生である僕はこの機会を逃すと、もう大きな大会はない。今年、目に止まるような記録を残していない僕にとっては、参加資格等がある大会には出れない。
「もう全然練習もしてないんだ。今さら出れないよ」
「これからすればいいじゃないですか!ケガだってもう治っているのに…」
「いいじゃないか、本人が出る気がないんだ。尊重してくれよ」
「いいえ。そんなのは嘘です」
飛島は、僕の前に飛び出る。
「先輩が一番諦めてないんです」
「…」
鉄砲塚にも似たようなことを言われた。そんなに僕は走りたそうにしているのか。
「意味がわからん」
「えぇ、そうです。先輩自身もわかってないんです。そうでなきゃ、学校一のスターターなんて呼ばれるまで陸上部になんていませんよ」
何も言い返せない。確かに僕は何故今の今まで陸上部に在籍しているのか。
「じゃあ、辞めるか。部活」
そう言うと、飛島は急に焦りの表情を見せ、
「ダッ、ダメですよっ!?そんなの許さないですよっ!!」僕に詰め寄った。
その後慌てて引き下がった飛島は、顔を少し赤らめながら、僕にビシリと指差し。
「とっ、とにかく!エントリーちゃんとしてくださいね!」
そう言って走り去っていった。姿が見えなくなると、辺りが静けさを取り戻す。
「忙しくて、元気な奴だ」
僕はゆっくりと元来た道を引き返す。ほんの少しの間なんだが歩き方を忘れたようなぎこちない歩きとなってしまった。じんわりと額に汗かく。まあまあな距離を歩いたからなのか、時間が経ち徐々に気温が上がったからなのか。
そもそも早朝の空気を楽しもうという、普段やらないことをしたせいで、少し頭を悩ませることになってしまった。
鉄炮塚も飛島も僕が走りたいと思っているらしい。…そんなことないと力強く否定ができない。しかし陸上はできない。それは分かる。なぜか?
それが分かれば彼女達にあんなこと言われないだろう。考えても結局分からない。帰り道は散歩開始より、少し遅いペースで帰った。
家に帰り朝食をとると、ソファに座りテレビをつける。床にある新聞のテレビ欄をざっと見ても、あまりそそられる題名はない。すると、一つの番組に目が留まる。それはあと数分したら始まる大きな陸上大会の中継だ。高校生、大学生、社会人は関係なく、決して低くはない参加資格をクリアしている者たちが出ることの出来る大会だ。
中継が始まった。スタジアムには大勢の観客やカメラを持つ報道陣でいっぱいだった。アナウンサーが、大会について説明している中、画面が切り替わり出場する選手達のウォーミングアップの様子が映される。有名な選手にはやはり注目がいく。陸上をやっている者なら誰もが知っているであろう選手達だ。『まもなく競技開始です』とアナウンサーが宣言した。
大会が開始してから観ていたが、自分の専門外の競技はどうしても流して観てしまう。ここに出場している選手のほとんどは、厳しい練習による技術の向上、栄養学やメンタル面においても、自分より上をいっているだろう。走るのをやめたくせにそんな選手達に一丁前に嫉妬しているの自分がなんだか恥ずかしかった。
いよいよ短距離の100mの予選が始まる。ほんの10秒ほどで終わるレースが次々とこなされた。あっという間に予選が終わった。有名な選手は順当に決勝へとコマ進めた。観客は湧き立つ。カメラは大量のシャッター音を鳴らしている。僕はそこでテレビを切った。先程のレースを興奮して観ている自分がいた。
いや、これは別に普通のことじゃないか。陸上をやってなくても陸上の中継を観るのは普通だ。決して未練があるとかじゃない。野球経験のない父もプロ野球中継を観るじゃないか。家族と年明けに駅伝をボーっと観るのも変ではないじゃないか。プロの試合に熱くなるのは至極当然…。
「お昼できたよ」
「...うい」
自分に対しての言い訳をしているとお昼時となっていた。母が作ってくれたチャーハンを黙々と食べる。
「あんたのスパイク…」
「え…?」
「まだ捨ててないから。捨て方もよく分かんないし」
「う、うん…。いや、別にもう…」
ホントに捨てるのに手こずっているのか真意は分からないが、母はそう言ってくれた。もう捨てていいと言えないのは高い買い物という勿体ない精神か、走りたいのか。
食べ終わった母がテレビを点ける。チャンネルがそのままだったので、中継が引き続き映される。僕は半ば逃げるように自分の部屋へ引っ込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます