第5話 面見知り?

「こちらこそ聞きたいな、クオカ」


 びりり。


 青年の声が耳朶を打ったその瞬間、杏奈は息を呑み込んだ。


 嘘だ。

 人違い。


 頭を過った考えを、必死で否定する。


 似ているだけよ。

 体形が似ていると、声も似るっていうじゃない。


 こっそり目をやれば、成程青年は、声しか知らなかったにそっくりだ。

 形の良い後頭部も、すらりと引き締まった体つきも、背の高さまで。

 でも、髪の毛が違う。

 蝋燭の薄明りでも判る。きらきら輝く青年の髪色はとても薄い。金か銀だろう。黒々からは程遠い。


 だから、彼じゃない。

 人違い。

 あの青年は、翁の面の彼じゃない。


 しかし、耳は訴え続けていた。


 あの人だ。あの人だ。〈声聞知り〉のあの人だ。

 声しか知らない相手だからこそ、判るんだ。


 息苦しくなって、杏奈は俯いた。

 目を逸らしても、話し声は聞こえる。青年の声ばかりが耳に入る。

 ああ、両手で耳を塞いでしまいたい。


「宮殿長」だという自己紹介に驚いて顔を上げると、青年と目が合った。


 どういうこと?

 杏奈を青年の管理下におく?

 今後は一切手出し無用?


 その後も、「死ぬほど後悔する」だの「吠え面をかく」だの不穏なやり取りが続いて、杏奈の心は乱れるばかり。

 混乱しているうちに、広間からどんどん人がいなくなり、気が付けば長と補佐官と囚人の三人だけになっていた。


 広間に静けさが戻ると、宮殿長が杏奈をふり返った。

「責任者が、こんな若造で驚いた?」

 副宮殿長とののしり合っていたときとは違う、柔らかな声音でたずねながら近付いてくる。

「確かに、前任者は年寄りだったが。引退してもおかしくない年齢だったから、私と代わっていただくことに決めた。一週間前のことだよ」

 ということは、杏奈が捕まってすぐだ。


「……改めて。ここの責任者で、宮殿長のヒジリ=ロハンだ」

 緊張した面持ちで、宮殿長が挨拶する。

 じっと杏奈を見つめながら、反応を窺うように続けた。

「私の声は……聞き知っているだろうが……よろしく」


 

 さっき、ここの古株たちにいった言葉と違う。

 

 やっぱりオキナだ。〈声聞知り〉の翁。


 会いたかったと、喜びに心が打ち震え。

 こんな形で会いたくなかった、と絶望に心が打ち砕かれる。

 その場に崩れ落ちそうになるのを堪えながら、杏奈はぎゅっと身を縮ませて、目をつむった。


「……今夜はもう遅い。話は明日にしよう。部屋へ案内する」

 俯けた頭の上に、ふわりと温かいものが乗せられる。

 それが宮殿長の手だと分かったときには、もう離れていた。

「こっちだ」と宮殿長が歩きだす。


 宮殿長は、副宮殿長が省略した事柄をぽつりぽつりと説明しながら、薄暗い廊下を進んだ。

「ここは、あなたのような、不本意ながら人を殺めてしまった者を収監する場所だ」

 つまり、〈鏡の死〉さえなければ、正当防衛などの情状によって、罪に問われなかっただろう人間用の施設らしい。

「四番目の宮殿だから、四乃宮という」

 

シノミヤ。

 ――死の宮。


 杏奈は、寒さに耐える小鳥のようにぶるりと震えた。

 宮殿なんて気取っているが、やっぱりここは監獄で。

 死ぬまでここから出られない。


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