秘密
うちの学校の先生には、授業が早めに終わる人が何人かいる。終了五分前や十分前など、うまいこと運べば二十分前に終わってくれる教師もいる。それのありがたみを感じるのは、四時間目かその日の最後の授業である。
特に四時間目にそれらの教師に当たれば、生徒の皆は終了時間の三十分前には如何に早めに終わらせられるかといった感じで怒られない程度にさりげなくプレッシャーをかけ始める。
授業の説明が一区切りつくと、
「…うっし」とか、
「ふぅぅぅー…」と、わざとらしく大きく息を吐いたり、
「よいしょおっ」と、最後に関してはさりげなさのかけらもない声を上げ始める。
基本早く終わってくれる先生は優しいのでそれらのプレッシャーにも、はいはいといった感じで流すのだが、そこは流石といったところか十五分前には授業を終わらせてくれた。
刹那多くの生徒が教室を飛び出す。目指すは学食。なぜそんなに急ぐのか、理由は簡単。出遅れるとめちゃめちゃ並ぶはめになるのだ。
学食は校舎とは別棟になる。校舎と同じ五階建てで、各階渡り廊下で繋がれており、学食は一階にあるのだが学校の教師生徒含む八割ぐらいが利用するので、毎日五階まで列を成す。ひどい時は渡り廊下から校舎にまでその列は伸びる。
出遅れて諦めている生徒を横目に僕はカバンから弁当を取り出す。家から持参している人達には関係のないことだ。竜太は授業終了と同時にスタートダッシュを華麗に決めた。試合さながらと言っても過言ではないだろう。
弁当やあらかじめ買っておいた物を教室で食べるのはこのクラスには数人しかいない。
弁当を広げようとしていると、目の前を鉄炮塚が通った。それと同時にはらりと一枚、紙が机に落ちた。鉄炮塚から落ちたのは明らかだ。
「あっ」
拾い上げて返そうとしたら、鉄炮塚はさっさと教室を出てしまった。
二つに折りたたまれた、薄いピンクの小さなメモ用紙。思わず中身を見てしまうと、
『お昼を持って体育館裏のベンチに来て』とだけ記されていた。呼び出しだ。女子からの呼び出しだ。
僕は急いで弁当を包みなおし、教室を飛び出した。
弁当を崩さないよう気にしつつ、小走りで体育館裏へ向かう。校舎の外を出て、体育館へと続く坂を上る。30m程ではあるが、まぁまぁに急だ。登った後、進路を左に変え裏へと向かう。
少し狭い道を抜けると、ベンチに座っている鉄砲塚がいた。
「おっ、来たね」
振り向いた鉄砲塚は笑顔で迎えてくれた。
「えっと…」
「ほら、座って」
彼女はベンチの端に寄り、ポンポンとベンチを叩きながら促した。
「…失礼します」
戸惑いながらも僕は彼女の隣に座る。
「クスッ。なにそれ」
笑われてしまった。彼女への対応がいまいち分からない。
「なんで、体育館裏にベンチあるんだろうね」
「さぁ、景色がいいからじゃない」
座る景色からは、広い海が見える。
僕らの学校は一つの島に位置している。人口は八千人程で、本土にはフェリーで行き来している。島の少し高い所にあるこの学校の体育館。
その裏にある、いつ置かれたか分からない一つのベンチ。穏やかな潮風が吹くこの場所は、中々にいい。
「いいね。お弁当」
「そう?」
「うん。私はいつもこれ」
そう言いながら、鉄砲塚はビニール袋から何かを取り出した。ブロック状の健康食品だった。よく見る黄色いパッケージで、部活等で僕もよく食べていた。
もう一つは栄養形ゼリー飲料だった。これも僕は随分お世話になった。様々な種類があり、栄養補給には最適だ。
だが、
「そんなんで足りるの?」
女子高生のお昼としては、似つかわしくないのではないか。そういった事情に詳しいわけではないが、そう思った。
「いいの、私はこれで。あんまり食べるほうでもないし、これが好きだから」
そう言って彼女は食べ始めた。
僕も弁当を広げて手を合わせ、食べる。
「いただきます」
「えらいね」
「別に、普通だよ」
「ううん。ポイント高いぞ~、そういうとこ」ニヤニヤしながら彼女は言った。
ホントにあの鉄砲塚なのだろうか。教室で見る周りと関わろうとしない彼女とは、全く一致しない。なぜ僕は、これ程までに彼女の様々な表情を見ることができるのか不思議でしょうがないが、悪い気などは起きるわけがなかった。
黙々と食べていると、ふと横目で彼女がこちらを見ているのがわかった。顔を向けると、彼女は僕の手元を見ていた。
視線の先には、僕の弁当箱がある。半分以上食べてしまっている中身は、卵焼きが一切れとウインナー二本。そして少しのご飯がある。
「…食べる?」
「えっ!いやっ…別にそういうつもりじゃ…」
そう言う彼女の視線は弁当から外れない。
「…それって、お母さんが作ってくれてるの?」
「うん」
「そうなんだ。美味しそうだね」
「いいよ。食べても」
「ううん、いいの。あっ、食べたくないってわけじゃないから」
慌てて否定して、彼女は食事を再開する。その横顔は少し寂しげに見えた。
お昼を食べ終わって、僕らは静かに景色を楽しんでいた。お互いに無言で、そんな空間に少し緊張してしまう僕がいる。
「ねぇ、聞きたいことあるでしょ?」
「えっ…あ、あぁ」
何も話さない僕に気をつかってくれたのか、鉄砲塚は話しかける。
確かにある。聞きたいは色々ある。でも、聞いてしまっていいのか。
僕の視線は、彼女の左手へと吸い込まれる。膝の上に置かれ、綺麗に伸びている人差し指。その指先。何の変哲もない彼女の指。普通の指だ。僕のとは長さと太さが違うだけ。
「私の左手、ピストルなんだ」
「…」
そう言って彼女は左手を前に出して、ピストルの形を模した。親指と人差し指を立て、中指は軽く曲げ、薬指と小指は握りこんでいる。
「見て」
彼女は人差し指を僕に向ける。一瞬ドキッとしてたじろぐ。彼女の指先には穴が空いていた。
すぐに彼女は左手を下ろし、手を開く。すると、指先の穴は静かに閉じた。改めてみると衝撃的な光景だった。
「気持ち悪い?」
「…いや」
「嘘」
「ホントだ」
気遣いではなく本心だった。なぜか怖いとは思わなかった。
「内緒にしてて。伊藤君には見られたから話したけど、ホントは誰にも知られちゃダメなの」
「どうしてそんなことに?」
「ごめんね。それは言えない」
「…どういう仕組みなんだ?」
「私もよく知らないんだ」
「あの時の、その…発砲は、なんで出たんだ」
「これね、私の感情に左右されるんだって。だから思ってもないときに出たりするの。伊藤くんがびっくりすること言うから」
「それは…ごめん…」
鉄砲塚の指を綺麗と言ったのは、まずかったようだ。
「いいよ、別に。でも、伊藤くんってああいうセリフをすぐ言っちゃうんだね~。もしかして、女タラシ?」
「ちっ、違うよっ」
慌てて否定すると、彼女は立ち上がり大きく伸びをした。
「そろそろ時間だね」
時計を見ると、あと15分ほどで昼休みが終わってしまう。
「またね」
鉄砲塚は小走りで校舎に戻ろうとしている。
「ま、待って!」
おもわず、呼び止めてしまった。まだ、聞いていないことがある。なんだったら、鉄砲塚の左手のことより、聞きたかったことかもしれない。彼女は立ち止まり、こちらを向く。
急に緊張してきた。鉄砲塚は静かに僕の言葉を待つ。まるで、何を聞かれるか知っているかのようだ。
「なんで、僕が走れなかったって…」
「…」
まだ陸上を真剣にやっていた時、彼女との面識はなかった。
彼女は少し考える素振りを見せると、
「君が、また本気で走れるようになったら教えてあげる」と言った。
「っ…それは」
ならば、無理な話かもしれない。もう僕は陸上の選手としては、走ることはできないかもしれないのだ。
「きっと、走れるよ」
「なんで、そんなこと。君には何も分からないだろっ」
弱々しい発言だ。少し強めに吹いてきた潮風に負けないように僕は声を張った。
「走れなかったって言ったよ」
「えっ…?」
「伊藤くんがさっき言ったよ。走れなかったって、過去形だよ?」
「…それはっ」
「君はまだ走りたいんだよ。心がそう言ってるんだよ」
自身の奥深く。僕でさえ気づいてないような気持ちを、彼女は代弁する
「後はそれを表面に出せば。君はまた走れるよっ」
そう言って彼女は走り去っていった。
無意識に紅潮した体を、潮風が冷ましてくれた。
その日、僕は適当な理由をつけて部活を休んだ。この時間帯に帰るというのは中々に新鮮で、フェリー乗り場までの道をのんびりと歩く。
海沿いの道から見える大量のテトラポットに静かな波が押し寄せる。フェリーの時間にはまだ三十分ほど余裕がある。
何も考えずに歩いていると、鉄炮塚の事を思い浮かべてしまう。ちょっと好きなのではないのかという思考回路に至りそうなのを慌てて否定する。
彼女は僕の選手の時を知っているかのようだった。昨シーズン途中までは走っていたが、その時鉄炮塚はまだこの学校にはいなかった。僕は全国レベルの実力者ではない。陸上関連の雑誌の取材なんてもちろん受けたことない。自分で言うのも悲しいが、いち同学年の女子の目に留まるような活躍はしていない。自慢ではないが学校内では一、二を争うレベルかもしれないが、そんな走りを見せる機会なんて、体育祭ぐらいではないだろうか。
そうこうしている内にフェリー乗り場が見えてくる。時間はあと十分ほどか、少しのんびりしすぎたようだ。歩きながらカバンの中の定期券を探る。
乗り場に着いた時、ふと見ると待合室入口付近に鉄炮塚が立っていた。彼女もフェリー通学なのだろうか、声をかけようかと思っていると、彼女の前に黒い車が止まった。ちょっとこの島では見ない高級感漂う黒い車だ。彼女はそれに乗り込み、車は発車した。
実は家がお金持ちなのだろうか、というかそもそも鉄炮塚の家族は彼女の左手をどう受け止めているのか。分からないことだらけに頭を悩ませていると、乗船を促すアナウンスが流れ始め、結局少し急がなければならない羽目になった。
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