鉄炮塚 灯の銃口
時間の流れがとんでもなくゆっくりに感じる。
放課後までの時間が、というよりは一日の流れがとてもゆっくりに思えた。
朝起きての登校も、授業も、昼休みも、そして今の放課後も。
外はあいにくの雨だ、今朝から予報では雨だと報じられていた。
昇降口まで行くと、雨の匂いが鼻をついた。嫌いではない匂いだ。
下駄箱の横に設置されている傘立てを見ると、誰がいつ置いたか分からないボロボロのビニール傘が寂しそうに刺さっていた。
「ない…」
今朝持って来ていた傘がなかった。予報を見てなかったのか、示されたパーセンテージを信じなかったのか、ともかく傘は誰かに持っていかれてしまった。
「はぁ…止むまで待つか…」
持っているカバンで防げる降雨量ではない。置いてけぼりの傘を使わせてもらおうかとも思ったが、これも誰かの物なのだ。一応。早めに止むのを願うしかない。
来た道を戻る。どこで時間を潰そうか。廊下に人はいない。
室内系の部活の生徒はいるだろうが、皆それぞれ教室にいるのだろう。
僕の足は自然と自分の教室へと向かう。宿題でもしていよう。図書室で、とも思ったが普段使う机の方がはかどる気がした。
窓を叩く雨音に耳を傾けながら、静かな廊下を歩く。分厚い雲のせいで薄暗い。
教室についてガラッと扉を開く。まだ鍵は閉められてなかった。誰もいないだろうと思っていたが、教室に入ると視界に入ったのは一人の少女だった。
窓際に立ってこちらに背を向けていた。
扉の音に反応して少女は振り返る。長い髪をなびかせながら。
「あっ」
少女は声をあげる。
「おんなじクラスの伊藤陸斗くん」
左手の人差し指を突きつける少女。電気の点いていない教室。少し薄暗かったが顔ははっきり見えた。
「おんなじクラスの
「どしたの、忘れ物?」
「傘、盗られちゃって。雨止むまで宿題でもしようかと」
「フーン。ひどいことする人もいるもんだね~」
鉄炮塚はさして興味がないように答え、細い指で窓ガラスをなぞる。
「鉄炮塚は?なにしてんの?」
誰もいない教室に電気も点けず、一人でなにをしてたのかふと気になる。
「…私も傘ないんだよね」
「持っていかれたの?」
「ううん。最初から持ってきてないだけ。降水確率80%だったけど、なーんか20%にかけたくなったんだよね」
鉄炮塚はそう言いながら空を笑いながら見上げる。沈んだ様子には見えない。しょうがないな全く、と軽い感じだ。
「だから私も止むまで待つの。図書室行こうかと思ったけど、私って本あんまし読まないから」
「そうか」
鉄炮塚は自分の席に座る。窓際一番後ろという羨ましい席だ。廊下側一番前の僕とは自由が利く度合いがかなり違う。
「ねぇ」
カバンを開け宿題を取りだそうとすると声をかけられた。
振り向くと彼女は自分の隣の席を指さし、
「こっち」
「えっ」
「雨止むまで話そうよ。宿題なんてやったら私が暇になるじゃん」
「じゃあそっちも宿題でもやれば…」
「宿題なんて暇つぶしの部類に入らないよ。拷問だよ」
げんなりした表情で鉄炮塚は答える。言わんとしてることは分かる。このまま宿題を始めたら恨み言を呟きかねない様子だったので、僕は宿題をカバンに戻し、鉄炮塚の隣の席へと向かう。正直、宿題なんてやりたくないのは僕も同じだった。
彼女は三年に上がった時に入ってきた転校生だった。親の仕事の都合でとかそんな理由だったように思う。
少し怖い印象だった。休み時間の教室ではいつも一人で何もせずに窓の外に目を向けたり。頬杖をついて目をつぶったりと、楽しくはなさそうだった。転校当初はいろんな人が声を掛けたりしていたが、彼女は不機嫌なのを隠そうともせずに応対していた。次第に彼女の周りに寄り付く者は少なくなった。
だからこそ、今、目の前にいる鉄炮塚 灯が同一人物とは思えなかった。僕は彼女と話したことがほぼない。連絡事項ですらなかった。彼女が転校してきて日が浅いというのもあったが、やはり彼女の態度を見ていたし、一人が好きなんだろうと勝手に決めつけていた節もあった。
椅子に座り彼女と向き合う。組まれた足に目が行ってしまいそうになり慌てて鉄炮塚の顔を見る。
「そういや、ちゃんと話したことないよね」
「…そうだな。席も離れてるし」
「あそこ、地味に嫌な席だね」と、僕の席を見ながら言った。
そこからは他愛のない話をした。好きな食べ物や、昨日のテレビだとか、基本的に鉄炮塚が話を振ってくれるので、話題には困らなかった。
ふと窓を見ると小雨程度まで落ち着いていた。これなら帰れそうだなと思っていると。
「ねぇねぇ。ピストルを手で表現する時どうやってする?」
「えっ?」
随分突拍子もない質問をされた。ピストル?そう言われて思い浮かべたのは、馴染みのある雷管ピストルだった。だが、少し違うだろう。
形は模しているが、弾は出ない。撃鉄が勢いよく雷管を叩きつけて音がなるだけだ。
「こう…だろ?」
不意にされた問いを疑問に思うも、僕は右手でピストルを形作る。親指と人差し指を立て、それ以外は握りこむ。
それを見ると彼女は、
「それ、どこで引き金引くの?」僕の手を覗き込みながら言った。
なんでそこまで気になるのか分からないが、僕は自身の人差し指を曲げ伸ばししながら、
「ここだろ」と言うと、鉄炮塚はやれやれといった感じで、
「わかってないな~。それだと銃口がないから弾が出ないよ?」
「別に出ないんだからいいだろ」
「やるならちゃんと、ってことだよ」
「なら、正解を見せてくれよ」
「それはこうだよっ!」
自身満々に彼女は左手を突き付けた。
親指と人差し指は僕と同じだ。違うのは中指だった。握りこまずに軽く曲げた状態だった。
「これなら、引き金もあるし銃口もあるでしょ?」
「まぁ、確かに…」
得意気に見せてくる彼女の左手から伸びる指が白くて、細くて、とても、
「綺麗だ…」
「へっ…!?」
「あっ…」
思わず口に出してしまった。中々に恥ずかしい事を言ってしまったと軽く後悔していたら、
「っ!?」
それは一瞬だった。僕の顔の真横をとてつもないスピードで何かが通りすぎた。その直後、後ろの方で大きな音がした。
振り向くと、教室の窓に備え付けられている窓が割れており、ガラスが床に盛大にぶちまかれていた。
辺りを見渡すが、ガラスを割った原因が見当たらない。今日は外の部活は休みだ。そもそもグラウンドと校舎はかなり離れている。うちの学校にとてつもないスラッガーやストライカーがいるという噂は今のところない。
「びっくりしたー。なんだろうな?」
鉄砲塚の方に向き直ると、彼女は左手をピストルの形にしたまま固まっていた。目に飛び込んできたのは、その人差し指だった。
穴が空いていた。
彼女の人差し指の先端に黒い穴が空いていた。マジックで塗りつぶしたなんてものじゃない。奥行きがあった。
「鉄砲塚…?」
今度は僕が固まっていると、鉄砲塚は突然立ち上がり僕の手を取り、
「こっち」
「えっ?」
引っ張って教室の外へ出た。意外と強い力に驚きながらも、僕らは廊下を走る。
階段を駆け下り、昇降口まで向かう。そこでやっと彼女は止まった。
「はぁ…はぁ…」
「…」
「はぁ…ごめんね。急に」
「いや、それより…手…」
「あっ…!ごめん…」
彼女は慌てて手を離す。さっきまで引かれた手にまだ、感触と温かみが残っていた。
頭の整理が全然つかない。あの穴が。一瞬しか見えなかったが、脳裏に焼き付くほどの衝撃だった。
「あの…」
あれは何?と聞こうとしたが、言葉が出てこなかった。
「雨、上がったね」
「あ、あぁ…」
「私、帰るね」
「えっ…」
「今度…ちゃんと説明する」
鉄砲塚は靴を履き、スマホを取り出して操作し、耳に当てる。電話をかけているようだ。
その後ろ姿に、僕は声をかけれなかった。
「あっ」
すると、彼女は何か思い出したかのようにこちらに振り返る。そして、
「もう…走れるんだね」
微笑みながらそう言った。
「えっ?」
彼女は電話をしながら走っていった。
取り残された僕は呆気にとられつつも、モタモタと自分の靴を履く。外を見ると、あがったと思った雨がまた降り始めた。小雨だ。
僕は傘立てのボロのビニール傘を引っ張り出す。まだ使えるようだ。頭の中が真っ白になりながらその傘をさし、歩きだした。
雨足は夜にまた強まった。翌日の登校時には、その名残がアスファルトに現れており、飛び越えられないレベルの大きな水溜まりもちらほらあった。
靴に浸透した湿気を少し不快に思いながら学校に到着した。昨日の出来事を思い浮かべる。鉄炮塚灯の左手、彼女の別れ際の一言。気になることを上げたらキリがないが、ともかく彼女に会わなければ分からない。
僕のクラスの教室は二階にある。校舎の真ん中らへんに位置している階段を上がると、教室の後ろ側の扉が先に見える。僕の席は一番前なので、そのまま廊下を歩き、教室の前側に向かう。途中、窓ガラス越しに鉄炮塚の席を見ると、まだ来ていないようだった。
教室前側の扉から入ろうとした瞬間。妙な違和感を覚えた。なんだ?
違和感の正体が分からなかった。特に変わりはないはずだ。いつもと変わりは…
「あっ」
僕は回れ右をして、来た道を戻る。教室の後ろ側の扉で足を止めた。
「割れてない…」
扉に備え付けの窓ガラスにはヒビ一つ入っていなかった。辺りに破片もない。
理解できなかった。いくらなんでも早すぎる。あの時、ガラスが割れたのは放課後もかなりの時間を過ぎたころだ。昼間なら分からなくもないが、こんなに対応が早いのか?
以前、別のクラスの人が誤ってガラスを割ってしまったことがあった。昼休みの時だった。幸いけが人はいなかったが、ガラスがあった部分は段ボールとガムテープで覆われていた。元に戻ったのは、二日後ぐらいだっただろうか。正確に覚えてはいないが、丸一日は絶対に期間があった。
「陸斗…陸斗っ」
考え込んでいると、後ろからの声に気づいた。振り向くと竜太が不思議そうな顔して立っていた。
「何突っ立ってんだ?」
「いや…」
「入ろうぜ」
結局、理由は分からぬまま僕は竜太と共に教室へと入った。
もしかしたら、夢だったのかもしれない。そんな気がしてきた。しかし、あの鉄炮塚と過ごした時間が夢というのも少し残念に思えてきた。
授業が始まる十分前、竜太と雑談していると鉄炮塚が教室に入ってきた。
その表情は仏頂面だった。今まで意識したことはなかったが、鉄炮塚が周りの人達と話しているのをあまり見たことがなかった。
「相変わらず人を寄せ付けないオーラ出してんなー」
僕が見ているのに気付いたのか、竜太が言った。
「竜太って鉄炮塚と喋ったことある?」
「あるわけないだろ。授業中ぐらいしか声聞かないぜ。ずっと一人で過ごしてる。悪い奴じゃないんだろうけど、あのオーラを前にしちゃ先生だってたじろぐぜ」
「そう…か…」
昨日の彼女とは随分イメージが違う。よく笑う印象を受けたものだったが。
しかし、こうなってくると本当に夢の可能性が出てきた。とすると僕はかなりキモイ男になってしまうのではないだろか。
竜太が自分の席に戻り、僕は授業の教科書やらノートを出す。程なくして授業開始のチャイムが鳴り、先生が入ってくる。多くの生徒は仕方なく席に着き始めた。
ふと、窓際後方を見ると、鉄炮塚と目が合った。チャイムが鳴り終わる瞬間。彼女は左手の人差し指を立て、自分の顔の前に持っていき、小さく笑った。
いたずらっ子のように笑う彼女を見て昨日の事が夢ではないと確信した。それと同時に夢でなくて良かった安堵する自分がいた。
今だけはジメジメとした湿気がひとつも気にならなかった。
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